葛飾ビラ弾圧事件に対する抗議声明

12月 28th, 2007 Posted by higashimototakashi @ 10:29:58
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2007年12月28日
「平和への結集」をめざす市民の風

 東京・葛飾のマンションで政党ビラなどを配布した件により住居侵入で起訴されていた男性に対し、本年12月11日東京高裁で逆転有罪の判決が下された。この判決に対し、「『平和への結集』をめざす市民の風」としても表現の自由に対する侵害として強く抗議し、声明を発表する。

 日常生活では、飲食店や宅配、不動産など数々の商業ビラがマンションのポストに投函されており、社会通念上も検挙対象となるほど重大な問題とは考えられていない。さらに、この男性が配布していたものは政党のビラであり、表現の自由や公共性を考えても、本来であれば商業ビラの配布よりも尊重されてしかるべきものである。また、本件に対し無罪判決を言い渡した一審の東京地裁でも指摘されたように、問題のマンションは開放型であり、外部者のマンションへの投函は来訪者に目に見える形では規制されておらず、今回の政党ビラの投函が刑事事件として有罪判決の対象となる行為であるとは社会的にも考えられない。ビラの配布以外に、男性が住民の安全や財産権を侵害するような行為を行ったわけでは決してない。

 本件は日本共産党の政党ビラ配布が対象とされたものであるが、本件に限らず、近年、反戦ビラや国家公務員によるビラ配布による逮捕・検挙・有罪判決が相次いでいる。政府・与党を支援するための官庁の省ぐるみ選挙などは摘発されていないにもかかわらず、日本共産党など反戦・護憲の立場で活動する人たちがいわば「狙い撃ち」されてきた事実は見過ごすことができない。

 このような背景を考慮すると、本判決は政府・与党に批判的な立場を取る政党や全ての平和・護憲勢力や市民団体に対する不当な攻撃であると判断せざるを得ない。表現・言論の自由は、日本国憲法21条において保障されており、民主主義国家として最も基本的な権利の一つである。この権利は、どのような政治的立場に立つ者に対しても、等しく認められるはずのものであり、異なる政治的信条の持ち主に対しても、同様に認め合わなければならない性質のものである。

 われわれは、本判決に対し強く抗議すると同時に、日本の警察、検察などの司法当局が、非暴力の理念に立ち民主的に活動する様々な政党や団体を敵視し、あたかもテロリストであるように監視対象としていることに対しても強く抗議する。公安調査庁が毎年公刊する「内外情勢の回顧と展望」においては、共産党や各種の非暴力の市民団体の活動が、「過激派」と同じ項目で取り上げられ、あたかも危険な団体であるかのように扱われており、また警察庁も国政政党である日本共産党を「暴力革命の方針を堅持」しているなどとして、監視活動を続けている(http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/sec02/sec02_01.htmを参照)。国会に議席を持つ政党に対してさえこのような公権力による監視活動が国民の税金により公然と行われていることは、民主主義国家としてのあるべき姿からかけ離れていると言わざるをえない。

 問題の判決の背景には、反戦運動や平和団体に対する公権力の側の敵対意識があり、この姿勢が変わらない限り今後も同様の不当検挙・不当判決が続く恐れは十分にある。このような状況が放置されれば、政府や与党、社会に対し異議申し立てをするあらゆる活動に対し今後一層締め付け・弾圧が強まり、国民の自由や権利は奪われ、公権力が恣意的に国民を弾圧できる社会へと一直線に進むことが強く懸念される。

 「市民の風」としても、言論の自由を否定する今回の東京高裁判決に強く抗議し、最高裁において男性の無罪を勝ち取るために力の限り支援する決意である。同時に、民主主義国家としてふさわしくない公権力による野党や反戦・平和団体に対する監視・弾圧を止めさせるために、世論を広げる取り組みを展開したいと考えている。

