「平和のためのコンサート」と芝田進午・貞子夫妻の闘争

                             櫻井 智志
はじめに

  2011年の6月11日に、12回目の「平和のためのコンサート」が行われた。早いもので、このコンサートが開始されてからもう十二年の歳月が流れた。手元に、インターネットに投稿した中で集められた範囲内だが、第八回から今回までのコンサートについての随想がある。2008年、第八回のコンサートからの書き溜めた文章を提示する。そのことを通して、このコンサートの意義を探りたい。さらに、主宰者の故芝田進午氏と、芝田氏亡き後に運営を受け継いだ声楽家でもあるご夫人の芝田貞子さんとの、持続するご努力とをたどってみたい。

 

一  今も生きる芝田進午氏の平和希求の思想
 「週刊金曜日」誌の市民運動案内板に五行の短い案内があった。
会場は、東京都・牛込箪笥区民ホール。「平和のためのコンサート 芝田進午七回忌によせて」。このコンサートは毎年行われて今年が第八回となる。関係者の間では、チケットの普及の様子を危ぶ時期もあったようであるが、会場はぎっしりと埋まっていた。昨年よりもはるかに多かった。コンサートは、東京で一九九五年まで十年間続いたノーモアヒロシマコンサートを継承する第一部と多彩な音楽家が演奏した第二部から編成されていた。
 わけてもチェルノブイリ原発事故で一九八六年に被曝したウクライナ生まれのパンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんが第二部に特別出演された。このことは、アメリカの原発もロシア・旧ソ連の原発も共に、「人類絶滅装置体系」としての核兵器の巨大な問題の存在を思想史的に位置づけた芝田進午氏が、「人類生存のための哲学」の構築を晩年に訴え続けた趣旨にとてもふさわしい出演であった。音楽的にも素晴しかった。
 ヒロシマに落とされた原爆が、世界的規模の核時代の始まりであり、そのような時代において人間はいかに生きいかに立ち向かうか。そのことを洞察して、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを始めたのが、平和哲学者芝田進午さんとご夫人で声楽家の芝田貞子さんだった。
 私にとり、今回話された二人の講演にとても得るものが多かった。音楽家の木下そんきさんは、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを主宰した芝田さんが、論理の帰結に誠実であった生きる姿勢を讃えた。戦前に、大学の講壇哲学に所属して、社会的実践に踏み出すか否かを迷っていた古在由重氏は、親友の吉野源三郎氏と真剣に討論した結果、自らが正しいと論理的に判断した結果には、いかなる困難があっても、その労苦に耐えて一歩踏み出すべきだ、という助言を取り入れた。戦前の激動を生き抜いた両氏とまったく同じ生きる姿勢を、芝田進午氏は戦後に生きて活躍された実践的知識人として貫かれた。
 弁護士の島田修一さんは、「憲法第九条を守る意味」について述べられた。 戦後に制定された日本国憲法は、三つの国家像として平和国家、福祉国家、人権国家の論理を内包している。それに対して改憲勢力の中枢の自民党憲法改定案の示す国家像は、戦争国家、福祉切り捨て国家、人権抑圧・制御国家である。
 この対比は、十五年戦争に至る時代と戦後の憲法制定前後の時代との対比に照応している。当時、人間の尊厳をかけて多くの若者たちが立ち上がっていた。
 現代の日本は、心がぼろぼろにされ、個々人がバラバラにされているけれども、全国に広がる九条の会などのように、人間の尊厳をかけた若者や人々達がいることも私たちの実態であることを強調された。コンサートを鑑賞して私は島田さんが引用した言葉、「戦争は人の心の中につくられるものであるから人の心の中に平和の砦を築かなければならない」が深く心に響いていた。ユネスコの宣言にも採用されたこの言葉は、あの平和哲学者カントの言葉でもある。
 芝田進午氏は、晩年に実践的唯物論哲学の原則は堅持しつつも、人類存続のための平和の哲学構想を抱いていた。先生のご逝去からわずか数年にして、これだけ急速な短期間に日本が軍拡国家となりはてようとは。死者に魂があるかどうかは無神論者の私には自信がないけれども、死者の平和への深い祈りを、決して無にしてはならない。さもなくば、日本国家ならびに日本民族は永久の地獄へと沈んでゆくことであろう。死者の遺志を現在に生かすには、どのような方途が残されているか。
 まだまだ私たちは死者の声に耳を傾けなければなるまい。そうしていつか、本当に死者の霊を弔うことができるとしたら、それは日本が世界に誇るべき戦力放棄の平和国家となった独立の日においてはない。 

