憲法9条を高く掲げた「国際協力」の道を探求しよう

 憲法9条を高く掲げた「国際協力」の道を探求しよう
私たちは自衛隊のISAF参加に反対します

                             「平和への結集」をめざす市民の風

  いま改めて自衛隊のISAF参加は「合憲」か「違憲」かが問題になっていますが、「市民の風」は、自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、違憲であると考えます。一方、政府の集団的自衛権に関する考え方は「固有の権利としては持っているが、憲法第9条の制約により、集団的自衛権の行使は違憲である」というものです。政府見解でさえ、自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、違憲であることは明白といわなければなりません。

 そこで問題になるのが民主党・小沢代表の「ISAF参加合憲」発言です。小沢氏は『世界』11月号の論文で「国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない」と、自衛隊の海外派兵そのものを違憲と考える私たちの立場から見て最低限の憲法解釈ですらない、すなわち違憲の政府見解をさらに超える自衛隊の「武力の行使を含む」海外派兵容認論を展開しているからです(民主党の正式な党見解である『憲法提言』でも同様のことが述べられています)。民主党・小沢代表のこうした考え方は誤っていると私たちは考えます。以下、小沢氏の論理に特有な現状認識の瑕疵、論理の飛躍を3点にわたって指摘してみます。

 第1。国連は、安保理常任理事国である5大国中心主義で運営され、安保理決議は妥協の産物です。まれに5大国の利害が一致した場合は、どのような武力行使決議でも国際社会の名で採択できますし、利害が一致しなければ、どの大国にも都合よく解釈できる玉虫色決議となり、国連を重視したくとも、決議内容が一義的に確定できない場合がほとんどなので、原理原則論的な国連重視主義は、そもそも成り立たちません。米英などのイラク侵攻も、安保理決議1441の恣意的な解釈によって正当化されました。小沢氏の「ISAF参加合憲」発言にはそうした国連・安保理の恣意性に関する認識が欠けています。

 第2。「ISAF参加合憲」をいう小沢氏の依拠する第2の前提は、「国連の権力主導による戦争は、『国権の発動』にあたらない」というものです。しかし、仮に自衛隊の指揮権を国連に移譲するとしても、その移譲を決定するのは、主権者である国民から間接的に選ばれた時の政府であるはずです。そして、この政府の行為は明らかに「国権の発動」というべきものです。小沢氏の論理は詭弁というほかありません。

 第3。小沢氏及び民主党は、インド洋での海上自衛隊の給油活動は「国連の枠組みでの行動」ではないから違憲だといいます。では、ISAFの活動への武力行使を含む参加は「国連の枠組みでの行動」といえるのでしょうか? ISAFの活動は国連軍の活動ではありません。ISAFの活動は、第1で述べた大国間の意図に左右されやすい安保理の恣意的な決議で認められた活動にすぎないのです。そのような活動を「国連の枠組みでの行動」とみなすことは難しいでしょう。ここでも小沢氏及び民主党の論理は破綻しています。

 もちろん、私たちは、「国際貢献」や「国際協力」は世界の平和と安寧のために重要で、大切な課題であると考えています。しかし、その「国際協力」と「国際貢献」は、他国の憲法にも、国連憲章などにも見られない先駆的な憲法9条を持つ国としてふさわしいものでなければならないだろうと考えています。軍事力に頼らない「国際協力」の方法はいくらでもあるはずです。国際社会に向かって、堂々と9条を掲げた「国際協力」の道を探求することこそが私たちが採るべき道ではないでしょうか。私たち「平和への結集をめざす市民の風」は、“どんなことがあっても自衛隊の海外派兵には反対”という旗幟を鮮明にした「国際貢献」を探求することこそが平和憲法の国の「国際貢献」にふさわしいものだと考えます。

*上記アピールは「『平和への結集』をめざす市民の風」としての決定稿(A4版)です。詳細は下記原案をご参照ください。

【原案】
自衛隊のISAF参加は合憲か? 〜「市民の風」はこう考えます(たたき台)

*この小文は「市民の風」内外の議論のための「たたき台」として書かれています。
ご意見をお寄せください。

 平和への結集をめざす市民の風運営委員
東本 高志

自衛隊のISAF参加は合憲でしょうか? それとも違憲でしょうか?

 民主党・小沢代表の「ISAF(注1)参加合憲」発言(『世界』11月号)(注2)以来、自衛隊のISAF参加は「合憲」か「違憲」かの問題があらためてクローズアップされています。

 私たちは、この問題を考えるに際して重要なポイントは2つあると思います。ひとつは、そもそも自衛隊の海外派兵は合憲か否かという問題。もうひとつは、自衛隊のISAF参加は憲法で禁止されている集団的自衛権の行使にあたらないのかという問題です。

政府見解も「武力をともなう自衛隊の海外派兵は違憲」

 はじめに自衛隊の海外派兵(ここでは武力をともなう場合に限定します)は違憲かどうかを見てみます。自衛隊の海外派兵を違憲とする考え方には、大きく分けて、

?自衛隊そのものを違憲とする立場から、当然、自衛隊の海外派兵も違憲とするもの
?自衛隊の存在は認める(合憲とする)が、自衛隊の海外派兵は違憲とするもの
?武力をともなわない自衛隊の海外派兵は認める(合憲とする)が、武力をともなう自衛隊の海外派兵は違憲とするもの(現政府見解)

の3つがありますが、ここでは、自衛隊の海外派兵という行為が蓋然的に担わざるをえない問題の本質を明らかにするために?の立場から見て自衛隊のISAF参加は合憲かどうかを見てみます。

 私たちは自衛隊の海外派兵そのものに反対ですが、1992年の「国際平和協力法(PKO協力法)」(自衛隊の海外派兵を法律的に可能にした)制定時の海部内閣の国会答弁でも「自衛隊の武力をともなう海外派兵は違憲」というものでした。

海部俊樹内閣総理大臣答弁(参院PKO特別委員会 1992年4月28日):
「PKOへの参加の場合、我が国が武力行使をするとの評価を受けることはないので、憲法の禁ずる海外派兵にはあたらない」