投稿者 「平和への結集」をめざす市民の風事務局次長  末次 圭介
※末次圭介氏が海外出張のためhigashimotoの代理投稿です。

沖縄のメディアの「報道魂」と朝日新聞「社説」との落差

12月 27th, 2007 Posted by higashimototakashi @ 19:58:59
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 12月27日付の各紙の朝刊トップ記事は、いうまでもなく沖縄戦の「集団自決」をめぐる
教科書検定問題でした。 

 この問題は本日の各紙社説でもいっせいにとりあげられていますが、とりわけ問題発信地の沖縄のメディアの社説は、当然といえば当然のことながら、「集団自決」をめぐる教科書検定問題の本質と教科用図書検定調査審議会(検定審)の存在そのものの問題性を完膚なきまで指弾していて読み応えがありました。

■[教科書検定審報告(上)]史実をぼかす政治決着 「強制」認めず「関与」へ
(沖縄タイムス社説 2007年12月27日付)
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20071227.html#no_1
■教科書問題 「軍強制」は明らか/検定意見は撤回すべきだ
(琉球新報社説 2007年12月27日付)
http://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-11.html

 どのように読み応えがあったか。たとえば沖縄タイムスの社説は地元の高校生に呼びかけるスタイルをとり、次のように書いています。

  ━━━━━━━━━━━
  高校日本史教科書の検定問題で教科用図書検定調査審議会は、教科書会社
  六社から訂正申請のあった沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する記述に
  ついて、渡海紀三朗文科相に審議結果を報告した。

   そこで県内のすべての高校生に質問したい。

   以下の三つの文章は(1)が原文である。その後、文部科学省や審議会の意思
  が働いて(2)に書き改められ、多くの県民の強い抗議を受けて教科書会社が訂
  正申請をした結果、(3)の記述に変わった。さて、この三つの文章は、どこがどの
  ように変わったのか。なぜ、このような変更をしなければならなかったのか。その
  ねらいは何か。

   (1)「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民
     もあった」

   (2)「日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた」

   (3)「日本軍によって壕を追い出されたり、あるいは集団自決に追い込まれた
     住民もあった」

   どうだろうか。

   よくよく読み比べないと気付かないような変化なので、二度、三度とゆっくり読み
  直してほしい。

   (1)は「日本軍」という主語と「集団自決に追い込まれた」という述語の関係が
  明確だ。だが、(2)は主語と述語が切れてしまい、両者の関係があいまいになっ
  ている。

   (3)は原文とうり二つである。原文がほぼ復活したといえるが、主語と述語の
  つながりはやや弱くなった印象だ。

   この一連の経過を通して見え隠れするのは「できれば日本軍という主語を消し
  たい」「日本軍と集団自決の関係をあいまいにしたい」という背後の意思である。

   検定審の結論は三点に要約される。

   第一に、検定意見を撤回していない。第二に、「日本軍によって強制された」と
  いうような軍の強制を示す表現は採用していない。第三に、日本軍によって「追
  い込まれた」などの軍の関与を示す記述は認められた。

   検定で消えた「強制」を「関与」という形で復活させ、この問題の決着を図った
  わけだ。
  ━━━━━━━━━━━

 沖縄タイムスの社説は、「よくよく読み比べないと気付かないような変化」のポイントを的確に整理し、だれにでもわかるように問題点を指摘しています。「説得」的な文章とはこういうものをいうのでしょう。

 対して、本土のメディアの社説はどうか。

 東京新聞の社説は「一連の問題を引き起こした今年春の検定は罪が重い」とし、また、毎日新聞の社説は「軍と住民との間の根底にあった強制的関係、絶対的な上下関係をきちんととらえたものとはいい難い」と、検定審のありようの問題点を指摘していて、権力の監視者(ウォッチドッグ)としてのメディアの役割を一応のところ果たしています。

■集団自決記述 「強制」排除になお疑問が残る
(毎日新聞社説 2007年12月27日付)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20071227k0000m070146000c.html
■集団自決記述 『強制』なしで伝わるか
(東京新聞社説 2007年12月27日付)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007122702075385.html

