「脱原発:政治の激動期と私たちの課題」集会

8月 21st, 2011 Posted by MITSU_OHTA @ 23:23:28
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「脱原発:政治の激動期と私たちの課題」集会

・開催日時:9月23日(金曜・祭日)午後1時30分から
・会場:文京区民センター2A(地下鉄春日駅、後楽園駅下車)     
地図 http://www.b-academy.jp/faculty/c04_01_j.html?area=mainColumn
・参加費:700円
・集会内容

  :特別報告 脱原発で区長選を闘って 吉田万三 元足立区長 
   :選挙制度改悪と96条改憲   坂本 修 自由法曹団元団長
   :農民としての訴え   三浦草平 農民連青年部/南 相馬市在住
   :沖縄基地問題・日米安保の現状 糸数慶子 参議院議員 交渉中
・実行委員会構成団体 
  小選挙区制廃止をめざす連絡会
  政治の変革をめざす市民連帯
  脱原発の国民投票をめざす会
  平和に生きる権利の確立をめざす懇談会
  「平和への結集」をめざす市民の風
・賛同団体 
  命・地球・平和・産業協会  小池晃さんを応援する市民勝手連Q
  日本針路研究所  
・連絡先:脱原発の国民投票をめざす会
   〒112-0012 東京都文京区大塚5-6-15-401 
   保田・河内法律事務所内
   電話03-5978-3784

原発審査指針の見直しは完了しておらず、泊原発の再稼働は認められない

8月 12th, 2011 Posted by MITSU_OHTA @ 19:33:19
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北海道知事 高橋はるみ 様
北海道庁・原子力安全対策課 御中
北海道電力社長 佐藤佳孝 様
北海道泊村村長 牧野浩臣 様
北海道共和町町長 山本栄三 様
北海道岩内町町長 上岡雄司 様
北海道神恵内村村長 高橋昌幸 様
内閣総理大臣 菅直人 様
経済産業大臣 海江田万里 様
原発事故担当相 細野豪志 様
原子力安全委員会委員長 班目春樹 様

原子力安全委員会の原子力安全基準・指針専門部会で、第2回安全設計審査指針等検討小委員会が8月3日に開催されました。

2011.08.09 安全設計審査指針等検討小委員会 第2回会合 速記録
http://www.nsc.go.jp/senmon/soki/anzen_sekkei/anzen_sekkei_so02.pdf

同小委では、今回の福島原発事故において、電源関係だけでも、地震の影響が遮断器の故障、ケーブルの損傷、電線の基礎の土砂崩れ、送電線の鉄塔の倒壊に及んだことが認められています。

また「直流電源の設置位置や構成、容量等が事故の進展とどのように関わったのか、現時点では十分必ずしも明らかになっておりません」と認めているように、安全設計審査指針の見直しに必要な事故分析が完了していないことは明らかです。

同小委ではまた、福島原発事故の分析とは別に、外部電源系統の一般的な機能喪失確率評価の結果(2006年)を原子力安全基盤機構の飯島氏が説明しています。しかし、例えば鉄塔については地盤側の損傷を考慮せず、鉄塔の座屈のみを評価対象にしており、不十分なシミュレーションになっています。

同じく原子力安全基盤機構の西尾氏が津波に関する確率的安全評価(PSA)手法(2007年)を説明しているものの、ここでも地震の影響を考慮していません。

この日の同小委では、焦点である安全設計審査指針の27「電源喪失に対する設計上の考慮」で全交流動力電源喪失事故が「短時間」しか考慮されていない点について、これを改めるという合意に至っていません。

福島原発事故の詳細な分析を待たなくとも、指針27の「短時間」は修正されてしかるべきです。

一方、同部会の第2回地震・津波関連指針等検討小委員会も8月3日に開催されています。それによると、主として耐震設計審査指針の見直し検討を進める同小委は「速やかに改定等が必要とされる事項については、その都度、原子力安全基準・指針専門部会に報告する」とあるものの、「平成24年3月を目途に、まずその時点までの論点等を整理し報告する」と、かなりのんびりした見直しスケジュールを組んでいます。

2011.08.05 第2回地震・津波関連指針等検討小委員会 速記録
http://www.nsc.go.jp/senmon/shidai/jishin/jishin2/jishin-si02.htm

以上のように、福島原発事故の教訓を受けて各種指針を見直し、それらに照らして審査を行うべきはずですが、それはとても無理な状況にあります。

加えて、泊原発の場合も大地震に見舞われる可能性が指摘されています。

1993年に北海道南西沖地震が発生しましたが、その震源域の北側に約50キロ」メートルにわたって地震の空白域があることが、産業技術総合研究所の潜水船調査で分かりました。

また、東洋大学の渡辺満久教授らも、泊原発の西約15キロメートルの海底に60~70キロメートルの活断層があることを発見しています。(以上、広瀬隆『原発震災の真実』より)