福田康夫内閣総理大臣答弁(衆院予算委員会 2007年10月11日):
「(ISAFへの参加は海外での武力行使を禁じた)憲法で規定する問題につながってくる可能性があると懸念している」

 自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は、これまでの政府(内閣法制局)見解(???のうちもっとも保守的な見解)に照らしてみても違憲であることは明白です。

政府見解も「憲法第9条の下における集団的自衛権の行使は違憲」

 集団的自衛権に関する政府(内閣法制局)の考え方は「固有の権利としては持っているが、憲法9条の制約により、集団的自衛権の行使は違憲である」というものです。政府見解でさえ自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、違憲であることは明白であるといわなければなりません。
 
小泉純一郎内閣政府答弁書(内閣衆質151第58号 2001年5月8日):
「憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えてきている」

安倍首相、集団的自衛権行使の研究を指示(朝日新聞 2007年5月18日):
「集団的自衛権の研究を掲げる安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二前駐米大使)の初会合が18日、首相官邸で開かれた。首相は、米国向け弾道ミサイルの迎撃など四つの事例を挙げて「新たな時代状況を踏まえた、新たな安全保障政策の構築」の検討を指示。集団的自衛権行使の禁止など政府の憲法9条解釈も含めて、安全保障に関する法的な制約を見直すことを諮問した」

 上記の安倍首相(当時)の集団的自衛権の見直し指示は、集団的自衛権に関する現在(2007年5月時点)の政府解釈も「憲法第9条の下における集団的自衛権の行使は違憲」としている反対証明になるでしょう。

 自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、いまの政府(内閣法制局)見解によっても違憲であることは明白です。

民主党・小沢代表の「ISAF参加合憲」発言について

 そこで問題になるのが民主党・小沢代表の「ISAF参加合憲」発言です。小沢氏は『世界』11月号の論文で「国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない」と、自衛隊の海外派兵そのものを違憲と考える私たちの立場から見て最低限の憲法解釈ですらない、すなわち違憲の政府見解をさらに超える自衛隊の「武力の行使を含む」海外派兵容認論を展開しているからです(民主党の正式な党見解である『憲法提言』でも同様のことが述べられています(注4))。

 民主党・小沢代表のこうした考え方は誤っていると私たちは考えます。以下、小沢氏の論理に特有な現状認識の瑕疵、論理の飛躍を3点にわたって指摘してみます。

第1。国連は、安保理常任理事国である5大国中心主義で運営され、安保理決議は妥協の産物です。まれに、5大国の利害が一致した場合は、どのような武力行使決議でも国際社会の名で採択できますし、利害が一致しなければ、どの大国にも都合よく解釈できる玉虫色決議となり、国連を重視したくとも、決議内容が一義的に確定できない場合がほとんどなので、原理原則論的な国連重視主義は、そもそも成り立たちません。米英などのイラク侵攻も、安保理決議1441の恣意的な解釈(注5)によって正当化されました。小沢氏の「ISAF参加合憲」発言にはそうした国連・安保理の恣意性に関する認識が欠けています。

 第2。「ISAF参加合憲」をいう小沢氏の依拠する第2の前提は、「国連の権力主導による戦争は、『国権の発動』にあたらない」というものです(注6)。しかし、仮に自衛隊の指揮権を国連に移譲するとしても、その移譲を決定するのは、主権者である国民から間接的に選ばれた時の政府であるはずです。そして、この政府の行為は明らかに「国権の発動」というべきものです。小沢氏の論理は詭弁というほかありません。

 第3。小沢氏及び民主党は、インド洋での海上自衛隊の給油活動は「国連の枠組みでの行動」ではないから違憲だといいます。では、ISAFの活動への武力行使を含む参加は「国連の枠組みでの行動」といえるのでしょうか? ISAFの活動は国連軍の活動ではありません。ISAFの活動は、第1で述べた大国間の意図に左右されやすい安保理の恣意的な決議で認められた活動にすぎないのです。ISAFの活動は国連憲章違反という事実に変わりはありません。そのような活動を「国連の枠組みでの行動」とみなすことは難しいでしょう。ここでも小沢氏及び民主党の論理は破綻しています。

憲法9条を高く掲げた「国際協力」の道を探求しよう

 もちろん、私たちは、「国際貢献」や「国際協力」は世界の平和と安寧のために重要で、大切な課題であると考えています。しかし、その「国際協力」と「国際貢献」は、他国の憲法にも、国連憲章などにも見られない先駆的な憲法9条を持つ国としてふさわしいものでなければならないだろうと考えています。軍事力に頼らない「国際協力」の方法はいくらでもあるはずです。国際社会に向かって、堂々と9条を掲げた「国際協力」の道を探求することこそが私たちが採るべき道ではないでしょうか。私たち「平和への結集をめざす市民の風」は、“どんなことがあっても自衛隊の海外派兵には反対”という旗幟を鮮明にした「国際貢献」を探求することこそが平和憲法の国の「国際貢献」にふさわしいものだと考えます。

【注】
1: ISAFとは、アフガニスタンの治安維持を通じアフガニスタン政府を支援する目的で、2001年12月5日のボン合意に基づく国連安保理決議1386号により設立された国際治安支援部隊(International Security Assistance Force) - 国際平和活動のひとつです。当初は有志国の集まりからなる多国籍軍により構成されていましたが、現在は北大西洋条約機構(NATO)が統括しています。ISAFの作戦本部はアフガニスタンのカブールにあり、司令本部はオランダのNATOブロンソン連合統合軍司令部に置かれています。いずれも、欧州連合軍最高司令官(Supreme Allied Commander Europe: SACEUR)の指揮下にあります。

2: 「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したい」(『世界』11月号 p151‐152)「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」(同 p151)

3: 深瀬忠一「現代国際法上の自衛権についての一考察−日本国憲法における自衛権の解釈のために」北大法学論集38(5−6上)