 これまでもことあるごとに指摘してきましたが、問題なのは朝日新聞の社説です。

■集団自決検定―学んだものは大きかった
(朝日新聞社説 2007年12月27日付)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1

 沖縄のメディアが「歴史的事実を追究する努力を尽くさず、体験者の証言を顧みることもなく「集団自決」の本質とも言える「軍の強制」を削除できるほど、歴史は軽いものなのか」(琉球新報)とまで指弾している検定審の「裁決」を、「訂正申請の審議で、『軍が強制した』というような直接的な表現を最後まで許さなかったことには疑問がある」という留保条件はつけてはいるものの「この見解は多くの人が納得できるものだろう」とご託宣を宣(のたまわ)っているのです。

 上記のご託宣は、朝日新聞はいまやジャーナリズムの戦線から離脱している、あるいはひいき目に見ても離脱しかけている証左ともいえるように私は思うのです。

 沖縄のメディアとの比較はさておき、毎日新聞や東京新聞と比較してみても、朝日新聞(記者)はいまや、ニュース価値を評価するメディア独特の嗅覚やバランス感覚を明らかに喪失している(しかけている)、と指摘しないわけにはいきません。

参考:
■「言葉のチカラ」失った朝日〜マスメディアよ、ジャーナリストたれ(3)など
http://www.news.janjan.jp/media/0612/0612196738/1.php

東本高志

憲法9条を高く掲げた「国際協力」の道を探求しよう

12月 11th, 2007 Posted by higashimototakashi @ 11:15:20
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 憲法9条を高く掲げた「国際協力」の道を探求しよう
私たちは自衛隊のISAF参加に反対します

                             「平和への結集」をめざす市民の風

  いま改めて自衛隊のISAF参加は「合憲」か「違憲」かが問題になっていますが、「市民の風」は、自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、違憲であると考えます。一方、政府の集団的自衛権に関する考え方は「固有の権利としては持っているが、憲法第9条の制約により、集団的自衛権の行使は違憲である」というものです。政府見解でさえ、自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、違憲であることは明白といわなければなりません。

 そこで問題になるのが民主党・小沢代表の「ISAF参加合憲」発言です。小沢氏は『世界』11月号の論文で「国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない」と、自衛隊の海外派兵そのものを違憲と考える私たちの立場から見て最低限の憲法解釈ですらない、すなわち違憲の政府見解をさらに超える自衛隊の「武力の行使を含む」海外派兵容認論を展開しているからです(民主党の正式な党見解である『憲法提言』でも同様のことが述べられています)。民主党・小沢代表のこうした考え方は誤っていると私たちは考えます。以下、小沢氏の論理に特有な現状認識の瑕疵、論理の飛躍を3点にわたって指摘してみます。

 第1。国連は、安保理常任理事国である5大国中心主義で運営され、安保理決議は妥協の産物です。まれに5大国の利害が一致した場合は、どのような武力行使決議でも国際社会の名で採択できますし、利害が一致しなければ、どの大国にも都合よく解釈できる玉虫色決議となり、国連を重視したくとも、決議内容が一義的に確定できない場合がほとんどなので、原理原則論的な国連重視主義は、そもそも成り立たちません。米英などのイラク侵攻も、安保理決議1441の恣意的な解釈によって正当化されました。小沢氏の「ISAF参加合憲」発言にはそうした国連・安保理の恣意性に関する認識が欠けています。

 第2。「ISAF参加合憲」をいう小沢氏の依拠する第2の前提は、「国連の権力主導による戦争は、『国権の発動』にあたらない」というものです。しかし、仮に自衛隊の指揮権を国連に移譲するとしても、その移譲を決定するのは、主権者である国民から間接的に選ばれた時の政府であるはずです。そして、この政府の行為は明らかに「国権の発動」というべきものです。小沢氏の論理は詭弁というほかありません。