       

二 2008年、今年も「平和のためのコンサート」がやってくる
 ノーモアヒロシマコンサートを主催し、核時代における人類生存の哲学を探究した芝田進午さん。芝田さんが胆管ガンで志なかばでご逝去されてからも、この平和のためのコンサートは、夫人の芝田貞子さんを中心とするコンサート実行委員会によってずっと絶えることなく続いてきた。
 今年も六月十四日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。第一部と第二部に分かれ、一部はコンサート、二部は作家の梁石日(ヤン・ソギル)さんの講演。
 第一部では、声楽家でもある芝田貞子さんもメンバーのアンサンブル・ローゼによる童謡やサウンドオブミュージックの重唱。信田恭子さんのヴァイオリン独奏。島筒英夫さんによるピアノと語りの二重奏。島筒さんご自身の作曲で、「ちいちゃんのかげおくり」「かさじぞう」。最後は会場全員によるシングアウトで「翼をください」。
 第二部では、週刊金曜日でも小説を連載中の梁石日さんが、「在日コリアンの現在」を講演なさる。梁さんは、1936年に大阪府で生まれた。『血と骨』で第11回山本周五郎賞を受賞、百万部突破のベストセラーとなった。他に『夜を賭けて』『Z』『断層海流』『族譜の果て』『子宮の中の子守歌』『闇の子供たち』など。近著に『カオス』がある。
 一時半会場、二時開演。会場の牛込箪笥(たんす)区民ホールは、都営地下鉄大江戸線で牛込神楽坂駅A1出口徒歩0分。東京メトロ東西線なら神楽坂駅2番出口徒歩10分。全席自由で2200円。主催は、「平和のためのコンサート実行委員会」。後援は、アンサンブルローゼ、ノーモアヒロシマコンサート、ストップザバイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、新井秀雄さんを支える会、バイオハザード予防市民センターの諸団体が広く支えている。

 

三 芝田進午氏の遺志を継ぐコンサート(2009年)
 6月20日に平和のためのコンサートが開催される。会場は新宿区の牛込箪笥区民ホールである。詳細はさざ波通信伝言欄に投稿して掲載していただいたので、重複は避けたい。
 アメリカのオバマ大統領が核兵器廃絶の声明を出した。それよりもはやく数十年前に、法政大学、広島大学などを歴任した社会学、哲学教授の芝田進午さんは、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」を東京と広島で別個に十年間以上も開催してきた。このコンサートに取り組んだ芝田さんご夫妻は、国立予防衛生研究所(現在は国立感染症研究所と改名)が新宿区戸山に強行移転して、住民の住宅や大学などが密集する住宅街で実験を強行し続けてからは、ずっと実験差し止め裁判闘争に地元住民の原告代表として闘い続けた。
 道半ばにして、第一審の判決がおりる頃に、わずか二か月前に、胆管がんによって芝田さんは、周囲の悲嘆の中で御逝去された。まだ七十才を超えたばかりの悲報であった。
 芝田さんの志を次ぐひとびとは、「平和のためのコンサート」を開催し続けた。今年はちょうど祈念すべき第10回となった。
 核兵器廃絶も、人類にとって緊急の課題である。同時に生物兵器実験など生化学の分野における実験によって、今まで自然界になかった生物が安全性を無視して世界各国で繰り広げられたなら、自然の生物連鎖や自然界の調和はとんでもない事態に至る。芝田さんが生物化学災害としてバイオハザードの危機的事態を懸念して、最後は最高裁にまで及ぶの国家権力を問う裁判闘争に、今までのすべての研究課題を棚上げして取り組み続けた事実
 このことは、東京地裁判決前に芝田さんがなくなり、その後の最高裁において敗訴し、その数年後の現代、思わぬ被害となって現実のものとなった。
 メキシコから始まった豚ウイルスによるインフルエンザの世界的流行は、自然界からおきたインフルエンザではなく、さまざまな憶測を呼んでいる。ひとつだけ確実なことは、核兵器によるジェノサイドにとどまらず、バイオハザードによる重大な被害が現実のものとして国境を越えて、世界中の民衆にとって重要な克服課題となったことである。
 「平和」がいまこそ改めて問われている。今回の記念的コンサートでは、原爆資料館を統括する広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんが、日本語で記念講演をしてくださる。
 私は、芝田進午さんが御逝去されてからも、この平和のためのコンサートを聴きづけてきた。それは、このコンサートが、聴く者に大きな感動をもたらしてくれるからである。さらに、芝田さんが訴え続けた「人類生存のための哲学と文化」について改めて自らの問いとして考えさせられる、祈りに似た沈黙の言葉にふれるからでもある。

