戦死した兵士を愚弄する日本
一、
62年前、日本は310万人もの戦争犠牲者をだして無条件降伏する
ほどの完膚なき敗北を喫し、生き残った日本人も辛酸を舐めつくす事
態を経験しました。戦死した230万以上もの兵士達のほとんどが、
自己の家族の安寧を守るために出征し死にました。
しかし、兵士達の願いとは逆に、彼らの家族の頭上に焼夷弾や爆弾、
原爆まで落とされてしまいました。家族の安寧を守るどころか、むし
ろ逆に戦死した兵士自身が加担した戦争により、家族を未曾有の危機
に陥れてしまったのです。更に自らは遠い異国で戦死したために家族
を助ける事も出来なかったのです。
さぞかし無念な死だったでしょう。戦死した兵士達は家族を守るつ
もりで戦ったのに、逆に家族を生死の危機に陥らさせてしまったの
ですから、これが「無駄死」でなくて何が「無駄死」だと言うのでしょ
うか。兵は「無駄死」、「犬死」を強いられたのです。死んでも死に切
れない無残な死を強いられたのです。
兵士だけでなく、一般の民衆も含めて310万人もの膨大な犠牲者
を出してしまった戦争は、日本の歴史上他に例がありません。 しか
し、政治家やマスメディアは、毎年8月に「戦争犠牲者達の死が戦後
の日本の発展の礎になった」などと唱えます。この「礎説」は一見
戦争犠牲者に報いる言葉のようですが、その意味を冷静に考えれ
ば「彼らが死んでくれたから、戦後日本は急速な発展をした」、「彼ら
が生きていたら、日本は発展しなかった」と言っているのであり、戦争
犠牲者達を愚弄する言葉です。 もし、先の大戦で犠牲となった310
万人もの日本人が死なずに生きていれば、戦後の日本は現在よりも
遥かに発展したのは間違いありません。そもそも、310万もの日本人
が死んだら、たとえ戦争に勝ったとしても何の意味もないのです。
戦争で明治憲法体制が自滅し、日本人自らの力で民主主義を獲得
しなかったために、民主革命が中途半端なものとなり、今でも毎日90
人もの人々が自殺し、戦後の61年間で150万人以上も自殺者を出し
た冷たい社会が続いているのですから、この「礎説」は明白な虚言です。
なぜ、このようなウソを政治家やマスメディアは、毎年呪文のように
唱えるのでしょうか。
この「礎説」を、政治家やマスメディアが毎年呪文のように唱える
本当の理由は、犠牲者の死が何の価値もない「無駄死」、「犬死」
だったとすると、彼らを特攻までさせて「無駄死」させたのに自らは
生き残った政治家や軍人、マスメディアに巣くう戦争責任者達が、
生き残った「後ろめたさ」を解消できないからです。
更に、犠牲者の死が何の価値もない「犬死」ではなく有意義な死、
価値のある死だったのだから迷わず成仏してくれ、生き残った戦争
責任者を恨まないでくれという呪文なのです。また、有意義な死だ
とすると、犠牲者の遺族も少しは慰められ、遺族の戦争責任者へ
の憎悪も減ると姑息な計算をして産み出された呪文です。 要する
に、狡猾に戦後の社会を生き伸びた戦争扇動人達が、戦後の日本
が「素早く」復興したことを根拠に、未曾有の大敗北を喫した戦争を
無残な悲劇としてでなく、終わりよければ全てよしとばかりに、
ハッピ−エンドの物語に偽装するために考え出した言辞です。
しかし、負け戦での戦死を価値化しようとしても土台無理な話です。
日本の支配層は、治安維持法で自由な言論を統制し、鬼畜米英な
どと国民の恐怖心をあおり、国民をだまして無謀な戦争を始めたの
に、卑劣にも皇族東久邇宮は、一億総懺悔などと言い出して戦争
責任を国民全体に転嫁し、天皇をはじめとする戦争指導者達の
戦争責任を隠蔽しようとしました。 この「礎説」は、生き残った戦争
扇動者が考え出し、マスメディアの同類が広めた解釈で、戦争責任
者を救済するための虚構です。