 第3。小沢氏及び民主党は、インド洋での海上自衛隊の給油活動は「国連の枠組みでの行動」ではないから違憲だといいます。では、ISAFの活動への武力行使を含む参加は「国連の枠組みでの行動」といえるのでしょうか? ISAFの活動は国連軍の活動ではありません。ISAFの活動は、第1で述べた大国間の意図に左右されやすい安保理の恣意的な決議で認められた活動にすぎないのです。そのような活動を「国連の枠組みでの行動」とみなすことは難しいでしょう。ここでも小沢氏及び民主党の論理は破綻しています。

 もちろん、私たちは、「国際貢献」や「国際協力」は世界の平和と安寧のために重要で、大切な課題であると考えています。しかし、その「国際協力」と「国際貢献」は、他国の憲法にも、国連憲章などにも見られない先駆的な憲法9条を持つ国としてふさわしいものでなければならないだろうと考えています。軍事力に頼らない「国際協力」の方法はいくらでもあるはずです。国際社会に向かって、堂々と9条を掲げた「国際協力」の道を探求することこそが私たちが採るべき道ではないでしょうか。私たち「平和への結集をめざす市民の風」は、“どんなことがあっても自衛隊の海外派兵には反対”という旗幟を鮮明にした「国際貢献」を探求することこそが平和憲法の国の「国際貢献」にふさわしいものだと考えます。

*上記アピールは「『平和への結集』をめざす市民の風」としての決定稿(A4版)です。詳細は下記原案をご参照ください。

【原案】
自衛隊のISAF参加は合憲か? 〜「市民の風」はこう考えます(たたき台)

*この小文は「市民の風」内外の議論のための「たたき台」として書かれています。
ご意見をお寄せください。

 平和への結集をめざす市民の風運営委員
東本 高志

自衛隊のISAF参加は合憲でしょうか? それとも違憲でしょうか?

 民主党・小沢代表の「ISAF(注1)参加合憲」発言(『世界』11月号)(注2)以来、自衛隊のISAF参加は「合憲」か「違憲」かの問題があらためてクローズアップされています。

 私たちは、この問題を考えるに際して重要なポイントは2つあると思います。ひとつは、そもそも自衛隊の海外派兵は合憲か否かという問題。もうひとつは、自衛隊のISAF参加は憲法で禁止されている集団的自衛権の行使にあたらないのかという問題です。

政府見解も「武力をともなう自衛隊の海外派兵は違憲」

 はじめに自衛隊の海外派兵(ここでは武力をともなう場合に限定します)は違憲かどうかを見てみます。自衛隊の海外派兵を違憲とする考え方には、大きく分けて、

?自衛隊そのものを違憲とする立場から、当然、自衛隊の海外派兵も違憲とするもの
?自衛隊の存在は認める(合憲とする)が、自衛隊の海外派兵は違憲とするもの
?武力をともなわない自衛隊の海外派兵は認める(合憲とする)が、武力をともなう自衛隊の海外派兵は違憲とするもの(現政府見解)

の3つがありますが、ここでは、自衛隊の海外派兵という行為が蓋然的に担わざるをえない問題の本質を明らかにするために?の立場から見て自衛隊のISAF参加は合憲かどうかを見てみます。

 私たちは自衛隊の海外派兵そのものに反対ですが、1992年の「国際平和協力法(PKO協力法)」(自衛隊の海外派兵を法律的に可能にした)制定時の海部内閣の国会答弁でも「自衛隊の武力をともなう海外派兵は違憲」というものでした。

海部俊樹内閣総理大臣答弁(参院PKO特別委員会 1992年4月28日):
「PKOへの参加の場合、我が国が武力行使をするとの評価を受けることはないので、憲法の禁ずる海外派兵にはあたらない」

福田康夫内閣総理大臣答弁(衆院予算委員会 2007年10月11日):
「(ISAFへの参加は海外での武力行使を禁じた)憲法で規定する問題につながってくる可能性があると懸念している」

 自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は、これまでの政府(内閣法制局)見解(???のうちもっとも保守的な見解)に照らしてみても違憲であることは明白です。

