2013年12月6日の参院本会議:「特定秘密の保護に関する法律案」の討論終局から採決に至るまでの議長席における会話

12月 21st, 2013 Posted by MITSU_OHTA @ 18:36:55
under 秘密保全法 No Comments 

非常に生々しい会話が聞き取れます。

山崎正昭議長らが投票途中での延会まで検討した上で、最終的に記名投票を決定。野党は「牛歩なんて絶対しない」と見透かされ、民主党は議長判断(延会)を容認、共産党は「救いの手」を出したとか。「もし記名投票といった場合は、脇(雅史自民党参院幹事長)先生は、議長の首を取りに行く」と自民党内での攻防までダダ漏れ。

参議院インターネット審議中継
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
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【抜粋】

「いま靴上から投げた傍聴人がいます。…いまもう捕まえて上にしょっぴきました。」

「他の会派、いま仁比先生だけが討論終えて上に上がって来ていますが、他の理事はぜんぜん上がって来ません。というか水野さんいませんよ。」

「ちょっとお待ちください。いま共産党が救いの手を出しました。」

「最初からあの延会をやるという心積もりでしたから。」

「えーやってもやってもいいですよ。押しボタンで。」

「民主党は議長判断で延会でよろしいと。」

「規則上は5分の1以上の要求があれば記名投票にしなければならないと。」

「やっぱり規則は規則ですから、議長は破るわけにはいきませんっ。」

「押しボタンは結果出ます。記名も出ます。ただあの時間がね、牛歩でもされたらアウトですよ。」

「牛歩なんて絶対しないと思います。」

「もし記名投票といった場合は、脇先生は、議長の首を取りに行くぞと、まで言っておりますけど。」

【全体】

(仁比聡平議員の討論)

11:28 これにて、討論は終局いたしました。しばらくお待ちください。

12:06 いま靴上から投げた傍聴人がいます。

いまもう捕まえて上にしょっぴきました。

これもうもたないですよ。

12:48 場内協議関係で…

13:00 議長の判断ですけど、どうされますか。もう押しボタンでいきますか。

他の会派、いま仁比先生だけが討論終えて上に上がって来ていますが、他の理事はぜんぜん上がって来ません。というか水野さんいませんよ。

13:30 ちょっとお待ちください。いま共産党が救いの手を出しました。

とにかく討論終局まではもう済んでます。

こうやっているうちに記名投票した方が早いですね。

共産党の、共産党の結論を聞いて。

はいはい分かりました。

共産党の意見を聞いて。

はい、はい。

これはね放棄したんですよ。…

そうですよ、そうです。

なぁ。

いまちょっとまた議運の委員長のところに行ってですね、延会手続きでどうですかともう一度言ってきます。そうすれば理事会協議にもできますので。このまま時間過ごすと日を越えてしまいます。

はい、はい。

17:15 最初からあの延会をやるという心積もりでしたから。

…これね結果を出してだね。

18:23 えーやってもやってもいいですよ。押しボタンで。

はい、押しボタンでいいですか。

やってもいいですよ、もうこれ、ちょっとまって。…

19:10 議長、それではこのまま押しボタンで行くということでよろしいですか。

ちょっとお待ちください。

20:00 採決に加われるんだろ、押しボタンで。

そうです、加われます。

加われるんならいいじゃん。

事実上の記名投票ですから。ただそのトウキに基づいて出してきたことをどうするか。でももう議長も認めない、議運長も認めない。

んだからどうにもならんでしょ。

民主党は議長判断で延会でよろしいと。…

そうなると押しボタンだな。

21:14 規則を盾にとって押しボタンではダメなん。

…なければならないと。

だから、議長の判断で延会にしろと。

こんなところで押しボタン押したら。

22:35 採決に加われるんだろ。

採決には加われます。

…議運…出してきても。

22:48 規則上は5分の1以上の要求があれば記名投票にしなければならないと。

でもあれでしょ。

記名やるか記名、記名。

23:20 記名はもうだめじゃないですかね、まぁやれんことないです、20分…

やぁやぁこれ延会…

延会にするという決め手の論理…

23:58 採決に加われるんだろ。

24:26 やっぱり規則は規則ですから、議長は破るわけにはいきませんっ。

んー

24:32 だったらあれにするわ、延会にするわ。

延会ですか。

そうしないと時間間に合わない。

記名投票したら結果でるの。

押しボタンは結果出ます。記名も出ます。ただあの時間がね、牛歩でもされたらアウトですよ。

だから延会すればいいんでしょ。

そうです。ただ、投票の途中で延会するしかないですね、そうなると。投票の途中で延会するしかないですね。

そうそうそう、それは了承するから。

はい。

…ないですよそんなこと。…牛歩なんてしない…

25:40 牛歩なんて絶対しないと思います。

投票の途中だな。

はい、途中でもできます。

了承がなければだめだろ。

いえ、それはだいじょぶです。時間が来たらもう議長の権限でやれますから。ちょっとお待ちください、その確認だけしますから。イドウがだめでも。

26:28 (議場:議運で…何なんだよ)