4: 民主党『憲法提言』(05年10月31日)「?.より確かな安全保障の枠組みを形成するために」「2.わが国の安全保障に係る憲法上の4原則・2条件」「(1)わが国の安全保障活動に関する4原則」「?国連の集団安全保障活動を明確に位置づける」
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/minnsyukennpouteigenn.htm#s05

5:安保理決議1441は全会一致で採択されましたが、5常任理事国のうち米英を除く3ヶ国、すなわちフランス、ロシア、中国は、同決議は「自動的開戦」を認めるものではないことを明確に主張しました。が、アメリカ、イギリスは同決議1441の文言を恣意的に解釈し、米英のイラク侵攻を正当化しました。 

6: 「言うまでもなく、日本国憲法第九条は国権の発動たる武力の行使を禁じています」(『世界』11月号p149)「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」(同 p151)という小沢氏の発言から類推できます。

22 Responses to “憲法9条を高く掲げた「国際協力」の道を探求しよう”

  1. MITSU_OHTA Says:

    東本さん、ありがとうございます。

    論点「国連決議に基づく武力行使が国権の発動たる武力行使に当たるかどうか」についてのコメントです。

    第2ブログにこんな記事を書きました。

    小沢一郎氏の憲法解釈・アフガンISAF派遣論と民主党の「テロ特措法対案」(1):国権の発動なくして自衛隊の運用はあり得ない
    http://unitingforpeace.seesaa.net/article/71433999.html

    日本国憲法は武力行使の性質・目的を一切捨象して、国権の発動による武力行使を一律に禁じていることは明らかです。自衛隊を運用し武力行使を決定する行為は、国権の発動なくしてはあり得ません。自衛隊が勝手に国連決議に従うわけではありません。

    国連平和活動の最中における戦争犯罪をどのように裁くかを考えてみても、武力の行使が国権(裁判権)の発動によるものであることが、特にアメリカの例からよく分かるでしょう。

    つまり、多国籍軍に参加する米軍兵士の訴追を避けるために、アメリカは“公共裁判所”としての国際刑事裁判所への参加を拒絶して、戦争犯罪を自国の裁判権で裁く(建前上)ことにしているからです。

  2. 東本高志 Says:

    太田さん、コメント有り難うございます。

    太田さんの第2ブログ記事「(1):国権の発動なくして自衛隊の運用はあり得ない」は、「たたき台」を書き上げてからの「読み」になりましたが同感です。

    太田さんはアメリカが国際刑事裁判所への参加を拒絶している問題と「国権の発動」との関連を論じておられるのですが、まさにそのとおりだと思います。

    アメリカが頑なに国際刑事裁判所への参加を拒絶しているのは、「自国軍将兵が戦闘区域での不法行為(主として非戦闘員の殺害など)により訴追される事を防ぐ為」であることは国際社会周知のことです(ウィキペディア:「国際刑事裁判所/6.1 アメリカの反対」)。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%88%91%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80

    では、アメリカは自国軍将兵の戦闘区域での不法行為を国際刑事裁判所で裁かれるのをなぜ忌避するのか。いうまでもなくアメリカは、自国軍将兵の戦闘区域での不法行為が裁かれること=自国の行為(国権の発動)が裁かれることと同一視しているからでしょう。つまりアメリカは、戦闘区域での自国軍将兵の行為は、自国の国権の発動によるものとみなしていることになります。「国権の発動なくして国軍の運用などあり得ないことは」明らかというべきです。

    ただ、太田さんの「武力の行使が国権(裁判権)の発動によるもの」という解釈は、太田さんのコメントの文脈に即して理解を試みても異論があります。やはり武力の行使は、国権のひとつの要素としての行政権、または立法権の作用というべきでしょう。もちろん、裁判権も国権のひとつの要素に違いありませんが、裁判権は武力の行使のオーソライズに関する国のジャッジメント作用というべきだと思います。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    太田さんからのコメントがあったのを奇貨として、この際、「国連の枠組みでの行動」とは何かという問題について(「民主党・小沢代表の『ISAF参加合憲』発言について」第3の「国連憲章第7章」に関して)補足させていただこうと思います。

    国連軍については国連憲章第7章で規定されています。

    ?42条では、「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる」と規定されています。
    ?また43条では、その「国連軍」の創設のためには、安全保障理事会が加盟国と平時から特別協定を結び、提供する兵力数などを取り決めておく必要があることが規定されています。
    ?さらに47条では、安保理事会の5常任理事国から成る軍事参謀委員会が指揮権をとることが規定されています。

    つまり、国連軍が国連軍であるためには、次の2つの要素が不可欠です。

    ?国連軍創設のためには、安全保障理事会と国連加盟国との平時からの特別協定が結ばれていること。
    ?国連軍の指揮権は、5常任理事国から成る軍事参謀委員会に委任されていること

    ISAFの「軍事的措置」は、上記??の両方の要素とも満たしていません。すなわち、ISAFの活動は「国連憲章の枠組み」による「軍事的措置」ということはできません。

    以上、「国連の枠組みでの行動」に関する補足でした。

  3. takao ishii Says:

    東本さん、ほとんど異論はありませんが、いくつかの懸念です。

    >第1。「ISAF参加合憲」をいう小沢氏の依拠する前提は「国連=正義」論(注5)です。

    たぶん、民主小沢派は、安保理の非民主制については、認識しているのではないかと思います。つまり、民主主義理念からは、現在の国連、つまり安保理は不完全ではあるが、国連しか安全保障を守る世界的な仕組み、システムがないので、という現実論からの判断でしょう。

    そこで、正義論だと批判すると、正義論ではない、現実論だという反論が出てきそうです。この反論にどのように反撃するか考えておかないとなりません。その前に、本当に単純な正義論なのか、もう一度確かめる必要がありますが。

    TVで小沢の発言を聞きましたが、必ずしも正義論ではない印象でした。本当に単純な正義論であれば批判は簡単ですが、現実論だと少し批判は、やっかいです。根本的な問題から、説明して批判しなければなりませんから。

    >2003年のアメリカの一方的なイラク侵攻も安保理決議によってそれが可能になったのです。

    「安保理決議によってそれが可能になった」というよりも、ロシア、中国、フランスは、イラク侵攻に対して明確に反対していたので、「安保理決議1441」の文言を恣意的に解釈して、と言った方が正確でしょう。