そもそも、原発の本質は過酷事故だけではなく、通常稼働による低線量内部被ばくを強制する点にあり、その被害は甚大です。原発は過酷事故を起こさなければ認めてよいというものではないのです。

放射性廃棄物を安全に100万年にもわたって管理できる見通しはまったく立ちません。「見通しのない脱原発」などという認識はまったくの的外れです。脱原発は危険を最小化するための唯一の選択肢であり、責任ある立場の人は脱原発を表明しなければなりません。

泊原発の営業運転再開は認めないよう、なさらないよう、お願いいたします。

太田光征
http://otasa.net/

[参考文献]

『死にいたる虚構―国家による低線量放射線の隠蔽―』(ジェイ・M・グールド、ベンジャミン・A・ゴルドマン著、肥田舜太郎、斎藤紀訳、2008年、PKO法『雑則』を広める会)
『低線量内部被曝の脅威―原子炉周辺の健康破壊と疫学的立証の記録』(ジェイ・マーティン・グールド著、肥田舜太郎、齋藤紀、戸田清、竹野内真理訳、2011年、緑風出版)
『人間と環境への低レベル放射能の脅威―福島原発放射能汚染を考えるために』 (ラルフ・グロイブ、アーネスト・スターングラス著、肥田舜太郎、竹野内真理訳、2011年、あけび書房)

西岡由香さんの福島訪問記

8月 4th, 2011 Posted by MITSU_OHTA @ 0:43:09
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西岡由香さんの福島訪問記を転載します。

太田光征

こんにちは、長崎の西岡です。

(いくつかのMLへの重複お許しください)

