幸福なこどもの日が続くように〜芝田進午氏の復活

櫻井智志

核時代38年1983年に、私達の哲学者にして平和思想家の芝田進午氏は、「マルクスの復活−核時代のマルクス」というきわめてユーモアとウイットに富んだSF風の作品を執筆なされた。この作品は、『唯物論研究』8号(1983年5月)に掲載され、さらに『核時代?文化と芸術』(青木書店、1987年7月)所収の第五部【核時代の文化としての「新しい考え方」】の中に収められている。

芝田進午氏は、核兵器がもたらす悲惨な事態に、学問がその事態そのものへ立ち向かう必然性と必要性とを精力的に伝えた。しかもそのアピールは、自らが「核時代」における生存とその基盤とを学問的に広範に明らかにするとともに、実践として「核時代に生きる」ために貢献した。核兵器を「人類絶滅装置体系」と意味づけた芝田氏は、「反核文化」の研究と普及に一心に取り組みつづけられた。その一環が先駆的な「ノーモアヒロシマコンサート」だった。このコンサートは、広島と東京で十数年も継続した。反核コンサートとして、この平和を願うコンサートの動きは、全国各地の先進的な文化人や平和運動家たちによって燎原の火のように広がっていった。芝田氏がご逝去された後に、ご夫人の芝田貞子氏がその志を継承し、「平和のためのコンサート」を主宰され続けた。芝田ご夫妻に共感する音楽家たちや、住宅地に強行的に移転した国立感染症研究所の実験差し止めの裁判を芝田進午氏と共に闘い、その危険性を学問上でも明らかにされた研究団体などがそれを支えた。

核時代56年2001年3月14日に芝田氏は、胆管がんと闘いながらご逝去された。そして、2011年3月11日に、東日本大震災がおき、福島原発で大事故がおこった。十年あまり後に発生した原発事故は、旧ソ連のチェルノブイリ発電所の原発事故やアメリカのスリーマイル島で起きた原発事故を上回る世界的規模の人工的大災害となった。

芝田氏が「核時代のマルクス」を想像したように、原子力発電所の悲惨な事故が起きた現在に、もしも芝田氏自らがご存命であったなら、どのように考えどのように行動なされたであろうか。
ちなみに今年も開催される「平和のためのコンサート」第13回実行委員会は、こう述べていらっしゃる。
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第13回目となる“平和のためのコンサート”を今年も開催することとなりました。
月日が経つのは早いもので、本年は芝田進午先生の十三回忌にもあたります。また、2011年3月11日の東日本大震災・福島第一原発事故から1年が経ちました。
芝田進午先生は核兵器廃絶を願い、長年“ノーモア・ヒロシマ・コンサート”を主催してこられました。今、芝田先生が生きておられたら、この日本の未曾有の惨状にどんな言葉を語られるだろうか、と考えることがあります。原発は核の「平和利用」の名目で進められてきましたが、ウランの採掘、発電、廃棄物に至るまで一貫して被爆者を生み出し続ける装置でした。私たちがもっと真摯に広島・長崎の被爆者の声に耳を傾けていれば、そのからくりに気がついたはずです。そのことが残念でなりません。同時に、今、私たちの周りでは様々な分断が起きています。放射能は、震災後盛んに使われている「絆」という言葉をも破壊しているように思えます。だからこそ、私たちは音楽を通して、平和を求めていきたいと思っています。
今年は合唱曲「青い空は」の作詞としても知られる、小森香子さんに講演をお願いいたしました。コンサートの最後には、皆さんと「青い空は」を歌いたいと思っています。皆様のご参加をお待ちしております。

2012年(核時代67年)
平和のためのコンサート実行委員会
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実行委員会が明確にされたように、ひとつのサイクルとして、ウラン採掘から、最終の廃棄物に至るまで、「平和利用」とは全く無縁なものが核兵器であり原発であったのだ。 実行委員会はさらに、「様々な分断が起きていること」「震災後盛んに使われた絆という言葉をも破壊していること」を明確にされている。

悲惨な震災被災者や原発事故被災者のかたがたへの社会保障が、憲法の生きる権利とは切断されて、農業、漁業、自営業、就労など生活の基盤や土台においても「復旧」ではなく、大規模な資本集約型の産業によるリストラや弱肉強食による構造改革型の「復興」が推進されている。震災前から全国各地で進められていた過疎化による生活困難は、広域地方自治体再編成による地域生活の破壊などで始まっていたが、震災後に政府は、地域再生よりも新たな公共体管理の推進で、ますます生存競争激化型の政策へと動きつつある。

全国各地で、善意で唱えられた「絆」は、新たなナショナリズムの装いを帯びて、現実に被災にあった人々の日常生活の困難さや体内被曝の危険を解決する福祉政策とは隔たり、上からの「絆」キャンペーンによる精神的同一化を志向している。
私は、この13回コンサート実行委員会起草文書こそ、核時代第二段階と呼ぶべき今日の日本を、的確に見通し短い言葉で見通した重要な文章であると感じた。
そこに流れる思想こそ、芝田進午氏が現在日本に復活したら、きっと同じ分析をなさっていることだろう。

なお、芝田氏は核時代40年1985年に「反核コンサートの二つの課題」という論文を執筆なされている。反核コンサートの隆盛と支える献身的なかたがたへの感謝を前提とした上で、以下の二点を掲げている。端的に記すと、
?反核コンサート間で競争もうまれ、赤字になることも多くなる。新しい聴衆を開拓し、ふやし組織すること以外には解決策はない。同時にこのことは反核運動を拡大し発展させることでもある。このことは反核コンサートの運動が、やりがいのある正念場にさしかかっているといえるだろう。
?反核コンサートの可能性の一つは、合唱曲、クラシック、ポピュラー、邦楽などジャンルの多彩な音楽作品が反核という一点で統一され、演奏されうること、そのことで違和感どころかかえってジャンルをこえた相乗効果が強められる。個性のある反核音楽の作品を全体の有機的なプログラムにどう編成するか。一夜のプログラム全体の構成(コンポジション)が、字義どおり作曲(コンポジション)そのものであり、新しい課題である。

さて、第13回のコンサートは、6月9日(土)午後二時開演(開場一時半)である。会場は例年どおり、牛込箪笥区民ホールである。全席自由で2200円。
問いあわせは、電話ファックスともに03−3209−9666芝田様方である。
第13回平和のためのコンサート
http://www.biohazards.jp/index-c.htm
が詳細を伝えている。なお、コンサート後の様子も例年ホームページで親切に伝えて下さっている。

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