「平和への結集」をめざす市民の風・活動方針

2010年10月3日の第6回総会で採択した 「平和への結集」をめざす市民の風・活動方針です。

 改憲を巡る情勢はどうでしょうか。2007参院選では、相対的に護憲派の多かった民主党が勢力を伸ばしたことで、安倍改憲の危機をしのぐことができました。しかしその後の2009衆院選では民主党内の改憲派割合が増加しています。さらに2010参院選では民主党が後退し、自民党とその分派であるみんなの党が復調・躍進したため、参院の改憲派割合は増加に転じました。民主・自民が国会の多数派である以上、改憲の危機は慢性的に続きます。

 新たな改憲ルートの開発が模索されており、注意が必要です。自民党は財政規律の確保を憲法に盛り込む意向ですが、これは国会議員の定数削減で理屈の1つに使われているのと同じ「無駄削減」という発想で、国民受けする可能性があります。自分で借金だらけの国にして、それを改憲に利用する。自党を律した方がいいでしょうに。

 一方、鳩山前首相は地域主権ルートの改憲を構想しています。「今考えられるベストな国のあり方のための憲法を作りたいという気持ちがある。必ずしも9条の話ということではなく、地方と国のあり方を大逆転させる地域主権という意味における憲法の改正だ」(2009年12月27日付読売新聞)。

 このように環境権以外にもいわゆる加憲のメニューは増えていくでしょう。

 加憲を餌にしてそれと抱き合わせでまず狙われるのは改憲発議要件の緩和であり、国会議員の定数削減と目の付け所・目的がまったく一致しています。いずれも本命改憲のお膳立てとして機能するものです。

 改憲の切迫した危機がないからといって、今それに対抗する手を打つ必要がないというわけにはいきません。財政規律や地域主権の論議は、橋下大阪府知事の人気などと相まって、改憲につながる可能性を持っています。

 また今回の尖閣諸島沖漁船衝突事件も、この事件を軍事的に処理しようとする機運を生み出しかねず、9条改憲の世論を高める危険性があります。今9条を守ろうとする勢力がこの問題を平和的に解決せよ、と関係各国の政府に強く要求するのでなければ、9条がないがしろにされ、国民の間で「最後は実力しかない。これが国際政治だ」との声が大きくなることも懸念されます。

 普天間基地問題では、民主党政権が最終的に辺野古案に回帰しました。5月28日の日米外務・防衛閣僚合意は、辺野古新基地を自衛隊と共同運用したり、思いやり予算をグアムの環境対策にまで充てたりする可能性を盛り込んでおり、自公政権の移設案よりひどい内容になっています。鳩山前首相は国民主権と地域主権を踏みにじる決断をせざるを得ませんでした。

 改憲と沖縄の基地問題は切っても切れない関係にあります。現行憲法95条は、特定の地方公共団体に対する差別的な法律の制定を阻止するために住民投票を義務付けていますが、自民党の「新憲法草案」ではこの95条がバッサリ削除されています。自民党流の改憲が実現すれば、「沖縄差別恒久法」のようなものを堂々と成立させることができるのです。

 95条削除はもちろん、沖縄や米軍基地だけの問題ではなく、あらゆる自治体に差別が及ぶ事態を可能にするもので、誰にとっても他人事ではありません。特に放射性廃棄物処分場の建設などで生きてくる可能性が想定されます。

さらに国会議員の定数削減も、まやかしの「身切り論」を弄しようが、国民主権のさらなる切り崩しであることは明瞭です。

 このように国会多数派が「差別」「民意・国民主権の切り捨て」という政治原理を貫いている以上、主権者は主権者の政治を強く求めなければなりません。

 官僚主導と政治主導の対立が演出されていますが、主権者を踏みつける主導権が別の権力に移譲されるだけでは困ります。マニフェストの一部にすばらしい政策が書かれていても、一方でかつての労働者派遣法や後期高齢者医療制度のような差別法制が制定されてはたまりません。

 主権者としてもいわば景品に騙されず製品本体に対する目を肥やさなければならないということでしょう。製品本体とは要するに民主主義のことです。製品本体政治のないところで景品政治に目を奪われると、主権者が振り回されます。「政治主導」や「マニフェスト」や「政治改革」…などを言う前に、政党は民主主義政治を誓約する必要があります。

 国会多数派は、明らかに民主主義政治と主権者に対立しています。こうした政治状況においては、民主主義政治を求めているはずの少数派諸政党の間で、政党連合を作って活動する意義は小さくないし、その条件もあるのではないか、と思われます。政党連合で合意できるのであれば、小選挙区制下においては選挙共同が有効な手段となります。

 政党連合、特に選挙共同では政党がどの範囲の個別課題で合意を得るか、それを「支持者」にどう説明するか、ということが問題とされます。しかし製品本体以外の個別課題は、「主権者」との間で個々に合意するものではないでしょうか。民主主義政治、製品本体政治の土台を固めることが優先されるべきです。

 慢性的な改憲の危機という状況の中では、安倍元首相の時のように差し迫った改憲の危機があった時に比べ、平和共同候補の重要性は強く意識されませんが、改憲の危機が差し迫った段階で平和共同候補運動に取り組んだのでは手遅れになります。

 平和への結集・市民の風は当初、少なくとも2007参院選とその後の衆院選で平和共同候補の擁立を目指すとしました。その後情勢の変化はありましたが、改憲危機の顕在化に備えるとともに、国会多数派が民主主義政治に敵対して国民要求を切り捨てている状況に対抗するため、市民が政党に選挙レベルまで踏み込んで要求していく運動の意義は、失われていません。

 従って、平和への結集・市民の風は今後も存続し、差し当たっては主として国会議員の定数削減を食い止める運動を個人・団体・政党とともに実践していきながら、さらに広範な市民・政党共同を目指していきたいと思います。

2010年10月3日

「平和への結集」をめざす市民の風
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