第23回参議院選挙無効請求訴訟を提起

8月16日、2013年参議院選挙の無効請求訴訟を東京高裁に提起しました。事件番号は平成25年(行ケ)第92番。

再改訂確定版(改訂確定版から主に、結論の2と3、それに対応する緒論(0)、論点(2-ア)の部分を変更):
http://otasa.net/documents/Suit Seeking Invalidity of the 2013 Upper House Election Final Version(20130816).doc

上のURLではダウンロードできない方がいるようなので、下記を追加(2013年10月9日)。

http://otasa.net/documents/2013_Upper_House_Election_Complaint.doc

pdf版を追加(2013年11月14日)。

http://otasa.net/documents/2013_Upper_House_Election_Complaint.pdf

無効請求訴訟は選挙日から30日以内なので、8月20日(月)まで可能です。まだ間に合います。皆さんの選挙区を管轄する高裁にも是非、提訴をご検討ください。ある選挙区の無効訴訟を提起できるのは、その選挙区の選挙人です。

私の訴状をそのままお使いになっても、取捨選択してお使いになっても結構です(「平和への結集」をめざす市民の風の事務局まで事前にご連絡ください→http://kaze.fm/contact.html)。原告と被告、管轄高裁、千葉選挙区に言及した論点(4)を変更すればOKです。もちろん提出日も。

収入印紙の欄は空白のままで結構です。印紙代が2万6000円、切手代が8080円必要。東京高裁で割り印は不要でした。訴状は計3部作成してください。住民票1通も必要です。

事前の電話照会で、千葉県選管(千葉選挙区)と中央選挙管理会(比例区)を私の訴状のように1つの事件の2つの被告とするのではなく、それぞれ別の事件とするのが普通、のような回答でしたが、今回は1つの訴状に両被告を掲載する形が認められました。訴訟を提起される場合、念のため、この点に関して、高裁に問い合わせるとよいでしょう。

選挙結果は総務省のサイトや時事のサイトなどで分かります。分析もご参考にしてください。

平和への結集ブログ » 2013参院選――結果分析
http://kaze.fm/wordpress/?p=475

http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/index.html
http://www.jiji.com/jc/2013san

訴状の「第2 請求の原因 3 憲法違反・公職選挙法違反の事実」の目次と、目次だけでは内容が見当できないと思われる緒論(0)、論点(2)の全文、「第3 結論」を掲載しておきます。

(0)緒論
(1)比例区の定数枠から無所属候補を締め出す現行選挙制度は制限選挙を禁止する憲法に違反
(2)投票価値の格差の本質は生票と死票の対立にこそある
 (2-ア)投票価値の本質
 (2-イ)50%未満の得票率で50%超の議席占有率を許す現行選挙制度は多数決さえ保障しない
(3)選挙区によって異なる選挙制度を適用することは投票価値の格差をもたらす
(4)千葉県選挙区の選挙の違憲性とその他の選挙区の選挙の違憲性
(5)公職選挙法の供託金・立候補者数規定は「正当な選挙」どころか「不当な選挙」を規定するもので、憲法第14条に違反する
(6)野宿者の方などの選挙権が剥奪されている

(0)緒論

 まず、本件訴訟は、「定数是正訴訟」ではなく、選挙区間での「定数配分の格差」とは別の選挙権の格差を論点とするものである。選挙区間での「定数配分の格差」は、人口ないし有権者数当たりの定数(議員1人当たりの有権者数)の選挙区間での不均衡を論点にするものであり、議員1人当たりの有権者数が同じであれば、1選挙区内の定数がどうであるか、つまり小選挙区であるか中選挙区であるかなどを問わない。本件訴訟では、議員1人当たりの有権者数を選挙区間で揃えただけでは解消されない選挙権の格差を論点とする。

 平成24年の最高裁判決でも「憲法は,選挙権の内容の平等,換言すれば,議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等,すなわち投票価値の平等を要求していると解される」とある通り、法の下の平等を「選挙権」「投票の有する影響力」「投票価値」に適用しているのであって、「選挙権」「投票の有する影響力」「投票価値」の格差が「定数配分の格差」だけだと判断しているわけではない。