政府や軍、マスメディアに巣くい、戦争の大義を捏造して国民を騙
した昭和天皇を含む無脳な戦争指導者も兵士を「犬死」させたA級
戦犯です。不本意であれ、最終的には最高責任者として戦争を
承認したのですから、昭和天皇には逃れがたい戦争責任がある
ことは、本人も認めているように間違いありません。
戦争指導者達は、日本の国力を過大視して日本を帝国主義的な
植民地争奪戦に参加させ、挙句の果てに狡猾なアメリカのワナに自
らはまり、戦争か「全面降伏」かと恫喝される状況に自ら陥りました。
戦争責任者達は、長年国民に対して大言壮語をしてきたので、また
植民地争奪戦のために多くの犠牲を国民に強いてきた手前、「全面
降伏」を選択して植民地争奪戦の「成果」を手放すと天皇制そのも
のの危機に陥りかねないので、結局あのような無謀な戦争を選択
するしかなかったのです。まさに、天皇制という国体護持のために
戦争を始めざるを得なかったのです。
民間人にさえも無謀な戦争だとわかっていた人がいました。第一
次大戦の経験から総力戦になることもわかっていたはずです。
しかし、天皇制を維持するために、極めて甘い予測で戦争を始め
て、日本を戦争加害者の立場、「悪」の立場に貶めたのです。先の
大戦は単に「止むを得ない戦争だった」のではなく、天皇制を守る
ために「止むを得ない戦争だった」のです。戦争を唱導した天皇、
その他全ての政治家や高級官僚、指導的軍人は、皆日本人自身
の手で断罪されるべきでした。
二、
「イジメ」で自殺した学童は、自殺しなければならなかった
苦悩を関係者に理解して欲しいはずです。誰でも「イジメ」ら
れたら、自分と同じように苦しむと思える人は自殺はしませ
ん。自分だけが特別に弱い存在で、そのような弱い自分は
生きる価値がないと自分自身に絶望して、極限の自虐心理
に押しつぶされ自殺するのです。ここに彼らの本当の悲惨・悲劇
があります。ですから、彼らが体験したこの悲惨な心理まで理解
しなければ、彼らを本当に供養したことにはならないでしょう。
「イジメ」で自殺した学童の死を、生き残った関係者が、その死
によって「イジメ」が減ったことを根拠に、「イジメ」が減らすために
貢献したと死を価値化して解釈しても、それは生き残った関係者
にとっての死の解釈です。同様に「礎論」も、これと同じ生き残っ
た人による解釈ですが、生き残った私達に都合が良すぎるこじ
付け解釈です。戦争犠牲者達が死んでも死に切れない死を、
「犬死」を強いられたことをに彼らの真の実相があり、悲しみが
あります。ですから、「イジメ」で自殺した人と同じように、この彼
らの悲しみを直視し、彼らの無残な死と悲しみに思いをはせる
ことこそが真の戦争犠牲者達への供養です。
戦死ならまだ良い死に方でした。日本の戦死者には、異常な
ほど餓死で死んだ兵が多いのです。信じ難いことに、軍事物資
や食料の補給を重視するという初歩的な軍事知識さえない無能
な軍首脳達が、一番大切なこの補給を無視したため、兵士達は
派兵先の現地住民から食料を強制徴発せざるを得ず、強盗・
盗賊と見なされて殺されたり、極限的飢餓状態で、死んだ仲間の
日本兵の死体さえ食べて生き延びらざるを得ない状況に陥った
兵士もいたのです。
餓死した兵士達が、子孫の私達も戦場で餓死することを望む
はずがありません。仲間の死体を食べなければならないような
悲劇が再現されることを望むはずがないのです。彼らが望む
ことは、自分と同じような無残な死に方を、子孫の私達が再び
しないことであるはずです。ですから、彼らはどのように死んだのか
真実を知ってもらいたいのだと思います。どんなに悲惨な死であれ、
その死の悲劇的な実相から視線をそらし、「英霊」などと美化・価値