    東本さんが指摘した大国の同士のボス交=恣意的な安保理決議の問題だけでなく、だいたい、安保理決議は、ほとんどが大国の妥協の産物。どうにでも解釈できる玉虫色ですから、決議そのものが常任理事国により恣意的に解釈をされる場合もありますね。

    小沢派のように国連を重視すると言っても、安保理決議さえ、当の安保理の常任理事国自身が恣意的に解釈して行動し、しかも、誰もその行動を阻止できないのが国連の現状ですね。国連を重視を唱える小沢派は、こうした安保理決議の恣意的な解釈から一部の常任理事国(たとえば米国)に派兵を要請された場合、どうする気でしょうかね(笑)。

                                         石井孝夫

  4. higashimototakashi Says:

    石井さん、ご指摘有り難うございます。

    石井さんご指摘の第2点目「『安保理決議によってそれが可能になった』というよりも、ロシア、中国、フランスは、イラク侵攻に対して明確に反対していたので、『安保理決議1441』の文言を恣意的に解釈して、と言った方が正確でしょう」は、まったくそのとおりだと思います。

    以下のように訂正しました。

    本文(訂正前):国際法違反、国連憲章違反の疑いが濃厚な2003年のアメリカの一方的なイラク侵攻も安保理決議によってそれが可能になったのです。
       ↓
    本文(訂正後):国際法違反、国連憲章違反の疑いが濃厚な2003年のアメリカの一方的なイラク侵攻も米英の安保理決議1441の文言の恣意的な解釈(注6)によってそれが可能になったのです。

    さらに本文(訂正後)に注6を挿入しました。

    注6:安保理決議1441は全会一致で採択されましたが、5常任理事国のうち米英を除く3ヶ国、すなわちフランス、ロシア、中国は、同決議は「自動的開戦」を認めるものではないことを明確に主張しました。が、アメリカ、イギリスは同決議1441の文言を恣意的に解釈し、米英のイラク侵攻を正当化しました。

    また、石井さんご指摘の第1点目の論点(「現実論」の問題)は、実は当初、たたき台にも書き入れようとしていた課題でした。しかし結局、第1の論点に収斂される問題だろうと判断し、原案のようにしたものです。

    「現実論」の問題はたしかにやっかいな課題です。

    国際紛争を解決する手段として武力行使の必要があるときどうすればよいか、というこの問題を考える際に必ず直面する問題。小沢氏の議論はまさにこの国連軍不在の間隙を突く問題提起ではあります。

    しかし、現実論を言い募れば、国連憲章のなし崩し的な解体につながりかねません。国際社会のよるべき支柱はやはり国連憲章にあるだろう。そうであれば、あくまでも国連憲章に基づく国連軍の実体的な創設をめざすほかありません。

    国際社会の安寧と法治主義の観点から見て、国連軍不在の現実が国連憲章違反のISAFを容認することにはならないだろう。国連のいまの実態が「国連=正義」ではありえないならば、困難であっても真に「国連=正義」の実態を創出する以外ない。なし崩し的な現実論の容認によって国連の理念を葬り去ることほど危険なことはないだろう。

    これが現実論に対する私の応えです。

    「風」の見解としてもっと適正な代替案がございましたらご提示ください。いまのところ、第1点目の論点は変更する必要はない、と私は考えています。

  5. 野村 修身 Says:

    「風」運営委員の野村修身です。力作を拝見しました。内容的には充分満足できると思います。東本高志さんのご尽力を感謝いたします。ごくろうさまでした。
    ただ、申し上げるとすれば、全体構成を工夫して、一気に読めるようにすれば、当会の宣伝効果が大きくなるのではないかと思います。
    例えば、表示する部分は当会の見解のみ(「自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、」から「堂々と9条を掲げた「国際協力」の道を探求することこそが私たちが採るべき道ではないでしょうか。」まで)とし、政府の見解に関する記述や脚注などは、参考とするウェブページのURLを示すか、もしくは、別のページに掲載することにしたらどうでしょうか?
    私は何も協力しないだけでなく、せっかくの力作にクレームを付けて、申し訳ないとは思いますが、取りあえずのコメントをお知らせしておきます。参考になれば幸いです。

  6. 東本高志 Says:

    野村さん、コメント有り難うございます。

    みなさまのご意見がある程度出揃い、一段落すれば、最終的にはA41枚に収めたいと思っていました。

    もうその時期かもしれませんね。

    一両日中には野村さんのご指摘も踏まえたA41枚案を作成してみます。

  7. takao ishii Says:

    東本さん、お疲れ様です。

    石井です。大変ですね。

    「国連=正義」論の件ですが、本当はどうなのか、どなたか小沢の著作等で確認が取れれば良いのですが、確認が取れなければ、「正義論」、「現実論」には触れずに、とにかく安保理決議が、5カ国のエゴ、恣意で決められる場合が多いこと、更に決議内容が、玉虫色でどうにでも解釈できるものが多いことを指摘して小沢派的な原理原則的国連重視主義は、実際には成り立たないと主張すれば良いのではないかと思います。

    これなら、小沢派が現実論だとしても、安保理決議の評価の問題となり、安保理決議については、小沢派より厳しい評価をすべきという立場からの批判という点が明確になり、無用な小沢シンパの方達からの反発、反論を防げるのではないか、と思いますがどうでしょうか。

    とは言っても、東本さんの論文の全体的な論旨には大賛成ですので、この件は東本さんの判断におまかせします。

                                     石井孝夫

  8. MITSU_OHTA Says:

    東本さん

    (1) 「裁判権」と「国権(の発動たる武力の行使)」の関係

    まず、アメリカが国際刑事裁判所で自国兵士の訴追をさせないのは、クラスター爆弾や劣化ウラン弾の使用判断など、具体的な「軍隊の運用」権を国が確保したいからでしょう。究極的には、「国益追及の主導権」を国が独占するためです。