平成23年(行ツ)第64号 選挙無効請求事件
平成24年10月17日 大法廷判決(7ページ)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20121017181207.pdf

 広島高裁岡山支部は2013年3月26日、2012年衆議院選挙の岡山2区の選挙を憲法違反とする判決の中で、「選挙区制を採用する際は、投票価値の平等(すなわち、選挙区(国民の居住する地)によって投票価値に差を設けないような人口比例に基づく選挙区制)を実現するように十分に配慮しなければならない」と述べている。

 広島高裁岡山支部判決は、訴状の争点に従って、区割り選挙(「選挙区制」)を前提にするなら人口比例選挙をせよ、と求めたのであり、人口比例選挙だけを実施すれば平等な投票価値が実現する、と判断したわけではない。

 「定数配分の格差」に対応する「1票の格差」という言葉はマスメディア用語であり、一連の「定数配分の格差」訴訟で山口邦明弁護士グループは正しくも「1票の格差訴訟」ではなく「定数是正訴訟」と呼ぶべきだと主張している。「定数配分の格差」だけが投票価値の格差でないことからして、当然であろう。

2013/03/26 「一票の格差」訴訟 東京高裁「違憲」判決 記者会見
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/70047

 そのメディアも最近になって、定数配分の格差以外の投票価値の格差を概念化し出した。読売新聞(2013年3月23日)は自由民主党の細田博之衆議院議員が提案している衆院比例区「中小政党優遇枠」案を評価するに当たり、「政党間」での「1議席あたりの得票数」を比較して、「社民の約26万票、公明の約27万票に対し、自民は約62万票で、大きな格差が生じている」と問題視している。

 産経新聞(2013年3月30日)に至っては、同案が「政党間での一票の格差」を新たに生み出し、「投票価値の平等」に反すると明確に書いている。ただし後述するように、「政党間での一票の格差」は新たに生み出されているわけではない。原告はこの産経記事の前から「政党間1票格差」という表現を使用している。2012年衆議院選挙比例区でも社会民主党は議員1人を当選させるために全国集計レベルで自由民主党の4.87倍もの票を要した。

 平成24年最高裁判決が言う「選挙権」「投票の有する影響力」「投票価値」の格差は、「選挙区間」で比べる「定数配分の格差」(1議席当たりの有権者数の格差=定数分布の人口比例からの破れ)だけではなく、「生票を投じる有権者グループ」と「死票を投じる有権者グループ」の間で比べる「投票価値の格差」(生票・死票間1票格差=当選議員分布の投票者数比例からの破れ)(ここで「生票」とは候補者の当選に寄与した票の意味)、「政党間」で比べる「投票価値の格差」(政党間1票格差=1議席当たりの得票数の格差=当選議員分布の投票者数比例からの破れ)、言い換えると「政党間」で比べる死票率の格差、候補者類型の違いで比べる定数枠の格差(無所属候補が比例区の定数枠から締め出されている)、「選挙区間」で比べる死票率の格差など、多様な切り口がある。

 多様な類型を含む「1票の格差」および「1票の価値」をマスメディアが選挙区間の「定数配分の格差」(に対応する投票価値の格差)の意味でのみ使用していることに、投票価値の格差に関する議論が混迷している一因があるだろう。

(2)投票価値の格差の本質は生票と死票の対立にこそある

 従来の定数是正訴訟では、憲法14条違反や「主権者の多数決論」などが争点とされてきた。国会議員の背後には同数の主権者ないし有権者がいるべきであるとする「主権者の多数決論」では、「生票を投じる有権者」と「死票を投じる有権者」を区別せず、選挙区の間で「選挙時」の「有権者」数の違いを問題視する。「選挙後」の投票価値を考慮せず、「死票を投じる有権者」にも投票価値を持たせることで「投票価値」を誰が持つのかという主体を曖昧化してきた。