おととい、昨日と福島に行ってきました。

黙示録の断面に触れたような・・様々な思いが私の中に

渦巻いています。

舌足らずですが報告記、ごらんいただけたら嬉しいです。

7月31日、雨。福島駅前で開かれた原水禁大会は、全国から

集まった人波1800人で埋まりました。駅前広場の空間線量は、

安全とされる0.1マイクロシーベルトの10倍の1マイクロシー

ベルト/時間。誰かが「歴史上初めて、放射線管理区域内での

集会だ」って。

地元の方々が次々にマイクを握って訴えました。

「福島県民200万人のうち20万人が県内避難をし、根なし草に

なってしまった。逃げ回るうちに心身ともに疲れ、病み、

福島全体が疲れている。屋外活動を禁止されている子どもは

10万人。去年は福島に530校の修学旅行があったが今年は30校。

福島は夏競馬があり、競馬場の表土を入れ替えることになったが、

学校や保育園は未着手。私たちは競馬馬よりひどいのか。

放射能を恐ろしいと感じるのは、その人の感性と想像力と知識に

よって感じ方が全く違う。そのことで人々の間に格差が生まれ

ている。事故以来、病人は3倍多く亡くなっているし、希望を

失った酪農家や農家の自殺など、数字に表れない犠牲がある。

飼育していた豚はとも食いをしながら餓死していった。

数字に表れている死はほんの一点にすぎない。子どもに「将来の

夢」の作文を書かせても書けなくなった。放射能は夢や希望までも

奪い去ってしまった。原発ほど、世代間不公平を作り出すものはない。

「この時期なら見えるはずの水田が見えないんです。

いつもなら青々とした田んぼが水をたたえているのに、40km四方、

去年刈り取った稲株がそのまま白く腐っている。沈黙の春です。

日本人がはるか昔から途切れず続けてきた農作の糸が切れてしまった。

祖先に対して償いきれない」

福島市内のホテルに宿泊し、翌日、希望者80名で南相馬市と
飯舘村に向かいました。

月曜日の朝というのに学生の姿も、出勤する人々の姿もほとんど

見かけません。時々見える人はほとんどがマスクなし。福島駅前から90分

ほどで南相馬市役所に到着し、すぐに桜井市長のお話が始まりました。

「市長になって2年目ですが、南相馬市がこんなに有名になろうとは。

毎日、背筋が凍る思いで過ごしています。71000人の市民のうち3万人

が町を離れた。小中学生は6千人だったが今は2300人。受験生を持つ

親は来年募集があるのか、まだ決まっていない。一番苦しんでいる

のは一般市民。この国は学校現場で放射能の勉強をさせない方向で

きたのではないのか。国からは「10km圏外は防災計画を持っては

ならない」と言われてきた。母親たちは「1ミリシーベルトでも

帰れない」と言う。福島市でも夏休み中2千人が転校する。

3月11日後、南相馬は電気も電話も通じない陸の孤島となり、国から

原発事故の連絡がきたのは3月17日、東電からは3月22日。日本の

メディアは放射線が怖いからかすべて去っていき、かわりに外国の

メディアがどんどん入ってきた。南相馬市は原爆が落ちたような

恐怖心の中に皆が置かれている。市長として3月15日、独断で住民

避難をさせた。その中には未だに戻れない住民もいて「避難させら

れたんだから補償しろ」という住民もいる。原発からの距離で、

国の補償額は線引きされていて、住民同士に補償格差が生まれている。

邪推かもしれないが、住民をズタズタにする戦術かもしれない。多く

の住民がいま闇の中にいる。彼らの気持ちにそい、現場から発信して

いかなければ。世界史的な災害だからこそ、世界史的な復興を

とげることが大切」

市長のお話は20分。すぐ次の用事へと発って行かれましたが、会場

からは「各都市が“非核都市宣言”のように“脱原発都市宣言”を

しては」という意見も出されました。

そして飯舘村へ。

家の中に洗濯物を干している一軒以外は、ほとんどカーテンが閉められた

主のいない家が連なっていました。

突然断ち切られた時間のはざまに、村全体がぽっかり浮いている

ようでした。

空間線量4.24マイクロシーベルト。

地面に線量計を置くといきなり上がり始めて26.8マイクロシーベルト。

雨どいの下 112マイクロシーベルト。

顔を覆いたかった。私たちは、限りない恩寵を人に与えてくれていた

自然に対してなんてことをしてしまったんだろう。

「花をさわるな」と言われて育つ子どもたちや、自然から切り離さ

れたヒトはもはやヒトではない何者かに変容していくんじゃない

だろうか。

たった数分いただけでも怖かった。放射能は、「得体の知れない

恐怖そのもの」でした。人々が恐怖と疲弊のあまり警鐘に耳をふさぎ、

「安心安全」に頼ろうとしても、それを頭ごなしに責めることは、

もう私にはできない。

飯舘村。

原爆の焦土が終末的空間なら、ここはいったいどこなのだろう。

人の寿命と放射線の寿命。この世の時間と、この世ではない時間の

かさなり。石牟礼道子さんは水俣を「苦海浄土」と呼んだけれど、

ここは「陸の苦海浄土」だ。

人がいなくなった村に、白や赤い花々が風に揺れていました。

長崎へ帰る飛行機のイヤホンから、バッハの「G線上のアリア」が

流れてきました。バッハは300年後の人々に聖水のような旋律を

届けてくれた。私も、未来の人々に一滴の聖水を届けるような

作品が描けるだろうか。

答えを探す旅はこれからです。

西岡由香

「原発に依存しない社会をめざす」菅直人首相記者会見発表を支持します

7月 28th, 2011 Posted by MITSU_OHTA @ 10:31:09
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「原発に依存しない社会をめざす」菅直人首相記者会見発表を支持します

 菅直人首相は7月13日の記者会見で (1)原発に依存しない社会をめざす。段階的に原発依存度を下げ将来は原発がなくてもやっていける社会を実現 (2)原発への依存度を高めるという政府のエネルギー基本計画は白紙撤回 (3)近い将来、原子力安全・保安院を経済産業省から分離 (4)企業・国民の節電協力や自家発電が活用できれば、この夏・冬に必要な電力供給は可能 (5)福島第一原発事故の収束に向けた工程表の「ステップ1」は予定通り終了の見通し。「ステップ2」の期間を短縮して住民の帰宅を次第に具体化、と発表しました。(要約)

 私たちは菅首相の原発をめぐる政策すべてを支持するわけではありませんが、この現首相発表のうち次の2点について支持いたします。

1 菅首相が「原発に依存しない社会をめざす」と明言したこと。
2 「エネルギー基本計画を白紙撤回する」と述べたこと。

 菅首相は3.11大事故によって、原発安全神話が崩れ、エネルギー政策の変更をせざるをえないことを認めたことです。

 ご承知のとおり今回の事故は過去の米・ソ・英・仏・中が行った原爆・水爆実験と同じように世界中に放射能をまき散らしています。

 原子力資料情報室を設立された故高木仁三郎さんは「原子力とそれにともなう社会とは、私たちは共存できないし、原子力発電その他の原子力の営利目的への利用は、軍事利用と同様、一切禁止されなければならない」と述べています。(版画『私たちにとって原子力は…』、高橋祥八・編、朔人社、1975年)

 高木仁三郎さんは36年前にこのことを警告・主張されています。しかし、当時の政権与党は高木さんら有識者の警告を無視し、スリーマイル島、チェルノブイリ事故からも学ぼうとせず、これまで54基の原発を造り、あの無謀な第2次世界大戦と同様、原発大事故を起こしてしまいました。

 事故後4ヶ月を経過してようやく反省した菅首相は、日本の首相として初めて脱原発発表を行いました。

 私たちは「原発は安全」と国民・市民を騙しこれを推進してきた中曽根康弘元首相や東京電力の経営者は戦争犯罪と同様に原発犯罪者と考えています。これからは被曝による経済的被害・損害とは別に、時間の経過とともにチェルノブイリ事故が子どもたちにもたらしたような被曝の実態が現れ、その罪状が明らかにされるでしょう。

 私たちは首相発言を実現させるために原発の稼動を全面停止すること、事故の収束を一刻も早く行うこと、妊婦・乳幼児を避難させること、児童の集団疎開等を行い住民の健康を守ること、被曝農漁民労働者の生活を保障すること、再生(自然)エネルギーの開発援助に力を入れることを要求し続けます。

 私たちは原発と核兵器の廃絶は人類社会にとって緊急な課題と考えています。 ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを体験した日本は、世界の人々から今回いただいたご支援に感謝するとともに、核と原発を廃絶し不安のない社会を目指すべきと考えます。 
                     

以 上

2011年7月28日

「平和への結集」をめざす市民の風  http://kaze.fm/ join@kaze.fm
                                  

玄海原発の運転再開について熟慮と英断を心からお願います!