四 よみがえる芝田進午さんの反核平和文化の闘い   (2010年)
 哲学者であり、社会学者でもありつつ、思想家としても大きな足跡を残された芝田進午さん。氏が逝去されたことはその独自の創造的な学問が閉ざされることで、大きな痛手であり、なおかつ損失でもあった。
 しかし、芝田進午氏がご逝去された後も、氏の社会的実践は明確に跡を継承するかたがたがいる。
 ひとつは、住宅密集地の新宿区戸山に移転を強行した国立感染症研究所の実験差し止め裁判を、芝田さん亡き後も最高裁まで上告し闘い続けた裁判の会の皆さんたちである。
 そしてもうひとつ。「平和のためのコンサート」である。今年も芝田進午氏夫人である芝田貞子さんが芝田先生の遺志を継承して、今年も第11回平和のためのコンサートを、6月12日(土)に新宿区牛込箪笥区民ホールで開催される。詳細は「平和のためのコンサート」ホームページにくわしい。
 私はほぼ毎回このコンサートを広く世間の皆さんに知らせたいと思い、記してきた。
 だが、それはコンサートの告知作業を目的としているわけではない。実践的唯物論哲学を構築され、さらに人類生存のための哲学をめざす途上でご逝去された芝田哲学を、亡くなった後も、その実践面で継承し続けるかたがたがいる、という事実。
 私自らは、バイオハードを予防し阻止するための社会運動に加わってはいない。平和のためのコンサートにも、いわば傍観者のひとりである。
 だが、学生時代に著作に感動して、別の用事でご自宅を訪問して、じかにお会いしてから、芝田進午さんのおひとがらに、氏の著作『人間性と人格の理論』が目指した理論と同様に、解放された人格をひしひしと感じた。
 芝田氏自らが「唯物論を体現したとしたら戸坂潤という人格となる」と紹介されたように、「人間性と人格の疎外から解放された人格」を体現した人間像として、芝田さんご自身が該当されよう。同様の趣旨のことを、氏を直接知る多くの良心的知識人や実践家がおっしゃるのを聞いた。
 今回も「平和のためのコンサート」がやってくる。それは、芝田さんの平和的文化運動を継承し続けている存在が健在であることの証である。私は、できるかぎりこれからも、このコンサートの意義を伝えようと考えている。
 毎回コンサートの前の第一部は講演がなされてきた。今年は、お二人の朗読とともに詩人橋爪文さんの講演『広島からの出発』である。

 