 小選挙区制などの相対多数代表制(得票率の相対順位で当選者を決定)の下では、1つの選挙区で「有権者」という類を構成する選挙民が等しく同じ投票価値を持つということは不可能であって、「生票を投じる有権者」と「死票を投じる有権者」で投票価値は異なるし、どの政党候補に投じるか、候補者数がどれくらいかなどで投票価値は異なる。投票価値はその選挙区の「有権者一般」に一様なものとして保障されているわけではない。

 投票価値は生票を投じることで初めて発生するから、マスメディア用語としての選挙区間の「1票の格差」(定数配分の格差)はあくまで、投票率が両選挙区で同じ場合に、「生票を投じる有権者」グループの間で、「議員1人当たりの投票者数」(有権者数でない)を比較した比率としてしか意味を持たないだろう。

 このように定義した比率とて、候補者数の違いなどによって、選挙ごと、選挙区ごと、有権者ごとに異なる。「議員1人当たりの投票者数」は生票率に対応するが、生票率は選挙ごと、選挙区ごと、有権者ごとに異なるのだから、一定していないのは当然である。得票率90%で当選する候補者もいれば、得票率10%で当選する候補者もいる。生票を投じることで初めて発生する投票価値は、「議員1人当たりの有権者数」が同じであっても、選挙ごと、選挙区ごと、有権者ごとに違う。

 投票価値の格差の問題は、生票と死票の割合などを総合的に評価して、投票価値を持つ主体を明確化しながら、議論しなければならない。投票価値論はこのように奥が深いものである。

(2-ア)投票価値の本質

 従来の定数配分の格差に関する議論では、有権者数100万人(20万人 x 5)に定数5の中選挙区Aと、有権者数20万人に定数1の小選挙区Bにおいて、投票価値は同じとされる。有権者数10万人に定数1の小選挙区Cは、前2者より投票価値は高いとされる。

 しかし、例えば少数政党の候補者は小選挙区(1人区)で当選しにくいから、少数政党の支持者にとって、小選挙区Cの「高い投票価値」は実際的価値が低く、マスメディア用語で「1票の価値」の低い中選挙区Aの方がありがたい。投票価値の議論では誰にとっての投票価値なのかを明らかにしなければならない。

 このように小選挙区と複数定数区の間では、「議員1人当たりの有権者数」と併せ、死票率などを総合的に考慮しなければ、投票価値を比較することはできないのである。

 1人区同士を比べる場合でも、議員1人当たりの有権者数が揃っているからといって、死票率10%の1人区と死票率90%の1人区の間で投票価値が同じであるなどとは決して言えない。生票を投じた有権者からすれば、後者の投票価値が高く(より少ない票数で議員1人を当選させることができる)、死票を投じた後者の90%の有権者からすれば、前者で生票を投じた90%の有権者と比較して、不公平感を抱くだろう。

 後述する論点でもあるが、議員1人当たりの有権者数が同じでも、仮に西日本が1人区の区割り選挙のみ、東日本が単一の比例区だけであれば、東西の有権者は文句を言うのではないだろうか。

 投票価値の格差の一類型としての定数配分の格差を考える場合には、選挙制度の類型に留意しなければならない。比例代表制と相対多数代表制では様相が本質的に異なる。

 比例代表制は「1議員当たり同数の票数」で、つまりまさに「平等な投票価値」で有権者グループに議席を対応させるという思想に基づく。候補者同士に優劣を競わせるのとは違う。理想的な設計では死票は議席1つ分に抑制でき、例えば衆議院比例区ブロックの間における定数配分の格差は、そのまま「有権者一般」の持つ投票価値の格差といっていい。

 有権者100万人に定数20の比例区ブロックは有権者100万人に定数10のブロックより、「有権者一般」が1人当たり2倍の議員を当選させることができるから、「有権者」の投票価値は2倍である、という表現が意味を持つ。相対多数代表制とは異なり、選挙ごと、有権者(どの政党を支持するか)ごとに変わらない属性である。比例区ブロックの場合の定数配分の格差こそ、当選者数に影響を与える「投票価値の格差」「1票の価値の格差」といえる。