6月 25th, 2011 Posted by MITSU_OHTA @ 13:42:43
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玄海原発の運転再開について熟慮と英断を心からお願います!

佐賀県知事・古川康様

2011年6月15日

 私たちは、日本国憲法の平和主義を守り活かす活憲のために、国や地方の政治における「平和への結集」をめざしている市民団体です。団体の詳細については下記サイトをご参照ください。

http://kaze.fm/

 私たちは、佐賀県にある玄海原発2号機、3号機運転再開か、というニュースを聞き、心を痛めております。私たちは、貴職がこの難しい問題に熟慮を重ねられた上で、国や九州電力の不当な圧力に屈することなく、運転再開は時期尚早であるという英断を下されるよう心からお願いします。

 私たちは、福島原発事故が収束せず、また福島原発事故の原因と対策についての国民的コンセンサスができないうちに、玄海原発の運転が再開されることに、どうしても納得できないのです。

 そもそも、原発は通常稼働でも多大な被害を及ぼすものであり、大事故を引き起こさなければ問題がないというわけではありません。例えば、米統計学者のジェイ・M・グールド氏は、米国で原発の周囲100マイル(約160キロ)圏内と圏外で、乳がんの発生率に大きな違いがあることを見い出しています(肥田舜太郎他訳『内部の敵』)。

 ちなみにグールド氏は、ベンジャミン・A・ゴルドマン氏と共に、原爆症認定集団訴訟で大阪高裁が低線量放射線内部被ばくの影響を認めた際の科学的根拠にした文献の1つ、『死にいたる虚構』(肥田舜太郎、斎藤紀訳)を著しています。

 『死にいたる虚構』では、1986年4月26日のチェルノブイリ事故後、米国各地域でミルク中のヨウ素131濃度と全死亡率の増加率に相関関係が見られ、特にカリフォルニア州を中心とする太平洋岸でヨウ素131濃度と全死亡増加率が最高値を示したこと、6月に太平洋岸南部諸州で乳幼児死亡率が28%も増加したこと、さらに米国各地の食虫の小型の鳥について、86年から87年にかけての減少率と各地のミルク中のヨウ素131濃度に強い相関が見られたことなどが示されています。

 そして今度の福島原発事故後、再びこの3月から5月にかけて、カリフォルニア州を中心とする米国北東部の8都市で、1歳未満の乳児死亡率が有意に35%増加しています。

Janette Sherman / Joseph Mangano: Is the Increase in Baby Deaths in the US a Result of Fukushima Fallout?
http://www.counterpunch.org/sherman06102011.html
 
 また、井野博満・東大名誉教授は「玄海原発1号炉は日本一危険な原子炉といっていいでしょう」という見解を示しています(『FLASH』2011年6月7日号100頁)。1号機の事故と3号機のプルトニウムの事故が重なることは、私たちが考えたくもない悪夢です。広瀬隆氏も「3号機が大事故に巻きこまれれば、九州全土がプルトニウムを浴びて、すべて廃墟になる」(広瀬隆『福島原発メルトダウン』207頁)ということを明言しています。

 知事は、今年の年頭のメッセージで「地球上で太陽の恵みを受ける私たちは、その美しさと恩恵の深さに、改めて感謝の念を覚えます」と述べられました。しかし、福島の人々は、もはや、太陽の恵みを受けることが困難になりつつあります。佐賀の人々が、福島の人に続いて困難な道を歩まなければならない理由は絶対にないのです。

 知事は、私たちの主張が極端だとお考えかも知りません。しかし、放射能の前では、万全の上にも万全の手段を取ること以外に私たちが生き延びる道はないと思います。

 もし知事が運転再開に踏み切られ、そして事故が起きれば、知事のお名前は何百年にもわたって傷つくことになるでしょう。

 私たちは、賢明なる知事が、運転再開は時期尚早であるという英断を下されることを心からお願いいたします。

以上

「平和への結集」をめざす市民の風
http://kaze.fm/

「平和のためのコンサート」と芝田進午・貞子夫妻の闘争

6月 19th, 2011 Posted by sa104927 @ 0:39:23
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                             櫻井 智志
はじめに