28:28 もう一度、議長は、あの規則違反をすることはできないと、すぐ記名投票をやろうと、言ってますということを議運委員長に伝えてよろしいですか。

はい、…あの、行って、記名投票で早く決めろと。

時間…時間ないと時間。

29:50 録音中断

31:12 録音再開

138条です。

2通りの選択肢を見ました上で我々は押しボタン方式しかないと思っているが、議長判断であれば仕方がないと。

それじゃやりましょう。これより採決にかけます。

もし記名投票といった場合は、脇先生は、議長の首を取りに行くぞと、まで言っておりますけど。

あっ、いい、いいです、どうぞ、はい。やってください。やりましょう。

これより採決をいたします。足立信也君ほか57名により評決は記名投票をもって行われたいとの要求が提出されております。現在の出席議員の5分の1以上に達しているものと認めます。よって評決は記名投票をもって行います。本案に賛成の諸君は白色票を、反対の諸君は青色票を、ご登壇の上ご投票を願います。

(以下、略)

太田光征

特定秘密保護法案――戦前体制からの脱却と違憲身分の解消を真っ先に

12月 3rd, 2013 Posted by MITSU_OHTA @ 0:26:32
under 秘密保全法 No Comments 

特定秘密保護法案――戦前体制からの脱却と違憲身分の解消を真っ先に

国会議員の皆さま

 自民党の町村信孝衆議院議員は、特定秘密保護法案が戦前の軍機保護法に類似しているとの指摘を極端な話として突き放していますが、共同通信が曝露したように、陸上自衛隊が首相にも防衛相にも知られずに秘密情報部隊を組織して、海外でスパイ活動を行ってきたこと、また同党の石破茂幹事長が同法に反対する街頭行動について「絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と考えていることなどから示されるように、現在は戦前の体制・思想・体質から決別し切れていません。

特定秘密保護法案:戦前に類似「極端な話」 町村氏、報道を批判
http://mainichi.jp/select/news/20131130mog00m010013000c.html
陸自、独断で海外情報活動/首相や防衛相に知らせず/文民統制を逸脱/民主国家の根幹脅かす
http://www.47news.jp/47topics/e/247996.php
沖縄など: 石破茂(いしばしげる)ブログ
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-18a0.html

 福島原発事故は生命・人権軽視、「想定外」を最初から抱えた希望的/無謀的計画、教訓無視、無反省、無責任、無制御の官僚主義という戦前の遺産の産物といえるでしょう。第一次安倍内閣は、原発電源対策の不備を野党から指摘されながら、それを無視しました。

 東京電力による放射性物質のばら撒きは特定秘密保護法案でいう「特定有害活動」に他なりませんが、放射性物質を取り締まる法律もろくに整備せず、日本の安全保障のためといっても、まったく説得力がありません。定数是正訴訟の判決を取り消してほしいと国会議員が言っている場合ではなく、真っ先に「無主物判決」を取り消してほしいと主張するべきです。

【参院選無効判決】「取り消してほしい」と自民・脇参院幹事長 「本質的協議ない」との指摘に立腹
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131129/plc13112921500020-n1.htm

 その定数是正訴訟ですが、11月20日の最高裁判決に続き、11月28日の広島高裁岡山支部の判決で、現国会議員が違憲の身分にあることが表明されました。違憲議員が国民主権を切り縮める特定秘密保護法を成立させる資格はありません。国会議員は平等な国民主権を保障すべく、選挙権関連の平等を何よりも優先して実現しなければなりません。物事の優先順位をあべこべにしないようお願いします。

【要望書】選挙権関連の格差は「定数配分の格差」だけではありません〜「0増5減」は無所属候補に対する差別を拡大する〜
http://kaze.fm/wordpress/?p=468

 特定秘密保護法案の中身についていえば、ISD(投資家対国家の紛争解決)条項によって企業主権を「国家主権」の上部に置くのがTPP(環太平洋経済連携協定)なら、やはり企業主権を国民主権の上部に置くことになってしまうのが特定秘密保護法案でしょう。「適合事業者」(国籍規定なし)が「特定秘密」を保有でき(5条4項、8条)、さらには特定秘密を条件付きながら第三者に提供できるからです(10条3項)。

 石破幹事長は上記発言の一部を撤回しましたが、依然として「一般の方に大音量という有形の圧力を加えるという点で、(街頭デモは)民主主義と相いれない部分があり、(テロと)相通ずるものがある」(12月2日付朝日新聞)と語っています。テロ=「主張に基づき、他人や国家に強要する活動」と読める条文もそのままです。

 11月18日にお届けした要望書の通り、特定秘密保護法案を否決されるよう、お願いします。

【要望書】特定秘密保護法案――虚構の安全保障ではなく国民主権の保障を
http://kaze.fm/wordpress/?p=513

2013年12月3日

「平和への結集」をめざす市民の風
http://kaze.fm/

ガダルカナルから見えてくるもの(彦坂 諦、小金原・憲法九条の会、2013年11月30日)