 相対多数代表制は、得票率順に当選させるもので、1人区なら得票率第1位のみを当選とし、それ以外を落選させ、落選候補に投じた有権者の票を死票とする。多数決原理を期待したものであるといえるが、生票率が50%を超えなければ多数決は成立しない。

 1人区の相対多数代表制(小選挙区制)の場合を具体例で考える。自由民主党支持の有権者9人と民主党支持の有権者1人の1人区Aと、自由民主党支持の有権者90人と民主党支持の有権者10人の1人区Bがあるとする。選挙区Aでは、自由民主党支持者と民主党支持者の「投票の有する影響力」は、(9分の1)対(1分の1)、選挙区Bでは、(90分の1)対(10分の1)=(9分の1)対(1分の1)で、選挙区Aと何ら変わらない。

 選挙区Bに属する自民党支持者は選挙区Aより有権者数が多いために自分の投じる1票によって候補者の当選に与える影響は小さいと嘆くかもしれず、同様のことを選挙区Bの民主党支持者も思うかもしれないが、選挙区B内での自民党支持者と民主党支持者の力関係は選挙区A内のそれと変わらないのである。

 「投票の有する影響力」は選挙区内の有権者(票)の力関係だけで決まり、他の選挙区と比べた有権者数の多寡とは基本的に関係ない。ただし、自由民主党は全国レベルで得票率が第一位だから、選挙区が大きく、従って有権者数が多いほど、全国レベルの得票率が再現される確率が高くなり、当選確率が高まるということはあり得る。これはむしろ「政党間1票格差」の問題になる。

 定数配分の格差の問題からは、小選挙区制を前提とし、選挙区Aを基準にすれば、選挙区Bは10分割して定数10にすべきであろう。しかし、このような区割り変更を行っても、有権者1人の「投票の有する影響力」は、等しく候補者1人に作用するのみで、しかも選挙区内の有権者(票)の力関係だけで決まるので、変わらないのである。「投票の有する影響力」が複数の候補者に及ぶ比例代表制とは、この点が決定的に違う。

 選挙区Bの分割という区割り変更によって新選挙区全体で選出される議員が10倍になるという変化はあるが、有権者1人はあくまで最大でも候補者1人しか当選させることができないことに変わりはない。旧選挙区Bの有権者1人は区割り変更によって投票価値が10倍になるのではなく、新選挙区全体でその時々の選挙ごとに変動する割合の生票を投じる有権者全体(死票を投じる有権者ではない)によって選出される議員数が10倍になっただけである。それに寄与するのはあくまで「有権者一般」ではなく、生票を投じる有権者のみである。投票価値を持つ「生票を投じる有権者」と生票率は選挙ごと、選挙区ごとに変わる。メディアが「1票の価値」が10倍になると言っても、死票を投じる有権者からすれば「与り知らぬ」ということになる。

 どのくらいの投票者数で議員1人を当選させることができるかは、選挙区間で議員1人当たりの有権者数をいくら揃えたところで、選挙ごと、選挙区ごとに変わり、従って投票価値も変わる。1人区における定数配分の格差で論点となる「投票の有する影響力」は有権者ごとに異なり、「有権者一般」に帰属させられる「1票の価値」の属性ではない。有権者が属する選挙区を含む地域の属性、地域代表性の問題と言うべきである。

 最高裁は国会議員の地域代表性を否定している(平成24年最高裁判決大橋正春裁判官の反対意見など)。憲法第43条で「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」とあることからして、国会議員は地域代表者ではないから、地域間の「有権者数当たりの選出議員数」の不均衡はさほど大きな問題ではない。

 300もある衆議院小選挙区の区割りを多少変更したとしても、都道府県レベルでの選出議員の地域分布に大きな変化が生じるわけでもない。25の1人区がある東京と同様に、鳥取にもそれくらいの数の1人区があった上で、鳥取全体と東京全体を比べて議員1人当たりの有権者数が2倍などという状況にあるのではない。鳥取は2つの1人区がおそらく1つになり、削減率は50%と大きく見えるが、地域代表性の点で2議席と1議席では大差がない。都道府県レベルでの定数配分の格差は現状でもほぼ無視できる。