政府見解も「憲法第9条の下における集団的自衛権の行使は違憲」

 集団的自衛権に関する政府(内閣法制局)の考え方は「固有の権利としては持っているが、憲法9条の制約により、集団的自衛権の行使は違憲である」というものです。政府見解でさえ自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、違憲であることは明白であるといわなければなりません。
 
小泉純一郎内閣政府答弁書(内閣衆質151第58号 2001年5月8日):
「憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えてきている」

安倍首相、集団的自衛権行使の研究を指示(朝日新聞 2007年5月18日):
「集団的自衛権の研究を掲げる安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二前駐米大使)の初会合が18日、首相官邸で開かれた。首相は、米国向け弾道ミサイルの迎撃など四つの事例を挙げて「新たな時代状況を踏まえた、新たな安全保障政策の構築」の検討を指示。集団的自衛権行使の禁止など政府の憲法9条解釈も含めて、安全保障に関する法的な制約を見直すことを諮問した」

 上記の安倍首相(当時)の集団的自衛権の見直し指示は、集団的自衛権に関する現在(2007年5月時点)の政府解釈も「憲法第9条の下における集団的自衛権の行使は違憲」としている反対証明になるでしょう。

 自衛隊の《武力をともなう》ISAF参加は集団的自衛権の行使にあたり、いまの政府(内閣法制局)見解によっても違憲であることは明白です。

民主党・小沢代表の「ISAF参加合憲」発言について

 そこで問題になるのが民主党・小沢代表の「ISAF参加合憲」発言です。小沢氏は『世界』11月号の論文で「国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない」と、自衛隊の海外派兵そのものを違憲と考える私たちの立場から見て最低限の憲法解釈ですらない、すなわち違憲の政府見解をさらに超える自衛隊の「武力の行使を含む」海外派兵容認論を展開しているからです(民主党の正式な党見解である『憲法提言』でも同様のことが述べられています(注4))。

 民主党・小沢代表のこうした考え方は誤っていると私たちは考えます。以下、小沢氏の論理に特有な現状認識の瑕疵、論理の飛躍を3点にわたって指摘してみます。

第1。国連は、安保理常任理事国である5大国中心主義で運営され、安保理決議は妥協の産物です。まれに、5大国の利害が一致した場合は、どのような武力行使決議でも国際社会の名で採択できますし、利害が一致しなければ、どの大国にも都合よく解釈できる玉虫色決議となり、国連を重視したくとも、決議内容が一義的に確定できない場合がほとんどなので、原理原則論的な国連重視主義は、そもそも成り立たちません。米英などのイラク侵攻も、安保理決議1441の恣意的な解釈(注5)によって正当化されました。小沢氏の「ISAF参加合憲」発言にはそうした国連・安保理の恣意性に関する認識が欠けています。

 第2。「ISAF参加合憲」をいう小沢氏の依拠する第2の前提は、「国連の権力主導による戦争は、『国権の発動』にあたらない」というものです(注6)。しかし、仮に自衛隊の指揮権を国連に移譲するとしても、その移譲を決定するのは、主権者である国民から間接的に選ばれた時の政府であるはずです。そして、この政府の行為は明らかに「国権の発動」というべきものです。小沢氏の論理は詭弁というほかありません。

 第3。小沢氏及び民主党は、インド洋での海上自衛隊の給油活動は「国連の枠組みでの行動」ではないから違憲だといいます。では、ISAFの活動への武力行使を含む参加は「国連の枠組みでの行動」といえるのでしょうか? ISAFの活動は国連軍の活動ではありません。ISAFの活動は、第1で述べた大国間の意図に左右されやすい安保理の恣意的な決議で認められた活動にすぎないのです。ISAFの活動は国連憲章違反という事実に変わりはありません。そのような活動を「国連の枠組みでの行動」とみなすことは難しいでしょう。ここでも小沢氏及び民主党の論理は破綻しています。