  2011年の6月11日に、12回目の「平和のためのコンサート」が行われた。早いもので、このコンサートが開始されてからもう十二年の歳月が流れた。手元に、インターネットに投稿した中で集められた範囲内だが、第八回から今回までのコンサートについての随想がある。2008年、第八回のコンサートからの書き溜めた文章を提示する。そのことを通して、このコンサートの意義を探りたい。さらに、主宰者の故芝田進午氏と、芝田氏亡き後に運営を受け継いだ声楽家でもあるご夫人の芝田貞子さんとの、持続するご努力とをたどってみたい。

 

一  今も生きる芝田進午氏の平和希求の思想
 「週刊金曜日」誌の市民運動案内板に五行の短い案内があった。
会場は、東京都・牛込箪笥区民ホール。「平和のためのコンサート 芝田進午七回忌によせて」。このコンサートは毎年行われて今年が第八回となる。関係者の間では、チケットの普及の様子を危ぶ時期もあったようであるが、会場はぎっしりと埋まっていた。昨年よりもはるかに多かった。コンサートは、東京で一九九五年まで十年間続いたノーモアヒロシマコンサートを継承する第一部と多彩な音楽家が演奏した第二部から編成されていた。
 わけてもチェルノブイリ原発事故で一九八六年に被曝したウクライナ生まれのパンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんが第二部に特別出演された。このことは、アメリカの原発もロシア・旧ソ連の原発も共に、「人類絶滅装置体系」としての核兵器の巨大な問題の存在を思想史的に位置づけた芝田進午氏が、「人類生存のための哲学」の構築を晩年に訴え続けた趣旨にとてもふさわしい出演であった。音楽的にも素晴しかった。
 ヒロシマに落とされた原爆が、世界的規模の核時代の始まりであり、そのような時代において人間はいかに生きいかに立ち向かうか。そのことを洞察して、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを始めたのが、平和哲学者芝田進午さんとご夫人で声楽家の芝田貞子さんだった。
 私にとり、今回話された二人の講演にとても得るものが多かった。音楽家の木下そんきさんは、ノーモア・ヒロシマ・コンサートを主宰した芝田さんが、論理の帰結に誠実であった生きる姿勢を讃えた。戦前に、大学の講壇哲学に所属して、社会的実践に踏み出すか否かを迷っていた古在由重氏は、親友の吉野源三郎氏と真剣に討論した結果、自らが正しいと論理的に判断した結果には、いかなる困難があっても、その労苦に耐えて一歩踏み出すべきだ、という助言を取り入れた。戦前の激動を生き抜いた両氏とまったく同じ生きる姿勢を、芝田進午氏は戦後に生きて活躍された実践的知識人として貫かれた。
 弁護士の島田修一さんは、「憲法第九条を守る意味」について述べられた。 戦後に制定された日本国憲法は、三つの国家像として平和国家、福祉国家、人権国家の論理を内包している。それに対して改憲勢力の中枢の自民党憲法改定案の示す国家像は、戦争国家、福祉切り捨て国家、人権抑圧・制御国家である。
 この対比は、十五年戦争に至る時代と戦後の憲法制定前後の時代との対比に照応している。当時、人間の尊厳をかけて多くの若者たちが立ち上がっていた。
 現代の日本は、心がぼろぼろにされ、個々人がバラバラにされているけれども、全国に広がる九条の会などのように、人間の尊厳をかけた若者や人々達がいることも私たちの実態であることを強調された。コンサートを鑑賞して私は島田さんが引用した言葉、「戦争は人の心の中につくられるものであるから人の心の中に平和の砦を築かなければならない」が深く心に響いていた。ユネスコの宣言にも採用されたこの言葉は、あの平和哲学者カントの言葉でもある。
 芝田進午氏は、晩年に実践的唯物論哲学の原則は堅持しつつも、人類存続のための平和の哲学構想を抱いていた。先生のご逝去からわずか数年にして、これだけ急速な短期間に日本が軍拡国家となりはてようとは。死者に魂があるかどうかは無神論者の私には自信がないけれども、死者の平和への深い祈りを、決して無にしてはならない。さもなくば、日本国家ならびに日本民族は永久の地獄へと沈んでゆくことであろう。死者の遺志を現在に生かすには、どのような方途が残されているか。
 まだまだ私たちは死者の声に耳を傾けなければなるまい。そうしていつか、本当に死者の霊を弔うことができるとしたら、それは日本が世界に誇るべき戦力放棄の平和国家となった独立の日においてはない。 

       