 ただ、参議院の場合は改選数が121議席で、うち48議席が全国一区の比例区、わずか73議席が選挙区だから、これをドント式などで48都道府県に人口比例で配分しようとしても、選挙区数の割に議席数が少な過ぎて人口に比例しないのは当然である。2010年国勢調査に基づけば、2013年参議院選挙で定数2の北海道選挙区の定数当たりの有権者数は、定数1の鳥取選挙区の4.7倍であった。

 参議院の選挙制度や総定数を現在のままとすれば、定数配分を人口比例とするには、都道府県という区割り単位を変更するしかない。しかし、それは、例えば定数2の北海道選挙区を基準にすれば、定数1の鳥取選挙区に定数1の岡山選挙区を合区して1つの1人区にしたりすることであるが、新たな地域のアイデンティティー「鳥取・岡山合区」を創出することにはなっても、地域のアイデンティティーに囚われない有権者の投票価値は、選挙制度(1選挙区の定数、この場合は定数1の小選挙区制)が変わらない限り、あるいは政党支持率などが顕著に変わる区割り変更でもない限り、基本的に変わらないのである(既述したように、選挙区が大きくなり、従って有権者数が多くなれば、小選挙区制などの相対多数代表制では、一般的に比較大政党に有利となる)。区割りの前後で変わるのは、その地域における「有権者数当たりの選出議員数」と、選出議員に貼られる選挙区名のレッテルの違いだけである。

 鳥取は都市部と比べて有権者数当たりの定数が多いということで非難されるが、むしろ都市部と比べて1選挙区内の定数が最小の1、すなわち小選挙区であるために一般的に死票率が高くなって投票価値が低くなる点も考慮しなければならない。これは(3)の論点となる。

 結局、地域属性の問題がさほど重要でないとなれば、1人区における定数配分の格差の問題で重要となるのは、生票と死票の対立である。選挙区間での定数配分の格差と、選挙区間での政党支持率の違いがランダムでない形で絡んで、「政党(とそれを支持する有権者)間1票格差」に影響を与えてしまう。

 例えば、衆議院でも参議院でも、自由民主党の支持率が大きい中国地方に有権者数当たりの定数が多いという問題がある。当然、同党に有利となっている。定数配分の格差は政党間1票格差と密に連関しているのである。逆に、地域によって政党支持率などに違いがなければ、いくら定数配分の格差(議員1人当たりの有権者数)が大きくとも、「政党間1票格差」に影響はしない。

 1人区では、選挙区の議員1人当たりの有権者数が多かろうが少なかろうが、その選挙区の有権者の投票価値は得票率第一位の候補を支持するかどうかで決まり、従って得票率第一位の候補を支持する有権者によってのみ決定されてしまい、どの候補が各1人区で得票率第一位の地位に収まるかどうか、どの有権者グループが得票率第一位の候補を支持する有権者グループかは、本来的に確率的なもので、選挙区の議員1人当たりの有権者数に依存しないから、その地域における「有権者数当たりの選出議員数」を問題にしない限り、どのような「議員1人当たりの有権者数」に配属されても、「投票の有する価値」は選挙区内の力関係だけで決定されるのである。そして「有権者数当たりの選出議員数」の違いもさほど大きくはない。

 要すれば、1人区における定数配分の格差は、生票を投じる有権者と死票を投じる有権者を区別せず、選挙区間で比較する「有権者一般」の投票価値の格差の問題ではない。

 最後に中選挙区制を含む大選挙区制では、議員1人当たりの有権者数が少なくなる、あるいは選挙区内の定数が増えれば、従来の議論の枠組みによる不適切な表現としての選挙区間での「1票の価値」が高まるだけでなく、より多くの投票者の票が生票となる確率が高まると同時に、より少ない票数で生票になる確率が高くなるので、本質的にも選挙区間での投票価値が高まる(議員1人当たりの投票者数が少なくなる)。

 生票と死票の対立、すなわち生票・死票間1票格差(生票を投じる有権者グループと死票を投じる有権者グループの間にある投票価値の格差)と、そこから生じる「政党(とそれを支持する有権者)間1票格差」などこそ、「投票の有する影響力」の格差の本質というものである。