12月 2nd, 2013 Posted by MITSU_OHTA @ 17:23:52
under 一般 No Comments 

千葉県松戸市の小金原・憲法九条の会が2013年11月30日、講演会「”戦争”を語る」を開催しました。話者は『ある無能兵士の軌跡』シリーズの彦坂 諦さん。

演題は「ガダルカナルから見えてくるもの」となっていますが、福島原発事故と特定秘密保護法案を抱える今こそ、考えるべき内容です。

「嫌になるほど、あきれるほど、ちっとも変わってませんから、この国は」

乗り越えるべきは、福島原発事故と特定秘密保護法案そのものだけではないことが、分かります。

以下は、話者ご本人から提供いただいた講演の「台本」です。

太田光征

ガダルカナルから見えてくるもの

2013年11月30日
小金原・憲法九条の会
話者 彦坂 諦

はじめに

 ガダルカナルから見えてくるものについて話してほしいという依頼を受けました。このいまじつに適切な発想だとおもいます。というのも、いまから68年まえに「大日本帝国」という名の国家の敗北によっておわった戦争のなかでも、このガダルカナル戦では、この国家の軍隊ののあらゆる病巣が露呈されているからです。
 ガダルカナル戦の経緯を追っていけば、そこから見えてくる欠陥は、いくつもあります。なぜ見えてくるのか? そういった欠陥が21世紀のいまのこの国のあらゆるところにそっくりそのままと言ってもいいようなかたちで残っているからです。
 これから具体的に指摘していくその病巣のどこがどのようにいまだに残されているのかといったことには、わたしは、ほとんど触れないつもりです。ですが、どうか、福島第一原子力発電所の大事故とその処理のしかたや「特定秘密法案」を制定しようと躍起になっているひとたちのふるまいなどをおもいうかべながらおききになってください。

A.なにがおこったのか?

 ガダルカナル戦でおこったことは、2点に収斂します。
1.日米開戦以来はじめての惨憺たる敗北であったことです。この敗北のしかたが、そして、その後のどの戦闘でもくりかえされていくのです。
2.大量の飢え死をだしたことです。
 ガダルカナル島に送りこまれた日本軍将兵の数は30000人あまり、
 死んだひとは、約20000人です。この20000人のうち、
 戦闘で死んだのは5000〜6000人、
 のこりのほぼ15000人(75パーセント)は飢え死です。

A.1. 惨憺たる敗北
 要するに、失敗につぐ失敗の連続でした。
 まず、せっかくつくりあげたばかりの飛行場を米軍にやすやすとうばわれてしまった。 これを奪還しようと送りこんだ一木支隊は目的地にたどりつくまえに壊滅させられた。 つぎに送った川口旅団も、目的を達成する以前に密林にのまれて消滅した。
 こんどこそというので送りこんだ第二師団による「大攻勢」も、計画は壮大だったが、そのなかばも実現しえぬまま、これまた密林にのみこまれてしまった。
 あとは、食糧の供給も絶たれた敗残兵が密林のなかでいたずらに飢え死にしていくままにまかせた。
A.2. 飢えて死んでいく兵たち
 わたしが説明するよりも、じっさいにその現場にいたひとたちの証言をいくつか紹介しましょう。それぞれ資料としておわたしてあります。では、その1から。

資料1 死なないうちに蠅がたかる
 死なないうちに蠅がたかる。追っても追ってもよってくる。とうとう追いきれなくなる。と、蠅は群をなして、露出されている皮膚にたかる。顔面は一本の皺も見えないまでに、蠅が真っ黒にたかり、皮膚を噛み、肉をむさぼる。
 そのわきを通ると、一時にぶーんと飛び立つ。飛び立ったあとの食いあらされた顔の醜さ、恐ろしさ。鼻もなく、口もなく、眼もない。白くむき出された骨と、ところどころに紫にくっついている肉塊。それらに固りついて黒くなった血痕。(中略)思わず面をそむけると、何百という蠅の群れは、再び地べたの腐肉にむさぼりついた。
               (歩兵第124聯隊、聯隊旗手、小尾靖夫少尉の日記)

資料2 墓標のない墓場、埋められていない埋葬地
 まだ蠅のたかっているもの、白骨になっているもの、睾丸を大きくふくらましているもの、手足の骨がバラバラになって道に散り、人の踏むにまかせているもの、こちらのボサに、あちらの草むらに、無気味な肉塊は後をたたぬ。墓標のない墓場、埋められていない埋葬地、その墓を縫って道が続いている。歩くたびに、足もとから蠅が舞い立ち、また腐った頬に、額に、唇に帰ってゆく。木の間を洩れてくる月光に浮ぶ髑髏は、黒々と眼窩をあけて怨むが如く足もとに転がっている。木の枝かと思ってうっかり踏むと、白い骨がポキリと音をたてたりした。
             (第二師団コカンボナ糧秣交付所勤務吉田嘉七曹長の手記)

資料3 「コカンボナ糧秣交付所にありて」

椰子折れて倒れし道を
前線よりよろめき来たる
数人の兵をつれたる
将校の、われに頭を下げ、
給わらば我食うならず。
一線は補給とだえて既にひと月
密林は焼き払われて
わずかに残りし青き葉はなべて喰えど、
未だ来ず、米だに、塩だに、
戦友は待ちに待てれば、
かくわれら出で来しものを、
一粒にても、一かけにても得たきものをと、
ひたすらに乞える言葉や。
鋭くもわが胸をつき、煮え沸る腸の
いかにとや我は答えん。
連絡は早くとだえて、
交付所とは既に名のみに、
糧秣はかげすらも無く、
今椰子の実にいのち依る身の
苦しさや、はりさけんわが心。
ああ、いかにとや我は答えん。
好みてはなど断らん。
補給はこれわが任なるを。
かかる間も憎さも憎し、
これ見よがしに敵機来てまう。
                        (資料2の筆者とおなじ)