化してしまうことは、一見戦死した兵士達を尊重しているようで、実は
逆に犠牲者達の死を愚弄・冒涜することなのです。
なぜなら、彼らが自らの死をもって子孫の私達に残してくれた「戦争
の真の姿」という「知識・教訓」を無にすることだからです。欠陥自動
車の死亡事故の原因が、自動車の欠陥ではなく道路の不備とか雨
などが原因とされて自動車の欠陥が発見されなかったらどうでしょう
か。どんなにその人の生前の業績を賞賛されたとしても、自動車の
欠陥が見過ごされたら事故死した人は、死んでも死に切れないで
しょう。奪った命を政治的に利用して靖国神社のカミに祭あげ、
新たな戦争犠牲者を生み出す道具にしているのですから、天皇制
国家は卑劣極まりありません。
三、
本当は、私達は戦死した兵士達が今どこに居るのかさえわかり
ません。しかし、靖国神社に行きお参りすると心が晴れます。
なぜ、少しであれ靖国神社にお参りすると心が軽くなるのでしょう
か。それは「英霊」などとカミとして価値化せずにはいられないの
は、戦死した兵士達に対して後ろめたい気持ちがあるからです。
この「後ろめたさ」を解消するためにカミに祭り上げているのです。
つまり、本当は「英霊」と呼び「英雄」として遇することで、戦死で
きなかった私達は、自己を「免罪」しているのです。それが、靖国
神社に行きお参りすると少しではあれ、心が晴れる理由であり、
証拠です。全ての墓、慰霊施設と同じように、靖国神社を必要
としているのは「英霊」ではなく、生きている私達自身なのです。
しかし、この「後ろめたさ」は、戦争責任を国民全体に負わせる
一億総懺悔論が産み出した幻想です。本当の最高戦争責任者
である天皇や政府、戦争を扇動したマスメディアに国民の憎悪
が向かないように、組織的プロパガンダが行われた成果なのです。
それで、戦死者が今どこに居るのかわからないのを知りながら国家
的功労者として「英霊」と呼び、遺族以外の人も毎年靖国神社に行
きお参りをしているのです。
戦死した兵士達のほとんどは、第一義的には国家のためでは
なく、自己の家族のために戦ったので、天皇から見た場合だけ彼ら
は国家に殉じたのです。天皇の立場からは、家族のためだろうが、
国家のためだろうがどちらでも同じなのです。戦死した兵士達は
国家に殉じた、自分達国民のために死んでくれたと幸せな勘違い
をしている人は、自分を天皇と勘違いしている人か、よほどの
世間知らずのお人よしです。高校野球などで、単に好きな人の
気を引こうとしてがんばっただけの選手を、学校のため、自分達
在校生全員のためにがんばってくれたと幸せな勘違いしている
のと同じです。 ですから、彼らは、彼らの家族にとっては「英霊」
ですが、国家に対しては、国体=天皇制を守るための捨石
にされた文字どうり天皇制国家の戦争犠牲者なのです。
あの戦争に勝ち、辛うじて生き延びた多くのアメリカ兵達も、
結局、朝鮮戦争で戦死してしまいました。あの兵士達が死ん
で、日本に良いことなど何も無かったのです。310万もの
日本人が死んだら、戦争に勝ったとしても何の意味もありま
せん。戦死した兵士達が本当に望んでいるのは、彼らの死を
「英霊=英雄」などと価値化して新たな戦争犠牲者を出すこと
ではなく、逆に彼らの真の悲劇を直視して、「戦争は勝っても
負けても民衆にとってよい事は一つもない」(吉本隆明)という
戦争の真実を生き残った日本人とその子孫の私達の脳髄に
刻み込むことだと確信します。
「市民の風」石井孝夫
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11月 9th, 2007 at 12:05:56
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