 定数配分の格差が、「議員1人当たりの投票者数」の選挙区間での比較の問題だとするなら、それはまさに生票と死票の対立の問題と重なり、生票・死票間1票格差や「議員1人当たりの投票者数(得票数)」の政党間での格差(政党間1票格差)なども問題視されなければならない。投票価値を選挙区間だけで比較するパラダイムから抜け出す必要がある。

 国会議員が地域代表ではないのに対応して、有権者は各選挙区にへばりついた存在ではないから、選挙区ごとに有権者をまとめて、選挙区間だけを投票価値の比較基準としてよいとする合理性はないのであり、また投票価値は生票を投じて初めて生まれることからして、投票価値を比べるのであれば、有権者グループの区分け基準として投票選挙区を採用して「選挙区間」で比べる「定数配分の格差」(1議席当たりの有権者数の格差=定数分布の人口比例からの破れ)が問題であれば、「生票を投じる有権者グループ」と「死票を投じる有権者グループ」の間で比べる「投票価値の格差」(生票・死票間1票格差=当選議員分布の投票者数比例からの破れ)や、有権者グループの区分け基準として投票先政党を採用して「政党間」で比べる「投票価値の格差」(政党間1票格差=1議席当たりの得票数の格差=当選議員分布の投票者数比例からの破れ)などは、なおさら問題である。

 要すれば、「議員1人当たりの有権者数」の格差は地域代表性の格差を、「議員1人当たりの投票者数」の格差は投票価値の格差を生じさせる。

(2-イ)50%未満の得票率で50%超の議席占有率を許す現行選挙制度は多数決さえ保障しない

 2012年衆議院選挙では選挙区の1人区(小選挙区)で56%もの死票率を記録し、自由民主党は小選挙区において得票率43%で全議席の79%を獲得した。これは多数決ではなく少数決であり、憲法第14条法の下の平等に著しく反する。

 2013年参議院選挙でも同党は選挙区の得票率29.75%、比例区の得票率34.68%であったにもかかわらず、選挙区・比例区全体での議席占有率は53.72%であった。これも少数決であり、憲法第14条法の下の平等に著しく反する。

 単純小選挙区制などの相対多数代表制では多数決が成立しない場合があるからこそ、例えばフランスの小選挙区制では決戦投票制が導入されているのである。

 広島高裁岡山支部は2013年3月26日の定数是正訴訟判決で、「国民の多数意見と国会の多数意見の一致」をもって国民主権が保障できると判断した。

 国会が議決で多数決を採用しているのは、それ以外にないという消極的な理由によるのであって、多数決原理が最高の民主主義原理であるというわけではない。国民主権は単純な多数決原理だけで規定されるものではないが、「国民の多数意見と国会の多数意見の一致」が「平等な国民主権」の最低条件であることに原告は同意する。

 「国民の多数意見と国会の多数意見の一致」という最低条件は、憲法前文にある「国民の厳粛な信託」を客観化・定量化した1つの条件といえる。「国民の厳粛な信託」という重い要請からは、憲法が生票率を上回る死票率を想定しているとは到底思われない。

 小選挙区制を中心とする現行選挙制度の下では、議員の権限は「国民の厳粛な信託」を受けた状態からは程遠い。極端化すれば分かりやすい。各選挙区で死票率が99%、従って生票率はわずか1%だとしよう。いくら選挙区間で議員1人当たりの有権者数を揃えても、理論的にそのような事態が生じるのである。死票を投じる有権者の意見が切り捨てられることで、少数派の投票者の意見を背負った国会議員が多数派の投票者の意見を背負った国会議員より大きな権限を行使できる状況は、有権者から見れば、「国民主権の格差」が存在するということになる。

 選挙において平等な国民主権が保障されなければ、「国民の厳粛な信託」を国会議員が引き受けた、とはとても言えない。国会において国会議員が「国民の厳粛な信託」を越えた権限を行使できるようにし、国民に「国民主権の格差」をもたらす現行選挙制度は、違憲である。