二 2008年、今年も「平和のためのコンサート」がやってくる
 ノーモアヒロシマコンサートを主催し、核時代における人類生存の哲学を探究した芝田進午さん。芝田さんが胆管ガンで志なかばでご逝去されてからも、この平和のためのコンサートは、夫人の芝田貞子さんを中心とするコンサート実行委員会によってずっと絶えることなく続いてきた。
 今年も六月十四日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。第一部と第二部に分かれ、一部はコンサート、二部は作家の梁石日(ヤン・ソギル)さんの講演。
 第一部では、声楽家でもある芝田貞子さんもメンバーのアンサンブル・ローゼによる童謡やサウンドオブミュージックの重唱。信田恭子さんのヴァイオリン独奏。島筒英夫さんによるピアノと語りの二重奏。島筒さんご自身の作曲で、「ちいちゃんのかげおくり」「かさじぞう」。最後は会場全員によるシングアウトで「翼をください」。
 第二部では、週刊金曜日でも小説を連載中の梁石日さんが、「在日コリアンの現在」を講演なさる。梁さんは、1936年に大阪府で生まれた。『血と骨』で第11回山本周五郎賞を受賞、百万部突破のベストセラーとなった。他に『夜を賭けて』『Z』『断層海流』『族譜の果て』『子宮の中の子守歌』『闇の子供たち』など。近著に『カオス』がある。
 一時半会場、二時開演。会場の牛込箪笥(たんす)区民ホールは、都営地下鉄大江戸線で牛込神楽坂駅A1出口徒歩0分。東京メトロ東西線なら神楽坂駅2番出口徒歩10分。全席自由で2200円。主催は、「平和のためのコンサート実行委員会」。後援は、アンサンブルローゼ、ノーモアヒロシマコンサート、ストップザバイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、新井秀雄さんを支える会、バイオハザード予防市民センターの諸団体が広く支えている。

 

三 芝田進午氏の遺志を継ぐコンサート(2009年)
 6月20日に平和のためのコンサートが開催される。会場は新宿区の牛込箪笥区民ホールである。詳細はさざ波通信伝言欄に投稿して掲載していただいたので、重複は避けたい。
 アメリカのオバマ大統領が核兵器廃絶の声明を出した。それよりもはやく数十年前に、法政大学、広島大学などを歴任した社会学、哲学教授の芝田進午さんは、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」を東京と広島で別個に十年間以上も開催してきた。このコンサートに取り組んだ芝田さんご夫妻は、国立予防衛生研究所(現在は国立感染症研究所と改名)が新宿区戸山に強行移転して、住民の住宅や大学などが密集する住宅街で実験を強行し続けてからは、ずっと実験差し止め裁判闘争に地元住民の原告代表として闘い続けた。
 道半ばにして、第一審の判決がおりる頃に、わずか二か月前に、胆管がんによって芝田さんは、周囲の悲嘆の中で御逝去された。まだ七十才を超えたばかりの悲報であった。
 芝田さんの志を次ぐひとびとは、「平和のためのコンサート」を開催し続けた。今年はちょうど祈念すべき第10回となった。
 核兵器廃絶も、人類にとって緊急の課題である。同時に生物兵器実験など生化学の分野における実験によって、今まで自然界になかった生物が安全性を無視して世界各国で繰り広げられたなら、自然の生物連鎖や自然界の調和はとんでもない事態に至る。芝田さんが生物化学災害としてバイオハザードの危機的事態を懸念して、最後は最高裁にまで及ぶの国家権力を問う裁判闘争に、今までのすべての研究課題を棚上げして取り組み続けた事実
 このことは、東京地裁判決前に芝田さんがなくなり、その後の最高裁において敗訴し、その数年後の現代、思わぬ被害となって現実のものとなった。
 メキシコから始まった豚ウイルスによるインフルエンザの世界的流行は、自然界からおきたインフルエンザではなく、さまざまな憶測を呼んでいる。ひとつだけ確実なことは、核兵器によるジェノサイドにとどまらず、バイオハザードによる重大な被害が現実のものとして国境を越えて、世界中の民衆にとって重要な克服課題となったことである。
 「平和」がいまこそ改めて問われている。今回の記念的コンサートでは、原爆資料館を統括する広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさんが、日本語で記念講演をしてくださる。
 私は、芝田進午さんが御逝去されてからも、この平和のためのコンサートを聴きづけてきた。それは、このコンサートが、聴く者に大きな感動をもたらしてくれるからである。さらに、芝田さんが訴え続けた「人類生存のための哲学と文化」について改めて自らの問いとして考えさせられる、祈りに似た沈黙の言葉にふれるからでもある。