五 福島原発事故の情勢下での2011年「平和のためのコンサート」開催
 哲学者にして社会運動家でもあった芝田進午さんは、1980年代という今からさかのぼること30年前後に、著作『核時代?思想と展望』『核時代?文化と芸術』(青木書店)で重要な問題を提起されている。「核という火の暴力」によって殺され冒瀆された人々としての被爆者、「核によってつくられた日の暴力」によって殺され冒瀆された人々としての被曝者を区別した。さらに「死の灰」を体内に吸収され、遺伝的影響は予測できない、全世界の潜在的被曝者は全人類と及ぶとして、「ヒバクシャ」ローマ字の「HIBAKUSHA」としての人間存在を提起していた。そうして、学問と芸術、思想と社会運動の全面にわたって総合的な具体的展望を示された。
 それから30年。2011年3月11日に、日本では、被爆者の悲劇から被曝者の発生と「ヒバクシャ」の顕在化と事態は容赦ならない事態が発生した。今日驚くことは、もし東日本大震災なみの地震が、現在国立感染研究所が立地している新宿区戸山の土地に影響を与える地震規模だった場合に、福島原発事故に匹敵するほどの実験用微生物細菌類は、実験施設の枠組みから飛び出し漏れ出して、周囲の住宅街や施設、学園等をはじめ恐るべきバイオハザード(微生物被害)によるバイオサイド(生化学細菌等による人類自然への壊滅的破壊被害)をひきおこしたであろう。
 芝田進午さんは、住宅密集地における危険な微生物細菌の実験施設の強行移転阻止の裁判闘争の原告団代表として闘いの先頭であり中心になり闘い続けた。 その先駆的予見は実に見事な展望と闘争であった。
 道なかばにして、芝田さんは胆管がんによって惜しまれる中をご逝去された。
 しかし、ノーモア・ヒバクシャとノーモア・ヒロシマ・コンサートは、芝田さんの死後も、音楽家・声楽家である夫人の芝田貞子さんを中心に、「平和のためのコンサート」として欠かすことなく毎年開催され続けてきた。
 毎回芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼは芝田貞子さんを支援し、後援団体の一翼を担い続けるとともに、毎回素敵な声楽を披露し続けてこられた。
 ノーモア・ヒロシマ・コンサート、ストップ・ザ・バイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、バイオハザード予防市民センターは、核と環境破壊、危険な生化学実験と闘い続けた芝田さんの遺志を尊重し応援し続けてこられた。
 毎年続くとマンネリ気味になるのが、継続する催し物であるけれど、このコンサートは全く異なる。日本国内で自国民による原発事故を発生させるとともに、日本国民の多くがヒバクシャとして危機にさらされている中での平和のためのコンサートである。さらに芝田進午さんが道半ばにして斃れたけれど、そのご遺志を継承するたいせつな集いともなっている。
 今年も六月十一日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。
◆  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆
 6月11日の第12回「平和のためのコンサート」は、客席が足らず、椅子を用意して立ち見客に提供するほどの満員の盛況だった。私は毎年見てきたが、このような立ち見席のお客のために途中で椅子を用意したことはなかったと記憶している。
  若い年代の聴衆もかなりいて、大学生や若手勤労者にも支持層が広がっているように想えた。年代は各層にわたり、会場には、芝田進午先生の最後の闘争「感染研実験差し止め裁判闘争」を闘われた学者や知識人、支援のかたがたや「芝田ゼミ」(法政大、広島大、社会科学研究セミナー)で学ばれた多くの方々のお姿も拝見した。
 例年は、一部と二部とあって、講演が入っていたが、今年は講演はなかった。神田甲洋さんの講談は、講談の域を超えて、鋭く「広島、長崎、そしてピース」というタイトルのもとに聞き応えのある平和についての内容のある講談をなされた。もともとの講談師でなく、早稲田大学の政経学部から弁護士となり、社会人として仕事のかたわら、講談にトライして、神田山洋さんの弟子になった。
 さらに、コンサート主宰者の芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼの活躍が目立った。またほかの音楽家の演奏のレベルが高かった。中国音楽の演奏家も味わいある演奏陣だった。メゾソプラノ歌手江川きぬさんの指揮するグループの合唱も心地よかった
 充実した音楽鑑賞を聴いてから、ご長男の芝田潤さんに芝田貞子さんへの伝言をお願いして会場をあとにした。  

 

 むすびにかえて
 東日本大震災を経て、日本政府菅直人民主党連立政権がいかに危機的事態に無力であるかを露呈した。芝田ご夫妻の取り組みは、大地震と国立感染症研究所との大規模な危険性を改めて照らし出した。さらに、福島原発は、福島県内どころか東京都周辺からの汚泥からの高い放射能物質の数値の結果や東京都から以南の遠く静岡県の農作物に及ぶまで、まさに日本全国的規模の「ヒバクシャ」としての日本国民・居住民族・外国人への被害を浮き彫りにした。核兵器廃絶をよびかけ、生物細菌実験施設の住宅街における高度の危険性をよびかけた芝田進午氏の先見の明と、芝田氏を支え続けて今も継承している貞子夫人の意義深い継承の実践は、今日誠に輝かしい意義ある光を放ってやまない。

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