資料4 非科学的であり非人道的である生命判断はけっしてはずれなかった
 どうやらおれたちは人間の肉体の限界まで来たらしい。生き残った者は全員顔が土色で頭の毛は赤子のウブ毛のように薄くぼやぼやになってきた。黒髪がウブ毛にいつ変ったのだろう。体内にはもうウブ毛しか生える力が、養分がなくなったらしい。(中略)やせる型の人間は骨までやせ、肥る型の人間はブヨブヨにふくらむだけ。歯でさえも金冠や充填物が外れてしまったのを見ると、ボロボロに腐ってきたらしい。歯も生きていることをはじめて知った。
 このころ、アウステン山に不思議な生命判断が流行りだした。限界に近づいた肉体の生命の日数を統計の結果から、つぎのようわけたのである。この非科学的であり非人道的である生命判断はけっして外れなかった。
 立つことのできる人間は……寿命は30日間
 身体を起して坐れる人間は……………3週間
 寝たきり起きれない人間は……………1週間
 寝たまま小便をするものは……………3日間
 ものを言わなくなったものは…………2日間
 またたきしなくなったものは……………明日
                        (資料1とおなじ小尾少尉の日記)

 よく、なんにも食べるものがなかったので、ヘビやトカゲまで食べたといった話をききますが、そんなのはまだ飢えていないときのはなしです。ガダルカナルの密林のなかで餓死しかけた赤松元一等兵の語るところによると、ほんとうに飢えて死ぬ寸前にいたると、ヘビやトカゲのようにすばしこいものなど論外で、すこしでも動くものなどとうていつかまえる体力はのこっていない。木の根、草の根を食べて飢えをしのいだというはなしも、すくなくともガダルカナル島の密林のなかではありえない。密林のなかには、生命力の旺盛な植物がおいしげっています。しかし、食べることのできない。豊穣のなかの飢餓です。
 椰子の実ははじめのころは食べることができた。しかし、すぐに米軍の猛烈な砲爆撃で椰子はねこそぎたおれてしまっていたそうです。

 あることをおもいだしました。『餓死の研究』(立風書房、1992)を書く準備をしていたころ、わたしは、第二師団の軍医としてガダルカナルにいたお医者さん3人にいろいろなことを語ってもらいました。そのうちのおひとりは、飢えた兵を診療するどころか御自身が餓死しそうになった体験をおもちでした。わたしは、医師の立場から、あの事態をどう見るのかをききたかったので、医学書に記載されている症状を並べ、それに対する御意見を具体的にうかがおうとしたのですね。このわたしの長広舌をじっと聞いていたこのかたが、さいごになんと言ったか。「そんなもんじゃないんだね。そんなに細かい医学的なものじゃないんだ。(中略)そこに書いてあるような、全身衰弱とか栄養不良とか、そんなカンタンなもんじゃないんですよ、そんな! グロッキーなんですから、もう!」

 もうひとつ、ガダルカナル戦での餓死に関してこれまで発表されてきたほとんどすべての文献から無視されている問題点を指摘しておきます。餓死への道にも階層秩序(ヒエラルキー)があった、という事実です。現地軍の軍司令官は餓死していません。幕僚たちもです。他方、食糧の補給が途絶するまではとにもかくにも「給与」を受けていた兵たちでも飢えて死んでいった状況のなかで、しょっぱなから、食糧の配給をまったく受けられなかったひとたちが現にいるのです。

 わたしがこれまでつかんでいるかぎり、つぎの4種類のひとたちがいます。
 1.飛行場建設に従事していた徴用工たち
 2.おなじ作業に従事していた朝鮮人土工たち
 3.沈められた船から泳いで上陸した船員たち
 4.おなじく泳いで上陸した船舶高射砲兵たち

 わたしのシリーズ「ある無能兵士の軌跡」(全9巻)の主人公赤松元一等兵はこの「4」に該当します。彼が船舶高射砲兵として配属され、乗船勤務していた九州丸は、いまでもガダルカナル島タサファロングの沖あいに残骸をさらしています。もうほとんど海中に没してはいるのですが。船が沈められた位置が海岸線からそれほど遠くなかったので、赤松さんは、燃えさかる船から自力で脱出し、泳いで岸にたどりつきました。以来、餓死寸前の状態で救出されるまでの4ヶ月間、ただの一度も、軍から食糧配給を受けたことはなかった、と証言しました。
 理由はただたひとつ、彼らの小隊は所属する聯隊から離れた独立小隊として九州丸に乗り組んでいたため、泳いで上陸してみても、所属部隊がなかった、つまり軍隊用語では「員数外」とされる存在だった、ということです。
 おことわりしておきますが、のちにフィリピン戦などで頻発する「遊兵」つまり、所属する隊から棄てられたり脱走したり、あるいは隊そのものが壊滅したり組織崩壊したりしたために、隊から離れてひとり山中をさまよう兵たちと、赤松さんたちとはちがうってことです。赤松さんたちはまがりなりにも小隊としての組織は維持していた。小隊長も、グヮラーンとなってしまってはいたけどまだ死んではいなかった。それでも軍からの「給与」は受けられなかった。員数外だったから。
 正式の兵隊にしてこのようなありさまです。だったら、兵員ではない徴用工や強制連行されてつれてこられた土工たち、あるいは沈没して用ずみになった船員たちにおいておや。この差別に気づいている文献に出会ったことは、残念ながらありません。

B.なぜ、こんな事態になってしまったのか?