四 よみがえる芝田進午さんの反核平和文化の闘い   (2010年)
 哲学者であり、社会学者でもありつつ、思想家としても大きな足跡を残された芝田進午さん。氏が逝去されたことはその独自の創造的な学問が閉ざされることで、大きな痛手であり、なおかつ損失でもあった。
 しかし、芝田進午氏がご逝去された後も、氏の社会的実践は明確に跡を継承するかたがたがいる。
 ひとつは、住宅密集地の新宿区戸山に移転を強行した国立感染症研究所の実験差し止め裁判を、芝田さん亡き後も最高裁まで上告し闘い続けた裁判の会の皆さんたちである。
 そしてもうひとつ。「平和のためのコンサート」である。今年も芝田進午氏夫人である芝田貞子さんが芝田先生の遺志を継承して、今年も第11回平和のためのコンサートを、6月12日(土)に新宿区牛込箪笥区民ホールで開催される。詳細は「平和のためのコンサート」ホームページにくわしい。
 私はほぼ毎回このコンサートを広く世間の皆さんに知らせたいと思い、記してきた。
 だが、それはコンサートの告知作業を目的としているわけではない。実践的唯物論哲学を構築され、さらに人類生存のための哲学をめざす途上でご逝去された芝田哲学を、亡くなった後も、その実践面で継承し続けるかたがたがいる、という事実。
 私自らは、バイオハードを予防し阻止するための社会運動に加わってはいない。平和のためのコンサートにも、いわば傍観者のひとりである。
 だが、学生時代に著作に感動して、別の用事でご自宅を訪問して、じかにお会いしてから、芝田進午さんのおひとがらに、氏の著作『人間性と人格の理論』が目指した理論と同様に、解放された人格をひしひしと感じた。
 芝田氏自らが「唯物論を体現したとしたら戸坂潤という人格となる」と紹介されたように、「人間性と人格の疎外から解放された人格」を体現した人間像として、芝田さんご自身が該当されよう。同様の趣旨のことを、氏を直接知る多くの良心的知識人や実践家がおっしゃるのを聞いた。
 今回も「平和のためのコンサート」がやってくる。それは、芝田さんの平和的文化運動を継承し続けている存在が健在であることの証である。私は、できるかぎりこれからも、このコンサートの意義を伝えようと考えている。
 毎回コンサートの前の第一部は講演がなされてきた。今年は、お二人の朗読とともに詩人橋爪文さんの講演『広島からの出発』である。

 

五 福島原発事故の情勢下での2011年「平和のためのコンサート」開催
 哲学者にして社会運動家でもあった芝田進午さんは、1980年代という今からさかのぼること30年前後に、著作『核時代?思想と展望』『核時代?文化と芸術』(青木書店)で重要な問題を提起されている。「核という火の暴力」によって殺され冒瀆された人々としての被爆者、「核によってつくられた日の暴力」によって殺され冒瀆された人々としての被曝者を区別した。さらに「死の灰」を体内に吸収され、遺伝的影響は予測できない、全世界の潜在的被曝者は全人類と及ぶとして、「ヒバクシャ」ローマ字の「HIBAKUSHA」としての人間存在を提起していた。そうして、学問と芸術、思想と社会運動の全面にわたって総合的な具体的展望を示された。
 それから30年。2011年3月11日に、日本では、被爆者の悲劇から被曝者の発生と「ヒバクシャ」の顕在化と事態は容赦ならない事態が発生した。今日驚くことは、もし東日本大震災なみの地震が、現在国立感染研究所が立地している新宿区戸山の土地に影響を与える地震規模だった場合に、福島原発事故に匹敵するほどの実験用微生物細菌類は、実験施設の枠組みから飛び出し漏れ出して、周囲の住宅街や施設、学園等をはじめ恐るべきバイオハザード(微生物被害)によるバイオサイド(生化学細菌等による人類自然への壊滅的破壊被害)をひきおこしたであろう。
 芝田進午さんは、住宅密集地における危険な微生物細菌の実験施設の強行移転阻止の裁判闘争の原告団代表として闘いの先頭であり中心になり闘い続けた。 その先駆的予見は実に見事な展望と闘争であった。
 道なかばにして、芝田さんは胆管がんによって惜しまれる中をご逝去された。
 しかし、ノーモア・ヒバクシャとノーモア・ヒロシマ・コンサートは、芝田さんの死後も、音楽家・声楽家である夫人の芝田貞子さんを中心に、「平和のためのコンサート」として欠かすことなく毎年開催され続けてきた。
 毎回芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼは芝田貞子さんを支援し、後援団体の一翼を担い続けるとともに、毎回素敵な声楽を披露し続けてこられた。
 ノーモア・ヒロシマ・コンサート、ストップ・ザ・バイオハザード国立感染研究所の安全性を考える会、バイオハザード予防市民センターは、核と環境破壊、危険な生化学実験と闘い続けた芝田さんの遺志を尊重し応援し続けてこられた。
 毎年続くとマンネリ気味になるのが、継続する催し物であるけれど、このコンサートは全く異なる。日本国内で自国民による原発事故を発生させるとともに、日本国民の多くがヒバクシャとして危機にさらされている中での平和のためのコンサートである。さらに芝田進午さんが道半ばにして斃れたけれど、そのご遺志を継承するたいせつな集いともなっている。
 今年も六月十一日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールにおいて開催される。
◆  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆
 6月11日の第12回「平和のためのコンサート」は、客席が足らず、椅子を用意して立ち見客に提供するほどの満員の盛況だった。私は毎年見てきたが、このような立ち見席のお客のために途中で椅子を用意したことはなかったと記憶している。
  若い年代の聴衆もかなりいて、大学生や若手勤労者にも支持層が広がっているように想えた。年代は各層にわたり、会場には、芝田進午先生の最後の闘争「感染研実験差し止め裁判闘争」を闘われた学者や知識人、支援のかたがたや「芝田ゼミ」(法政大、広島大、社会科学研究セミナー)で学ばれた多くの方々のお姿も拝見した。
 例年は、一部と二部とあって、講演が入っていたが、今年は講演はなかった。神田甲洋さんの講談は、講談の域を超えて、鋭く「広島、長崎、そしてピース」というタイトルのもとに聞き応えのある平和についての内容のある講談をなされた。もともとの講談師でなく、早稲田大学の政経学部から弁護士となり、社会人として仕事のかたわら、講談にトライして、神田山洋さんの弟子になった。
 さらに、コンサート主宰者の芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼの活躍が目立った。またほかの音楽家の演奏のレベルが高かった。中国音楽の演奏家も味わいある演奏陣だった。メゾソプラノ歌手江川きぬさんの指揮するグループの合唱も心地よかった
 充実した音楽鑑賞を聴いてから、ご長男の芝田潤さんに芝田貞子さんへの伝言をお願いして会場をあとにした。  