憲法9条を高く掲げた「国際協力」の道を探求しよう

 もちろん、私たちは、「国際貢献」や「国際協力」は世界の平和と安寧のために重要で、大切な課題であると考えています。しかし、その「国際協力」と「国際貢献」は、他国の憲法にも、国連憲章などにも見られない先駆的な憲法9条を持つ国としてふさわしいものでなければならないだろうと考えています。軍事力に頼らない「国際協力」の方法はいくらでもあるはずです。国際社会に向かって、堂々と9条を掲げた「国際協力」の道を探求することこそが私たちが採るべき道ではないでしょうか。私たち「平和への結集をめざす市民の風」は、“どんなことがあっても自衛隊の海外派兵には反対”という旗幟を鮮明にした「国際貢献」を探求することこそが平和憲法の国の「国際貢献」にふさわしいものだと考えます。

【注】
1: ISAFとは、アフガニスタンの治安維持を通じアフガニスタン政府を支援する目的で、2001年12月5日のボン合意に基づく国連安保理決議1386号により設立された国際治安支援部隊(International Security Assistance Force) - 国際平和活動のひとつです。当初は有志国の集まりからなる多国籍軍により構成されていましたが、現在は北大西洋条約機構(NATO)が統括しています。ISAFの作戦本部はアフガニスタンのカブールにあり、司令本部はオランダのNATOブロンソン連合統合軍司令部に置かれています。いずれも、欧州連合軍最高司令官(Supreme Allied Commander Europe: SACEUR)の指揮下にあります。

2: 「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したい」(『世界』11月号 p151‐152)「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」(同 p151)

3: 深瀬忠一「現代国際法上の自衛権についての一考察−日本国憲法における自衛権の解釈のために」北大法学論集38(5−6上)

4: 民主党『憲法提言』(05年10月31日)「?.より確かな安全保障の枠組みを形成するために」「2.わが国の安全保障に係る憲法上の4原則・2条件」「(1)わが国の安全保障活動に関する4原則」「?国連の集団安全保障活動を明確に位置づける」
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/minnsyukennpouteigenn.htm#s05

5:安保理決議1441は全会一致で採択されましたが、5常任理事国のうち米英を除く3ヶ国、すなわちフランス、ロシア、中国は、同決議は「自動的開戦」を認めるものではないことを明確に主張しました。が、アメリカ、イギリスは同決議1441の文言を恣意的に解釈し、米英のイラク侵攻を正当化しました。 

6: 「言うまでもなく、日本国憲法第九条は国権の発動たる武力の行使を禁じています」(『世界』11月号p149)「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」(同 p151)という小沢氏の発言から類推できます。

「中選挙区比例代表併用制を提案する」に対しコメントされた方へ

12月 11th, 2007 Posted by MITSU_OHTA @ 8:10:57
under 一般 1 Comment 

「中選挙区比例代表併用制を提案する」に対しコメントされた方がいると思うのですが、間違って削除してしまったようです。申し訳ありません。

太田光征

パトリオットミサイルはいらない!第2回市民統一行動

12月 3rd, 2007 Posted by MITSU_OHTA @ 8:38:06
under 一般 [185] Comments 

12月1日に行われたPAC3(パトリオットミサイル3)の配備に反対する千葉県内市民行動の第2回目の模様を撮影してきました。津田沼駅前公園での基調報告と1都3県で同様の行動に取り組んでいる方々からの訴え、その後のデモなどを6つに分けて収録してあります。

 
津田沼駅前集会の前半部
http://video.google.com/videoplay?docid=-91718139237580080
津田沼駅前集会の後半部
http://video.google.com/videoplay?docid=-1223673198021915304
津田沼駅前でのデモ行進の様子
http://video.google.com/videoplay?docid=-7637053470662116625
薬円台公園から習志野基地前までのデモ
http://video.google.com/videoplay?docid=5770833753676643382
習志野基地(航空自衛隊習志野分屯基地・陸上自衛隊習志野駐屯地)前での抗議アピール読み上げ
http://video.google.com/videoplay?docid=-7366425604639651646
11月29日にPAC3装備品の一部が搬入された習志野基地演習場前にて
http://video.google.com/videoplay?docid=4971285126449614640