 これもふたつの要因にしぼられます。むろん、截然とわけられるものではなく、密接にからみあっているのですが。
1.日本軍の首脳部つまり大本営の参謀諸氏が立てた作戦計画そのものが非現実的なものであったこと。
2.計画立案にさいしてカンジンカナメのことについて無知であり、したがってそれを無視したこと。

B.1 ひとりよがりの計画立案(敵を知らず己を知らざれば百戦ことごとく危うし)
 ひとくちで言うと、とうぜん想定できたはずのことがらを無視し、いざことがおこってしまうと、これは想定外であったと弁明する、そういった風習が、大日本帝国軍隊のとりわけ中核の部分にはあったからです。
 現実をきちんと見すえないままで、つまり客観的分析を無視して、というよりはじめからやろうとしないままで、ただ、そうあってほしいという願望だけにもとづいて計画が立案されていた。
 だいいちアメリカを敵とする戦争の計画そのものが主観的なものにすぎなかった。それが天皇の命令として確定されていくおかしさ、わらうにもわらえない独特の会議運営について、わたしは、かつて、「だれもが反対なのに戦争になってしまった」という皮肉に充ちた文章を書いています。
 ガダルカナル島で日米両軍が死闘を演ずることになった。そもそもの原因は、日本海軍がこの島に飛行場をつくったことにあります。なぜ、こんなところにつくったのか?
 太平洋地域の地図をおもいうかべてください。アメリカの西海岸とオーストラリアの東海岸の主な港湾都市、たとえば、サンフランシスコとシドニーとを直線で結んでみてください。その線は、サモア、フィジー、ニューカレドニアといったあたりを通るでしょう。で、これらの島々を占領してそこに軍事基地をつくってしまえば、太平洋における敵の二大勢力アメリカとオーストラリアとの連絡を遮断できると、日本側は考えた。この計画は、フィジーとサモアとの頭文字をとってFS作戦と名づけられました。
 ガダルカナル島は、この作戦を遂行するうえでの恰好な前進基地となりうる。だから、ここに航空基地をつくった。ところで、こちらがわにとって都合のいいことは、とうぜん、あちらがわにとっては都合のわるいことです。ですから、これまた当然のことながら、この計画を阻止しようとする。そう予測するのが常識です。
 ところが当時の日本軍首脳はそうは思わなかったらしい。なぜか? 相手をみくびっていたのですね。アメリカと戦争をはじめたばかりのころは、それこそ連戦連勝だったから。
とはいえ、いくらひとりよがりの日本軍首脳にしても、相手がこのままおとなしくひきさがるだろうとまでは考えられなかった。いずれ反撃はされるだろう。しかし、その時期は早くても1943(昭和18)年以降であろうと想定していた。なにしろあれだけ徹底的にたたきのめしておいたのだから、連中もそう簡単には立ちなおれまい。
 そう信じこんでいた日本軍首脳は、開戦当時にはおもいもよらなかったかった広大な地域にまで戦線をひろげてしまった。
北はアリューシャン列島、
東はミッドウェー、
南はソロモン、フィジー、サモア、ニューカレドニアまで、そして
西はビルマまで。
 この勢いにのって、ガダルカナル島の飛行場建設ははじめられた。完成したのが1942(昭和17)年の8月です。ところが、このときすでに米軍の猛烈な反撃がはじまってしまった。ガダルカナル島の飛行場は、やすやすと米軍に奪われてしまいました。まさに想定外の事故がおこった。
 やすやすと奪われてしまったのは、こちらがわがほとんど無抵抗だったからです。抵抗のしようもなかった。奪いに来た米軍のほうは、
輸送船23隻に約2万名の海兵隊を乗せ、
巡洋艦と駆逐艦と空母も含む護衛艦隊総勢82隻、
上空から上陸を支援する航空機293機といった、
どう見ても本格的な正面攻撃の態勢であったのに対して、
そのときガダルカナルにいた日本軍はというと、
飛行場設営隊およそ2600人、
警備隊がおよそ250人、あわせてもおよそ2850人だけ、
しかもその設営隊員の85%つまりほぼ2200人は、徴用してつれてきた非戦闘員の工員と、朝鮮半島からおそらくは強制連行してきた土工でした。どう見ても、これは手薄どころのはなしじゃない。防備兵力はゼロにひとしかった。
 なぜ、そんなことになっていたのか? 護る必要などないとおもっていたからです。あのような事態は想定外であったからです。日本軍首脳は、ここの時点で敵が攻めてくる気づかいはないと踏んでいた。よしんば攻めてきたとしてもせいぜい威力偵察程度の小兵力であろうという先入観に支配されていた。
 もういちど言いますが、あれほどたたいたのだから容易に立ちなおることはできまいといった考えは、蟹は甲羅に似せて穴を掘るのたぐいです。自分たちの国では、致命傷を負ったり沈んでしまったりした軍艦を修理したり新しくつくったりすることなど簡単にできはしない。だからアメリカもそうだろうと考えた。アメリカという国家の経済力をはなから嘗めてかかっていたから現実が見えっこない。
 じっさいにはどうだったのか? 日本側が撃沈したといって凱歌をあげていた艦艇はたちまち新しく建造されていた。修復不可能なダメージをあたえた(軍事用語では大破したと言います)ばあいも、さっさと修理して戦線に復帰させていた。
 大本営参謀諸氏には近代の戦争がどういうものかがまったくわかっていなかったのですね。戦後になってからわかったことですが、たとえば、戦争をつづけるには必要不可欠な鉄鋼の生産量は、日本では日米開戦のときがピーク。あとは下がる一方でした。逆にアメリカでは右肩あがりに増えています。国力の差は歴然です。
 もっとずっと以前から戦争は総力戦になっています。いくら緒戦の戦闘で景気よく勝ったとしても、国力がつづかなければ、わけても経済力がおちこんでしまえば、軍事力もテキメンにおちこむ。
 ガダルカナルの飛行場が占領されてしまったときですら、これがアメリカ軍による本格的反攻のはじまりなんだと認識することができなかった。こういった先入権に支配されていたからです。
 この最初の致命的誤認がつまづきのはじまりでした。あとは一時が万事、打つ手打つ手がみな後手であり、しかも致命的誤算ばかりでした。