 

 むすびにかえて
 東日本大震災を経て、日本政府菅直人民主党連立政権がいかに危機的事態に無力であるかを露呈した。芝田ご夫妻の取り組みは、大地震と国立感染症研究所との大規模な危険性を改めて照らし出した。さらに、福島原発は、福島県内どころか東京都周辺からの汚泥からの高い放射能物質の数値の結果や東京都から以南の遠く静岡県の農作物に及ぶまで、まさに日本全国的規模の「ヒバクシャ」としての日本国民・居住民族・外国人への被害を浮き彫りにした。核兵器廃絶をよびかけ、生物細菌実験施設の住宅街における高度の危険性をよびかけた芝田進午氏の先見の明と、芝田氏を支え続けて今も継承している貞子夫人の意義深い継承の実践は、今日誠に輝かしい意義ある光を放ってやまない。

原発推進政党は民主主義インフラの破壊を止め、歳費を全額原発被災者に差し出すべき

5月 31st, 2011 Posted by MITSU_OHTA @ 1:21:33
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震災復旧に膨大な要員と経費が必要だというのに、政府は今年も航空観閲式を計画しているといいます。

無駄削減を理由の1つに国会議員の定数削減を民主党や自民党などが主張していますが、定数削減で1票価値の格差が一層拡大し、政党・政策の幅が縮小すれば、無駄が温存されることを示すよい例です。

明らかに民意に反しています。無駄削減には民意を反映した議会とそれに基づく政府の存在が前提です。民意を反映しない議会と政府は民意に反した無駄を作り出します。

原発政策を推進した結果、福島原発震災の補償で膨大な税金が投入されることが予想される例を考えてみても、定数削減で民意に反して二大政党化と政策固定化をもたらすことが無駄削減に寄与しないことは明らかです。

民主党は震災のどさくさに紛れて衆院比例区定数80削減を今国会で、という方針を先に示していました。衆院比例区定数80削減は福島県民を中心に脱原発を心の底から願っている主権者の主権を一層切り崩すことになり、原発差別にさらなる差別を押し付ける二重差別です。

合わせて政府・民主党は、作為の罪がなくとも令状なしでコンピューター記録を閲覧できるコンピューター監視法案を形ばかりの審議で強行採決しようとしています。

生活インフラの破壊をもたらした地震・津波の後に希望の政治が到来すると思いきや、民主主義インフラの破壊という政治災害が続く。

さらに、震災発生から1週間も経ってからしか被災地に到着しなかったのに沖縄海兵隊の存在意義を強調して、福島入りしないのに米放射能等対処専門部隊CBIRF(シーバーフ)を派遣して訓練風景だけ見せつけた張りぼてトモダチ作戦で日米軍事同盟の強化を図る日米政府。沖縄差別を止めるつもりはありません。

加えて自民党は、新憲法草案で自治体差別立法を抑止するための現95条を削除し、憲法レベルで福島原発震災の原因である差別政治の深化を狙っています。

差別政治の根っこは何も変わっていないのに、これまでの原発推進政策を心底改めることなく、政府による原発震災対応のまずさを嬉々として追求する自民党。

この点を含め、民主や自民から出される一連の比例区定数削減論を従来的意味における1票格差の是正としか説明せず、言論弾圧となるコンピューター監視法案の重大さをメディアが伝えていない事態も、恐ろしいものです。

原発を推進してきた民主党や自民党などは、民主主義インフラの破壊ではなく、差別政治の強化でもなく、日米軍事同盟の深化でもなく、民主主義の深化を実践しなければなりません。民主主義インフラがなく、人権が確立していないところに震災復興などあり得ない。

原発推進政党は定数削減で身を切りたいとよく言います。しかしそんなことをしても原発推進政党の身を肥やすだけです。それより、原発推進政党の議員は、歳費を全額原発被災者に差し出す法案を作ったらいかがですか。
 
 
太田光征
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