    法理論的な理屈として、一応、アメリカは国際刑事裁判所が国の主権を脅かすから、といっていますが、それはウソではないにしても、本音はあくまで具体的な国益(ないし政府関係者の私益)を想定して、「国益追及の主導権」を離したくない、という程度のことでしょう。

    軍隊を実際に運用する場合、武器使用基準を誰が、どこが作成するのかという問題が発生します。アメリカはクラスター爆弾を使いたい。そうすると、裁判権のことも考えざるを得ないわけです。

    「軍隊の運用」と戦争犯罪の裁判は、この点で一体不可分です。もちろん、裁判権でもって「派兵」決定をするということではありません。

    戦争犯罪を国、自衛隊が認識した段階で、当該兵士を帰国させるかどうかは、まさに国の判断です。超法規状態を認めない限り、軍隊運用に伴う実際的な問題です。国連決議に裁判規定がない場合、各国の裁判権を行使するしかありません。

    こういう事情込みで、軍隊を派兵し、具体的に運用するということになっているはずです。

    (2) 「国連憲章の枠組みによる軍事的措置」「国連決議に基づく軍事的措置」「国連安保理の指揮下におく軍事的措置(国連軍)」

    私の理解では、小沢さんなどは、上記を全部ひっくるめて「国連の枠組みによる軍事的措置」ととらえているように思うのですが。国連決議さえあれば憲法に抵触しない、むしろ積極的平和主義に合致するという考え方です。

    ですから、憲章違反文脈での批判は、当を得ない懸念があります。

    (3) 小沢さんの論が「国連=正議論」に基づくかどうか

    浅井基文さんの文章などから判断すると、小沢民主党の国連中心主義は、「国際貢献=自衛隊の運用」論を当たり前の前提にして、その妥当性は考えず、あくまでも枠をはめる、原則を設けることが必要だ、という考えのようです。

    いや、縛りをかけることにはならず、むしろ、無用の軍事措置に加担することになるのだ、日本の可能性を台無しにするのだ、という反論が必要ではないでしょうか。

  9. 東本高志 Says:

    (1)について

    太田さんの論点とご認識、了解できました。そのとおりだと思います。

    (2)について

    まず太田さんの分別される?「国連憲章の枠組みによる軍事的措置」?「国連決議に基づく軍事的措置」?「国連安保理の指揮下におく軍事的措置(国連軍)」のうち?と?は同じものだろうと私は思います。「国連憲章の枠組みによる軍事的措置」(第7章)と「国連安保理の指揮下におく軍事的措置(国連軍)」(47条)はイコールの関係にあるからです。

    その上で、私も、小沢氏の「国連の枠組み」理解は??と?を含めものであるだろう、と理解しています。しかし、小沢氏の理解に関わらず?は「国連の枠組みによる軍事的措置」とはいえないと思います。国連憲章の規定に基づく軍事的措置ではないからです。国連憲章に基づかない軍事的措置を容認することは同憲章のなし崩し的な解体につながりかねません。この点については石井さんに対する返信でも述べています。なし崩し的な現実論の容認によって国連の理念を葬り去ることほど危険なことはないだろう、と。

    第1〜第3の論点の全体は、「国連決議さえあれば憲法に抵触しない、むしろ積極的平和主義に合致する」という小沢氏の考え方の非整合に対する批判になっています。「憲章違反文脈(だけ)での批判」になっていないはずです。

    (3)について

    太田さんの(3)のご指摘はそのとおりだと思いますし、賛成します。
    が、第4の論点が必要になるように思います。私としてはたたき台は最終段階ではA41枚に収めたいと思っていますので、これ以上論点を増やすことには消極的です(いろいろな論点を言い募ればきりがありませんので)。しかし、太田さん。一日待ってみます。簡明な表現で挿入可能な文案を提示していただけますでしょうか? 

  10. higashimototakashi Says:

    石井さんから「民主党・小沢代表の『ISAF参加合憲』発言について」の第1の論点に関して下記の修正案をいただきました(同修正案の意図については、石井さんの12月15日付コメントをご参照ください)。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    第1。国連は、安保理常任理事国である5大国中心主義で運営され、安保理決議は妥協の産物です。まれに、5大国の利害が一致した場合は、どのような武力行使決議でも国際社会の名で採択できますし、利害が一致しなければ、どの大国にも都合良く解釈できる玉虫色決議となり、国連を重視したくとも、決議内容が一義的に確定できない場合がほとんどなので、原理原則論的な国連重視主義は、そもそも成り立たちません。米英などのイラク侵攻も、安保理決議1441の恣意的な解釈(注6)によって正当化されました。
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    石井さんの修正案の後に「小沢氏の『ISAF参加合憲』発言にはそうした国連・安保理の恣意性に関する認識が欠けています。」という語句を付加した上で(「たたき台」の整合性上の観点から)、石井さんの修正案を採用させていただきたいと思います。

    修正後の文案については上記本文をご参照ください。

  11. MITSU_OHTA Says:

    東本さん

    論点をたたき台にすべて埋め込む形というのであれば、確かにどこかで切りをつけないといけないでしょうね。私は後で論点の取捨選択を、という想定でいたものですから。盛り込んでほしい案文を具体的に提案します。

    (1) 国連決議だけが自衛隊派兵の縛りか

    「腐っても国連」観に基づく自衛隊派兵歯止め論が、小沢さんの国連中心主義だと思います。自衛隊の実際の運用までも規程する「国連(憲章)の枠組み」を重視しているのではなく、派兵決定を判断する際に、あくまで国際社会によるお墨付きさえあればいい、そのお墨付きを与えるのは国連安保理だ、という論のはずです。

    そしてそれは多くの日本人の考えに合ったものだとの読みがあるでしょう。そこで、「第1」の理由に、以下を追加することを提案します。

    国連決議の目的が自衛隊派兵に縛りをかけるためだとしても、現状は有志連合決議と変わりがないのです。国際刑事裁判所に参加する国すべてによる決議を派兵要件とすることのほうが、よほど厳格で、公正な縛りといえるのではないでしょうか。したがって国連決議さえあればよいという考え方は合理的ではありません。