B2 補給に関する無知・無関心. 
 身体が消費したエネルギーを食べることによっておぎなえなければ人間は死んでしま
う。その、生きるために必要な食糧を、日本軍首脳は将兵にあたえることができなかった。
 ガダルカナルにかぎらず、海外のあちこちに「投入」した兵たちに対する後方支援という考え、いや意識が、日本軍首脳には、具体的には大本営の参謀諸氏には根本的に欠けていたようです。
 日本軍の首脳がいくらぼんくらぞろいで兵たちのいのちを軽んじていたとしても、食糧の供給を意図的にさぼっていたわけではありません。なんとか送ろうとはした。ただ、それがこの島まで届かなかった。食糧を積んだ船が途中で沈んでしまったからです。
 船は自然に沈んでいくものではありません。攻撃され、沈められるのです。だとしたら、ちゃんとした護衛をつけておけばいい。けど、その力がもう日本軍にはなくなっていました。
 ありていにいうと、この当時ソロモン海域では、制海権も制空権ももはや米軍の手ににぎられていた。つまり、米軍の輸送船なら白昼堂々とガダルカナルのどの海岸にも大量の兵員や武器弾薬や食糧や医薬品やトラックや建設資材や、映写機やフィルムやレコードプレイヤーまでも運びこむことができたのに、日本軍の兵隊や武器弾薬に食糧を積んだ船は途中でしずめられずに無事目的地に行きつける保障などもうなくなっていたのです。
 それに、もっと根本的な原因があった。もともと、日本軍首脳には、具体的には大本営の参謀諸氏には、軍事行動をおこすには補給線の確保が必要不可欠であるということがわかっていなかった。わかっていたら、補給線の確保が困難だと予想される地域にまで戦線を拡大するはずはない。

C.困難な事態にどう対処したか?

C.1. 事態を軽くみようとする(過小評価)
 ガダルカナルの飛行場が米軍にあっさりと奪われてしまった時点で、現実には大兵力による本格的正面攻撃であったのに、せいぜい2000名程度の威力偵察であると誤認した。だから、これに対抗するには、北海道旭川の歩兵第28聯隊の一部(一木支隊)900名ほどを「投入」すればことたりると判断した。
 戦車も大砲も充分にそなえ弾薬も食糧もたっぷり用意している2万名のアメリカ海兵師団に対抗するのに、いくら精兵ぞろいだといっても900名ほどの兵に弾薬も食糧もろくすっぽあたえないまま、なぐりこみをかけさせるなど、狂気の沙汰であるのに、軍首脳にはそのことがまったくわかっていなかった。