 2012年衆議院選挙の1人区選挙および2013年参議院選挙の選挙区選挙は、まさに「国民の厳粛な信託」に背いて「国民の多数意見と国会の多数意見の一致」がなく、最低限の多数決さえ成立せず、平等な国民主権が保障されなかった。

 そもそも相対多数代表制では多数意見さえ測定できないことが理解されていない。有権者が1票だけを投じる相対多数代表制の区割り選挙では、小選挙区か中選挙区かなどの定数の別に関係なく、過半数の生票率が達成されない場合、すなわち単純多数決が成立しない場合、「得票数の順位」が「投票者の候補者に対する選好の順位」に一致するとは限らないことが、既に数学的にコンドルセのパラドックスとして知られている。

 コンドルセを引用して小選挙区制の問題点を国会で指摘した国会議員は、国会会議録検索システムによれば、1人しかいない。公明党の渡部一郎衆議院議員は、1993年4月20日の第126回国会衆議院政治改革に関する調査特別委員会で次のように述べている。「小選挙区制というものが原理的に国民を代表しないということにつきましては、既にフランスにおきましてコンドルセという人が二百年前に論及されて以来、その論議は破られていないのであります。」

 国会の議論はこのような科学的知見を無視したもので、とても真摯な議論とは言えない。国民主権を最高度に保障するための選挙制度という思想がまったく見られない。このような議論で導入された小選挙区制を中心とする現行選挙制度は違憲無効というべきである。

 当然、国会で採用されている多数決は「意見の多数決」である。上記の広島高裁岡山支部判決でも、国民と国会の間で多数「意見」の一致が見られるべきとしている。

 国会議員の背景に同数の有権者がいるべきとする「主権者の多数決論」を精緻化する必要がある。国会議員が「国民の厳粛な信託」に基づいて合理性をもって多数決による立法および各院3分の2以上の賛成による改憲発議を行うためには、国会議員が国民全体の意見を正確に背負っていることが条件である。現実には、脱原発や憲法96条改憲、消費税増税など、ことごとくの重要政策で国民の多数意見と国会の多数意見に重大な乖離が見られる。

 憲法96条の改憲をめぐっての国民と国会議員の意見の乖離を見てみよう。政党として96条改憲を掲げているのは、自由民主党・日本維新の会・みんなの党である。2013年参院選で、これら3党は選挙区の得票率合計が57.82%、比例区の得票率合計が55.55%と、3分の2を超えていないが、選挙区・比例区全体で3分の2超となる66.94%の議席を獲得し、改選数の枠で見れば、改憲発議の要件を達成した。

 ここで、国民の意見の指標が得票率、国会議員の意見の指標が議席占有率であるが、多くの死票を生み出す現行選挙制度によって、一部の国会議員の意見がかさ上げされる形で、国民の意見との乖離を呈しているのである。

 この乖離はとりもなおさず「国民主権の格差」であり、その指標は議席占有率66.94%(国会議員の意見の指標)を選挙区の得票率合計57.82%あるいは比例区の得票率合計55.55%(国民の意見の指標)で割った1.16倍あるいは1.21倍となる。

 同じく2013年参院選において自由民主党単独で見ると、この「国民主権の格差」は拡大する。同党の選挙区・比例区全体での議席占有率53.72%を選挙区の得票率42.74%あるいは比例区の得票率34.68%で割れば、1.26倍あるいは1.55倍となる。これは可決に過半数の賛成が必要な立法や、改憲発議要件が2分の1に引き下げられた場合の改憲発議における「国民主権の格差」が、改憲発議要件が現行の3分の2のままでの改憲発議における「国民主権の格差」より拡大することを意味する。

 選挙制度はこうした「国民の意見と国会議員の意見の乖離」(国民主権の格差)を最小化するものでなければならない。

 国会で「国民の意見の多数決」を成立させるためには、選挙において「1議席当たりの有権者数」を選挙区の間で揃える以外に、有権者の多数意見さえも死票という形で無にするのでなく、意見をもれなく議席という形で実現しなければならない。要するに、死票を最小化した上で「1議席当たりの生票数」を限りなく揃えて初めて、国会議員の背景に同数の有権者がいる、ということが意味を持ってくる。「同数」に死票を投じる膨大な有権者を含めても意味がなく、国会で「国民の意見の多数決」は成立しない。