    (2) 紛争原因を作っている「普通の国」による軍事的国際貢献論に流されるな

    最終節「憲法9条を高く掲げた「国際協力」の道を探求しよう」の最初の文を削るなどして、以下に置き換えるとよいと思います。

    そもそも、武器を輸出するなどして紛争の重大な原因の一つを作っているのが「普通の国」です。武器輸出は当然、「国連決議」に基づくものではありません。そのような「普通の国」が説くマッチポンプ的な国際貢献論は説得力を欠きます。

    (3) 国連決議に基づく授権は正統ではないのか

    そもそも、国連決議に基づく多国籍軍の活動に正統性がない、との根拠に自信が持てていません。下記の資料では、例えば湾岸戦争決議678号についてこのように述べています。

    http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200303_626/062603.pdf p.38

    安保理決議第678号に関する議論

    「湾岸多国籍軍」 の根拠とされた安保理決議第678号は、 憲章第7章を引用しつつも、 憲章の特定の条文には言及しておらず、 同決議を採択した安保理においても、 憲章上の根拠条文は明らかにされなかった。
    このため、 安保理決議第678号の憲章上の位置づけに関する学説は、 憲章の特定の条文に結びつける説、 国連の黙示的権能に根拠を求める説(96)、 憲章違反であるとする説(97)に分かれた。

    小沢さんの論文や、民主党の憲法提言でも、「国連の枠組み」という表現はほとんど見かけず、「国連の決議に基づいて参加する活動」「国連の平和活動」「国際連合における正統な意志決定に基づく安全保障活動」となっています。もっぱら想定しているのは、国連軍ではなく、最初から多国籍軍活動やPKOでしょう。小沢さんらは、「国連の枠組みに基づく」から云々という論理ではないと思われます。

    私の現在の理解からすると、「第3」の理由は以下のようになるでしょう。

    第3。小沢氏及び民主党は、インド洋での海上自衛隊の給油活動は「国連決議に基づかない」から違憲だといいます。では、ISAFの活動への武力行使を含む参加は許されるのでしょうか? 国際の平和と安全を維持または回復するために必要な行動をとることができるのは国連憲章第7章で規定されている「国連軍」です。ISAFは国連軍ではなく、多国籍軍です。ISAFの根拠となった安保理決議1368号は、「湾岸多国籍軍」 の根拠とされた安保理決議678号同様、憲章の第7章に言及しているものの、特定条項を示しておらず、国連憲章違反の可能性(注8)があります。国連決議に基づく多国籍軍の活動は、その正統性に関する議論が行われなくなり、慣例となっているに過ぎないのです。

    国際連合安全保障理事会決議1386号
    http://ja.wikipedia.org/wiki/国際連合安全保障理事会決議1386

    民主党の「テロ特措法対案」

    ・海上阻止活動が国連安保理決議に基づき行われる時には、参加のために必要な法整備について要否を含めて検討
    毎日新聞 2007年11月14日

    民主党憲法提言

    ?  より確かな安全保障の枠組みを形成するために
    http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/minnsyukennpouteigenn.htm#s05

    ?国連の集団安全保障活動を明確に位置づける

    憲法に何らかの形で、国連が主導する集団安全保障活動への参加を位置づけ、曖昧で恣意的な解釈を排除し、明確な規定を設ける。これにより、国際連合における正統な意志決定に基づく安全保障活動とその他の活動を明確に区分し、後者に対しては日本国民の意志としてこれに参加しないことを明確にする。こうした姿勢に基づき、現状において国連集団安全保障活動の一環として展開されている国連多国籍軍の活動や国連平和維持活動(PKO)への参加を可能にする。それらは、その活動の範囲内においては集団安全保障活動としての武力の行使をも含むものであるが、その関与の程度については日本国が自主的に選択する。

  12. 東本高志 Says:

    ?太田さんの「(1) 国連決議だけが自衛隊派兵の縛りか」の論点について

    原案及び石井さん修正案の第1の論点は、小沢氏の「国連・安保理の恣意性」についての認識の欠如を問題にしています。

    この論点と「国連決議の目的が自衛隊派兵に縛りをかける」ことにある云々の小沢氏の認識に関する太田さんの論点、また「国際刑事裁判所」云々の論点は、重要な論点であるとは思うものの、原案の第1の論点との整合性に欠けるように私には思われます。

    大田さんご提案の論点を採用する場合、もうひとつの論点の追加が必要になるでしょう。

    ?太田さんの「(2) 紛争原因を作っている「普通の国」による軍事的国際貢献論に流されるな」の論点について

    最終節「憲法9条を高く掲げた「国際協力」の道を探求しよう」の最初の文は、小沢氏の「ISAF参加合憲」発言の根拠となっている「国際貢献」論への反論になっています。小沢氏の論理は、「国際協力、国際貢献のためには、ISAF参加が必要」というものですから、その論理に対抗するためには「真の国際貢献とはなにか」という市民の風としての「平和的国際貢献」の論理、「平和的国際貢献とはなにか」という総論をここでは述べる必要があるように思います。

    太田さんのご提案自体は重要な論点提起ではあると思うのですが、各論的な説に傾きすぎているきらいがあるように私には思われます。

    ?太田さんの「(3) 国連決議に基づく授権は正統ではないのか」の論点について

    太田さんのここでの問題提起のうち「(小沢氏や民主党が)もっぱら想定しているのは、国連軍ではなく、最初から多国籍軍活動やPKOでしょう」というご認識は私も同意できます。

    しかし、「小沢さんの論文や、民主党の憲法提言でも、『国連の枠組み』という表現はほとんど見かけ」ない。だから、「小沢さんらは、「国連の枠組みに基づく」から云々という論理ではない」という2段論法には賛成できません。

    小沢氏は『世界』11月号で、「海上自衛隊の活動はあくまでも、米国の自衛権発動を支援するものであり、国連の枠組みでの行動ではありません」(p152)と明確に述べています。その上で小沢氏は「自衛隊のISAF参加合憲」論をぶちあげているわけですから、小沢氏が「自衛隊のISAF参加は『国連の枠組みに基づく』」と判断していることは明白です。