 一木支隊の戦闘はまさに砲兵と歩兵とのたたかいでした。米軍の猛烈な砲撃によって、一木支隊は、その精鋭ぶりを発揮する機会そのものを封殺されて、むなしくついえてしまった。つまり白兵突撃をなしうる地点まで接近する以前にみなごろしにされてしまった。わずかに生き残った敗残兵たちの前に用意されていたのは、飢えて密林のなかをさまよいあるき、死んでいく運命でした。
 この戦闘でガダルカナル島イル川(日本軍の呼称では中川)の砂州に残された一木支隊将兵の累々たる屍と、幽霊のように密林をさまよう飢えた兵たちのすがたとは、その後いくたびも、この島で、いや、この島以外の多くの島々で、性懲りもなくくりかえされていく戦闘パターンの象徴とも言えるものでした。
 一木支隊の失敗の原因を大本営の参謀諸氏は深刻に感じとる力がなかった。単純に、やはり人数がすくなすぎたのかと考えて、こんどは旅団規模の川口支隊を派遣することにした。旅団規模というのは戦時編制では8000人ほどです。
 この8000人のうち、じっさいにガダルカナル島に到着して川口旅団長(中将)の指揮下に入りえたのは6000人(5個大隊)程度にすぎなかった。なぜか?
 行こうとしても行けなかったのです。8000人もの兵員をそれ相応の装備とともに遠い島まで運ぶには輸送船を使うしかない。しかし、輸送船団に護衛艦隊を配備することなどできなくなっていた。だから、川口支隊も、一木支隊とおなじように、駆逐艦や上陸用舟艇程度のボートに分乗して、渡った。そんな無理をしなければならなかったのも、すでに指摘したように制海空権を米軍にうばわれてしまっていたからです。6000名もの兵が無事上陸できただけでも、のちにくらべれば奇跡的な成功です。しかし、兵たちは上陸したが武器弾薬はほとんど届いていない。
 この時点でもまだ、大本営参謀諸氏は、米軍はたかだか5000名に戦車が30台、15?砲が数門くらいだろうと踏んでいた。この程度であっても、しかし、戦車どころか大砲もろくすっぽ持っていない川口支隊が正面から攻撃しかけたのでは勝ち目がうすかろう。そう判断したから、日本陸軍のお家芸である夜襲をかけることにした。つまり密林に潜入迂回して敵の背後を衝こうと考えた。これが深刻な事態をまねく。
 ガダルカナル島の密林のなかに潜入迂回して敵陣の背後を衝く。地図だけ見て作戦を立てる連中には卓抜な作戦であったのかもしらないが、いや、現地を知らないにもほどがある。ガダルカナルの密林がどういうものなのかを、参謀諸氏のひとりとして知る者はいなかった。
 ガダルカナル島の密林というのは、千古不抜、人跡未踏のおそろしいところです。大木が空を蔽っているから陽の光が地面にとどかない。だからいたるところぬかるみだらけ。そのぬかるみに足をとられながらあえぎあえぎ進む兵の前に巨木な倒木が立ちはだかる。乗りこえることなどできやしないから、避けて進む。そんなことをやってるうちに方角を見失う。難渋して計画どおりの速度では進めない。体力も消耗するし、乏しい食糧もつきてしまう。川の水は日米両軍の糞便で汚染されているから、飲んだら下痢をする。大木がいたるところで道をふさぐ。踏みこんだら最後、密林にのみこまれてしまうのです。
 一木支隊の攻撃のときより一段と強化された防衛陣を構築し手ぐすねひいて待ちかまえていた米軍に、密林のなかで消耗しきった日本兵がとにもかくにも突入していったのですから、勝負になるはずがない。生きのこった兵たちを待っていた運命は一木支隊のばあいとおなじ。密林のなかをさまよいあるき餓死していく。
 こんどこそ、大本営の参謀諸氏もここからの教訓をくみとったか? だれひとり、なにひとつくみとりはしなかった。それでも、兵力の「逐次投入」はいけないってことだけはわかったらしい。兵力の逐次投入とは、必要なときに必要な兵力を一挙に投入することをためらって、ケチケチと小出しにしていくことです。
 こんどこそ大兵力を動員して正攻法でいこうというので、大本営は、第二師団を主力とする総員28000名の本格的増援軍を、火砲200門、戦車と軽装甲車75両とともに送りこみ、この軍団の上陸予定日までには、1ヶ月分の食糧と8000トンの弾薬を輸送集積しておくといった壮大な計画をたてました。
 しかし、ここでもまたおなじこと。机のうえで計画を立て、命令をくだしさえすればそれが遂行されるものとはかぎらない。最大のネックはまたしても輸送でした。これだけの大兵力をはこぶとなればもう輸送船をつかうしかない。1万トンクラスの大型高速船ばかりの6隻で船団を組み、当時としてはこれ以上のぞめない強力な支援艦隊を海軍につけてもらって、一挙にソロモン海をおしわたるはずだった。
 結果的にはこれも大失敗におわる。たしかに、護衛艦隊は6隻の大型船を無事ガダルカナルまで送りとどけることができた。船員も船舶砲兵も船舶工兵も、米軍の猛烈で執拗な銃爆撃のもとで文字どおり生命を賭して揚陸作業をおこないました。
 にもかかわらず、輸送船6隻のうち3隻はせっかくたどりついたガダルカナル島タサファロング泊地で沈められてしまった。積荷のうち揚陸できたのは半分にみたず、その大半が、せっかく海岸までは揚げたものの密林のなかまで運ぶ手順がうまくいかずに放置されているあいだに、猛烈な砲爆撃によって焼きつくされてしまった。兵たちだけは泳いで上陸できたが、丸腰で人間だけ島にあがったところでこの先戦えるわけがない。結局、当初の計画の半分も達成できなかった。 
 となると、当然のことながら「大攻勢」などできるはずがない。だから、またしても「密林潜入迂回・夜襲」作戦となった。川口支隊の失敗の二の舞です。