 つまり選挙は多数決であってはならないことが重要であるが、実際の選挙では最低限の多数決さえ機能していないのである。

 憲法は第43条で「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と要請している。この条項を単なる訓示規定としないためにも、実体的な法的担保が必要となるが、それは選挙民の意見を国会に総動員するよう、候補者が選挙民の意見をもれなく背負うことができる選挙制度ということになろう。

 憲法第43条を担保するためには、死票を最小化させる選挙制度として、相対多数代表制より比例代表制の要素が必要になる。当然、「1議席当たりの投票者数」が完全に揃えば、文句なしに投票価値は同一になるから、この点でも比例代表制の要素を検討しなければならない。

 衆議院、参議院とも、現行選挙制度は小選挙区制にしろ中選挙区制にしろ、憲法前文「国民の厳粛な信託」、憲法第14条法の下の平等、憲法第43条「全国民を代表する選挙」に従って、死票を最小化しつつ、国民の意見と国会の意見の乖離を限りなく縮小して平等な国民主権を保障しようという思想に基づいて真摯な議論によって制定された法律ではなく、科学的知見も無視して導入されたものであるから、憲法違反であり、そのような選挙制度に基づいて実施された2013年参議院選挙も違憲無効と言うべきである。

第3 結論

 既に最高裁判所は「選挙権」「投票の有する影響力」「投票価値」の格差が憲法で定めた法の下の平等に反するとの判断を下している。

 本訴状では「選挙権」「投票の有する影響力」「投票価値」の格差は「定数配分の格差」に起因する投票価値の格差だけではないこと、投票価値の格差の本質は生票と死票の対立にあることを力説し、現行選挙制度が「定数配分の格差」に起因する投票価値の格差以上に重大な投票価値の格差をもたらしている事実を指摘し、さらに現行選挙制度が無所属候補の立候補権を制限している事実、選挙管理委員会が野宿者の方などの選挙権を剥奪している事実、公職選挙法が政党要件を持たない党派や非富裕者に対する制限選挙を規定している事実を指摘した。

 「定数配分の格差」に起因する投票価値の格差については、特に選挙制度の細部たる「1人別枠方式」が違憲とされた。このような細部について憲法判断ができるなら、投票価値の格差をもたらす選挙制度本体についても憲法判断ができるはずである。
 
 以下の判決を求める。

(1)比例区の定数枠から無所属候補を締め出す現行選挙制度は制限選挙を禁止した憲法に違反すると認める。
(2)「定数配分の格差」に起因する投票価値の格差以外にも「選挙権」「投票の有する影響力」「投票価値」の格差があり、投票価値の格差の本質は生票と死票の対立にあることを認める。
(3)憲法前文「国民の厳粛な信託」、憲法第14条法の下の平等、憲法第43条「全国民を代表する選挙」は、死票を最小化しつつ国民の意見と国会の意見の乖離を限りなく縮小して平等な国民主権を保障する選挙制度を要請していることを認め、従って憲法は選挙区間での定数分布の人口比例だけでなく投票先政党間などでの当選議員分布の投票者数比例も要請していることを認め、小選挙区制および大選挙区制(理論的に中選挙区制を含む)はそのような要請を是とする思想に基づいて真摯な議論によって制定された法律ではなく、同思想に通じる科学的知見を無視しているから、憲法違反であると認める。
(4)選挙区によって異なる選挙制度を適用することは投票価値の格差をもたらし憲法違反であると認める。
(5)公職選挙法の供託金・立候補者数規定は制限選挙を禁止した憲法に違反すると認める。
(6)野宿者の方などの選挙権を剥奪していることは憲法違反であると認める。
(7)よって2013年参議院選挙の千葉県選挙区、その他の選挙区、比例区の結果を無効とする。

太田光征

Leave a Reply