    したがって、原案の第3の論点を変更する必要はない、というのが私の判断です。また、「国連の決議に基づいて参加する活動」に絞って批判することは、いま問題になっている「自衛隊のISAF参加」の問題性の本質を見失うことにもつながりかねない、と私は逆に危惧します。

  13. MITSU_OHTA Says:

    東本さん

    何か私にお付き合いする形になってしまったようで、大変お疲れ様でした。最終的な見解のまとめは運営委員会でということでしょうか。

  14. 東本高志 Says:

    太田さん wrote:
    > 最終的な見解のまとめは運営委員会でということでしょうか。

    そういうことになるのだと思います。

    太田さん。
    重要な論点の提起、ありがとうございました。

  15. 紅林進 Says:

     私は、この間、他の用事で忙しく、自衛隊のISAF参加についての市民の風におけるたたき台作成のための議論に参加できず、かなりたたき台ができてから議論を蒸し返すようで恐縮ですが、若干気になったこと、そして日本国憲法第九条との関係で言えば、決定的に重要と思われることが見過ごされているのではないかという懸念があるので、以下若干述べさせて頂きたいと思います。(小沢の国連を絶対視する考え方については、私は他の機会に批判していますし、それも重大な問題だと考えますが、今ここでは触れません)
     小沢一郎のISAF派兵論では、「国連の平和活動」は「国権の発動」ではないから、「日本国憲法に抵触しない」とする訳であるが、そもそも日本国憲法第九条は、「国権の発動たる戦争」と並んで「武力による威嚇又は武力の行使」を「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」しているのである。
     それはたとえ「国連の平和活動」といえも「国際紛争を解決する手段として」武力の行使や威嚇を用いる行動に日本が参加することを放棄=禁止しているのである。
     この点は、日本国憲法第九条との関係で、小沢のISAF派兵論を批判する際の基本であるべきだと思うし、そこから日本は武力行使ではなく、武力によらない平和的な協力を追求すべきということになると思う。当初、小沢のISAF派兵論を「違憲」と批判していた政府・自民党が、小沢の派兵論を追認・利用する形で、武力行使への道を拡大して行こうとしている現在、この点はキチット批判しておかねばならないと思う。
     「国権の発動」であろうとなかろうと「武力の行使や威嚇」はすべきでないのである。

  16. higashimototakashi Says:

    紅林さん、コメントありがとうございます。

    「そもそも日本国憲法第九条は、(略)『武力による威嚇又は武力の行使』を『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄』している(略)この点は、日本国憲法第九条との関係で、小沢のISAF派兵論を批判する際の基本であるべきだと思う」という紅林さんの論点はとても重要である、と私も思いますし、賛成です。

    しかし、本アピール(たたき台)では、小沢氏のISAF派兵論を批判するに際して、その論点を?自衛隊の海外派兵は合憲か否か?自衛隊のISAF参加は集団的自衛権の行使にあたるか否かの2点に絞っています。さらに?では「武力をともなう自衛隊の海外派兵は合憲か否か」に論点を絞りこんで問題提起しています。

    本アピール(たたき台)でも述べていますが、自衛隊の海外派兵を違憲とする考え方には、大きく分けて次の3つがあります。

    ?自衛隊そのものを違憲とする立場から、当然、自衛隊の海外派兵も違憲とするもの
    ?自衛隊の存在は認める(合憲とする)が、自衛隊の海外派兵は違憲とするもの
    ?武力をともなわない自衛隊の海外派兵は認める(合憲とする)が、武力をともなう自衛隊の海外派兵は違憲とするもの(現政府見解)

    紅林さんのお考えは上記の?に属するお考えだと思いますし、私個人も?の立場をとるものなのですが、??の立場から自衛隊のISAF参加を違憲とする人々も少なくありません。というよりも、現況(理念的な問題はここではさておきます)では??の立場の人々の方が多いのではないか、と思慮されます。

    本アピール(たたき台)作成の意図は、できるだけ多くの人(???のすべての立場の人々)に自衛隊のISAF参加の問題性をアピールしたい、というものですので、論点は「武力をともなう自衛隊の海外派兵は合憲か否か」に絞りこむことに如くはないだろう、と私は判断しました。

    したがって、紅林さんご提案の論点は上記の理由で私(たたき台作成者)として採用する意志はありません(もちろん、「市民の風」の運営委員会で紅林さんご提案の論点を採用しようということになれば、話は別です)。ご了承ください。

  17. 河内謙策 Says:

    河内です。今から、こんな意見を言って、皆様に迷惑をおかけして申し訳ありません。東本さんの御努力にけちをつけるようで心苦しいのですが、私は東本さんの御見解に1点、どうしても賛成できない点があるのです。それは、論文の立場の問題です。東本さんは、自衛隊の海外派兵を違憲とする立場に???の立場があるとしつつ(それぞれの中味は省略します)、「本アピール作成の意図はできるだけ多くの人(???のすべての立場の人々)に自衛隊のISAF参加の問題性をアピールしたい、というものです」とされていますが、私は?を無視する、より正確に言えば、??の立場からのアピールにしてほしいのです。その根拠は、以下のとおりです。
    ?このような論理をとると、“?の立場を容認するのか”という反論がでてきます。もし、平和への結集が?の立場を容認するとすれば、大問題です。重要な声明では、単なるレトリック遊びとうけとられかねないことは、止めるべきと思います。
    ?現在の状況の中で、??の立場の人の団結を重視することが重要で、
    各地で闘われた裁判闘争に参加した人もほとんどが??の人です。?のひとは、?の人が大きらいで、?を含めると、ほとんど私たちの依拠する立場がなくなります。
    ?現在の状況の中では、“どんなことがあっても自衛隊の海外派兵は反対”という旗が日本の中に立っていないことが問題で、平和への結集は、今それを立てるべきだと思うのです。               
      御検討よろしくお願いいたします。                     以上

  18. higashimototakashi Says:

    河内さん、ご意見ありがとうございます。

    河内さんのご懸念は、本小論(たたき台)の立論では下記注の?の立場、すなわち「武力をともなわない自衛隊の海外派兵」を容認することになりはしないか、というもののようです。したがって、河内さんの本小論に対するご要望も、自衛隊の海外派兵を違憲とする下記???の考え方のうち、「?を無視する、より正確に言えば、??の立場からのアピールにしてほしい」というものになります。しかし、河内さんのご懸念、ご要望には、本小論に対するいくつかの誤解があるように思います。

    注:
    ?自衛隊そのものを違憲とする立場から、当然、自衛隊の海外派兵も違憲とするもの
    ?自衛隊の存在は認める(合憲とする)が、自衛隊の海外派兵は違憲とするもの
    ?武力をともなわない自衛隊の海外派兵は認める(合憲とする)が、武力をともなう自衛隊の海外派兵は違憲とするもの(現政府見解)

    第1。本小論(たたき台)の「政府見解も『武力をともなう自衛隊の海外派兵は違憲』」の項の第2パラグラフの1行目には、「私たちは自衛隊の海外派兵そのものに反対です」という一文を挿入しています。この一文の挿入は、本小論は「??の立場から」書かれたものであることを示すものです。

    本小論は「??の立場」、すなわち、「平和への結集」の立場(自衛隊の海外派兵そのものに反対する立場)から、?の立場の人々にも「?の立場から見ても、自衛隊のISAF参加は違憲というべきです」と訴える構成をとっています。そのことは、同項第1パラグラフの「ここでは、自衛隊の海外派兵という行為が蓋然的に担わざるをえない問題の本質を明らかにするために?の立場から見て自衛隊のISAF参加は合憲かどうかを見てみます」という文言からも明らかなように思います。

    本小論(たたき台)が、自衛隊のISAF参加の危険性を広範な市民に訴えるアピールのために書かれている以上、「??の立場」の人々だけでなく、?の立場の人々にもその危険性を訴える書き方を採用するのは当然のことのように思います。本小論がそういう書き方を採用していることをもって、「単なるレトリック遊び」とか、「平和への結集が?の立場を容認」しているように受け取るのは大きな誤解というほかありません。

    第2。本小論(たたき台)で、なぜ「?を無視」せず、問題にするか。いうまでもなく、本小論のねらいが民主党・小沢代表の「ISAF参加合憲」発言を批判することにあるからです。同党・小沢代表の「ISAF参加合憲」発言は、「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したい」(『世界』11月号 p151‐152)「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」(同 p151)というものでした。

    小沢氏の発言がそのようなものである以上、「武力の行使を含む」自衛隊の海外派兵の問題を論点にし、その違憲性、問題性を明らかにするのは、アピールの性質上むしろ当然の営為のように思います。そのことがどうして、「?の立場(武力をともなわない自衛隊の海外派兵を合憲とする立場)を容認」することにつながるという懸念に結びつくのか。大きな誤解といわなければならないように思います。

    ただし、河内さんの「現在の状況の中では、“どんなことがあっても自衛隊の海外派兵は反対”という旗が日本の中に立っていないことが問題で、平和への結集は、今それを立てるべきだと思うのです」という?のご指摘はおっしゃるとおりだと思います。本小論(たたき台)では河内さんが指摘される点を明確に述べていないことは確かです。本小論(たたき台)に河内さんご指摘の点を結論部分にでも挿入すべきであろう、と私も思います。

  19. higashimototakashi Says:

    本たたき台の最終稿が決定しました。別途本ブログにも掲載しますが(A4版)、以下に訂正箇所を示しておきたいと思います。

    1.第1バラフレーズをわかりやすくするために、「政府の集団的自衛権に関する考え方は「固有の権利としては持っているが、憲法第9条の制約により、集団的自衛権の行使は違憲である」というものです。政府見解でさえ、自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、違憲であることは明白といわなければなりません」に変更しました。

    2.「民主党・小沢代表の『ISAF参加合憲』発言について」の項の第3をこれもわかりやすさを旨として「小沢氏及び民主党は、インド洋での海上自衛隊の給油活動は『国連の枠組みでの行動』ではないから違憲だといいます。では、ISAFの活動への武力行使を含む参加は『国連の枠組みでの行動』といえるのでしょうか? ISAFの活動は国連軍の活動ではありません。ISAFの活動は、第1で述べた大国間の意図に左右されやすい安保理の恣意的な決議で認められた活動にすぎないのです。そのような活動を『国連の枠組みでの行動』とみなすことは難しいでしょう。ここでも小沢氏及び民主党の論理は破綻しています」に変更しました。

    3.本たたき台の最後に「私たち『平和への結集をめざす市民の風』は、“どんなことがあっても自衛隊の海外派兵には反対”という旗幟を鮮明にした『国際貢献』」を探求することこそが平和憲法の国の「国際貢献」にふさわしいものだと考えます」という一文をあらたに挿入しました。

    以上。

  20. 染谷 正圀 Says:

    「世界」に掲載された「提言」が立脚する小沢氏の現状認識の鋭さは、アメリカのユニラテラリズムが「現実は、米国はもはや、一国で世界の平和維持、すなわち国際社会の警察官の役割を果たすことが不可能になっている」国際情勢の発展に直面したアメリカの「自分自身の孤立主義と過度の自負心が」もたらしたものにほかならず、そのユニラテラリズムが「国連はじめ国際社会の調和を乱していることに気がついて」いないアメリカが今日の国際社会の撹乱要因となっていることを見据え、この駄々っ子と化した「米国にきちんと国際社会の重要な一員として振る舞うよう」にさせるために平和憲法を持つわが国はいかにすべきかを日本の政治家として初めて明らかにしたところにあるのだと思います。
    このことを見ずして、小沢氏の提言の一々をあげつらうに止まっていては、旧教育基本法前文が宣言した「民主的で文化的な国家を建設することを以て世界の平和と人類の福祉に貢献することを決意した」とする憲法が掲げた高みに到達することは到底なし得ないと思います。

  21. 自衛隊 YouTube Says:

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