 

パトリオットミサイルはいらない!第2回市民統一行動

パトリオットミサイルはいらない!第2回市民統一行動

パトリオットミサイルはいらない!第2回市民統一行動

パトリオットミサイルはいらない!第2回市民統一行動

パトリオットミサイルはいらない!第2回市民統一行動

パトリオットミサイルはいらない!第2回市民統一行動

パトリオットミサイルはいらない!第2回市民統一行動

 

航空自衛隊習志野基地第一高射隊長 原田一樹殿
防衛大臣 石破 茂殿
内閣総理大臣 福田康夫殿

              

抗議アピール

 政府・防衛省は、11月29日未明、私たちの「配備反対」の訴えを暴力的に排除して、航空自衛隊習志野分屯基地への「PAC-3」システムの搬入を強行しました。9月28日の防衛省に対するヒアリングにおいては「搬入は12月〜1月」「地元住民への理解が必要。そのための説明を行う」と明言しておきながら、そのような地元住民への説明は一切行われることはなく、関連自治体への一方的な通達のみで抜き打ち配備が行なわれました。こうした国民主権と地方自治の本義を無視した政府・防衛省の暴挙に、私たち本日の抗議集会の参加者一同、強い怒りの念を表明します。

 今回の搬入強行を前に、防衛省は入間基地に配備済みのPAC-3の首都圏移動展開訓練を12月に実施することを発表し、合わせて引き続き首都圏のみならず全国各地での同様の展開訓練実施も表明しています。ことのことは、3月30日の入間、そして今回の習志野同様、地元市民の意思を圧殺しての強行配備を繰り返すということです。

 国会での「給油新法」の審議過程に明らかなように、自衛隊の海外派兵を恒常化させようとする政府・防衛省そして軍需産業の目論みと世論との乖離があらわになっています。入間における市民のPAC-3配備反対運動に続く私たちの習志野基地への配備反対の運動は全県的な広がりを実現しています。本日の集会には、これから配備が予定されている武山、霞ヶ浦での反対運動の皆さん、移動展開訓練が予定される東京の皆さんも参加され、「防衛」の名目で日本国憲法の平和主義を蹂躙し、アメリカの軍事力・核攻撃力を貴重な税金をつぎ込んで後押ししようとすることへの、主権者・納税者の「NO!」の声が着実に拡大していることを如実に示しています。そして本日同時に岩国で開かれる米軍艦載機移転抗議集会はじめ各地の米軍再編に抗する闘い、沖縄市民の巨大な闘いがあります。オーストラリアでは、先日の国政選挙の結果を受け、イラクからの撤兵が確定し、同国のミサイル防衛への参加見直しも必至です。ポーランド、チェコでのミサイル防衛反対の世論・運動も拡大しています。今や、アメリカ主導の全世界の軍事的再編への抗議・反対は、日本国内と国際世論の多数派であると断言できます。

 私たちは、この国内と世界の世論をさらに束ね、強化し、日本国憲法の平和主義の理念を実現する正当な要求として、習志野、入間からのPAC-3の撤去、日本のミサイル防衛からの撤退を求める闘いを最後まで貫徹することを政府・防衛省に対して宣言します。

 重ねて、今回の習志野分屯基地へのPAC-3配備強行に強く抗議し、政府・防衛省に以下を求めます:

?今回配備が強行された習志野基地への追加搬入をやめ、PAC-3をすみやかに撤去すること。
?入間基地のPAC-3の首都圏移動展開訓練をやめ、入間基地から撤去させること。
?ミサイル防衛への参加も含め「米軍再編」に組み込まれた新防衛大綱を根本的に見直し、自衛隊の戦力縮小を広く国民世論に付託して検討・実施すること。
?日本国憲法の精神と理念に基づき、武力によらない平和の実現に尽力すること。

 2007年12月1日
          

「習志野基地へのPAC-3強行配備糾弾!市民統一抗議行動」参加者一同

 
太田光征
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