C.2 過去から学ぼうとしない。
 わかりやすい例だけをあげましょう。ガダルカナル戦のわずか3年まえにノモンハン戦争がありました。日本側ではこれまた戦争という表現をさけて「ノモンハン事件」と称していますが、モンゴル共和国側の正式名称は「ハルハ河戦争」です。旧満州国とモンゴルとの国境付近で日ソ両軍が戦闘をおこなった局地戦です。
 この戦闘で日本軍は完膚なきまでたたきのめされた。すでに機械化されていたソ連軍とむかしながらの日本軍との力量のちがいが歴然とした戦闘でした。日本軍には三八式歩兵銃と手榴弾しかなく、お家芸の白兵戦にもちこむ以前に ソ連軍の戦車と航空機と機関銃との攻撃にやられて壊滅してしまった。
 この苦い経験が、ガダルカナル戦ではいっこうに生かされることなく、強力に機械化されたアメリカの大軍に、またしても少数精鋭で白兵戦をいどもうとした。だから、突撃にまえへ! という命令をくだしうる地点まで肉薄などできるわけがなく、そのはるか手前で壊滅しています。歩兵が三八式銃だけで砲兵にいどめば勝敗はあきらかです。
 一時が万事。あの戦争のどの過程においても、どの戦場にあっても、過去の経験に学ぶこと、具体的には過去にやらかした失敗から教訓を得ようとすることはせずに、ただがむしゃらに、これまでとおんなじことをくりかえしたと言っていい。

C,3..官僚主義
 日本にかぎらずどの国家にあっても軍という存在はそれ自体が膨大な官僚組織ですから、そこでおこなわれている行動のすみずみまで官僚主義が浸透している。これは常識です。それにしてもとりわけ「大日本帝国軍隊」にあっては官僚主義の弊害が他に類を見ないほど大きかった。
 官僚主義にあってもっとも特徴的なことは、上部の専決と下部の盲従です。むろん、上部がかってになにもかも決めるといったことは、じっさいには、ありえません。上部は、下部からの報告にもとづいて、目標を定め、計画を立て、命令として下達するのです。
 問題は、この下部からの報告つまり上部への情報伝達のありようなんですね。要するに、下部は上部のお気に召すような情報しか伝えない。正直にありのままを伝えようものなら、どんな眼にあうかわかっていた。きさま、やる気あるのかと、どなられ、ののしられ、なぐられ、足蹴にされる。
 いいことづくめの報告にもとづいて上部が策定する作戦計画なのですから、現場の実情からかけはなれた、達成しようにもその現実的基盤のない命令となって現場の将兵を苦しめることになるのです。
 ガダルカナル戦における例をひとつだけあげておきます。第二師団による「10月大攻勢」を「密林迂回」によって実施することに決定したのは、第17軍高級参謀の小沼大佐が密林の状況を「視察」した結果、密林迂回は可能であると判断したからだ、と防衛庁の公刊戦史には記載されています。けど、この「視察」とはじっさいに密林のなかに足を運んで状況を観察したのではなく、軍司令部付近の「展望台」から双眼鏡でのぞき、密林にはすきまも見うけられると「判断」したにすぎなかったのです。
 この判断にもとづいて密林のなかを進軍するように命令された兵たちが、さて、じっさいに足を踏みいれてみると、実情はどうだったのか? このことについては、すでに川口支隊のところでのべたとおりです。

おわりに

ガダルカナル戦から見えてくる病巣はこのほかまだいくらでもあります。ひとつひとつ指摘していけばきりがない。アトランダムにあげてみれば、つぎのようなこと。
1.大言壮語
 声の大きいひとの意見にひきずられて大勢がきまってしまう。あるいは、根拠薄弱なところを大言壮語で糊塗すると。
2.住民無視
 作戦計画遂行の邪魔になるばあいには、そこに先祖代々くらしているひとたちのくらしなど平然と蹂躙する。
3.気魄の誇示
 たんなるジェスチャーでもいい、やる気のあることを誇示すればすむ。なんの根拠もなく、だれもほんとうはその意味などわからないスローガンをがなりたてる。
 この姿勢は「精神主義」と一般には言われているようですが、それでは精神に対して失礼であろうとわたしは考えます。精神=spiritというのは、たとえようもなく高潔なものです。それを汚すような言いかたですよ、これは。いたずらに大和魂をふりまわすようなふるまいは、たんなる神がかりにすぎません。本来の精神主義とはまったくカンケイナイ。
4.情報の完全な統制と秘匿
 すべての情報が完璧に統制され秘匿されていた。日本本土から6000キロも離れた南太平洋上の島で日本軍とアメリカ軍が戦争をしていることだけは、国民にも知らされていた。けど、その実態はまったく知らされていなかった。
 日本軍が勝ったという報道だけは、じっさいよりはるかに誇大であり、またウソっぱちであったことがのちにばれたとはいえ、戦意昂揚に役立つものとして流された。だから、まさかあの島で兵隊さんたちが飢えて死んでいっているなんてことは、わたしたちはまったく知らなかった。
 戦時中の情報統制は完璧でした。ラジオで流される天気予報ですら、いまならさしずめ特定秘密指定と言うんでしょうねえ、軍事機密あつかいでした。
 ほかにもまだまだあります。考えることをやめる、つまり思考の停止、「かたづける」という思考。なんでもいい、その場から見えなくしてしまうのがかたづけるってこと。しまいには自分もかたづけてしまう。
 しかし、さいごにはっきりと言っておきたいのは、ガダルカナルから見えるものすべてをつらぬいているのはなにかってことです。
 いのちをたいせつにしない、いや、かろんずる、という思想です。
 もともと「大日本帝国軍隊」にあっては、兵のいのちなどけっして尊重されなかった。人命軽視はまさに軍人の本分でした。
 軍人勅諭の第一項「軍人は忠節をつくすを本分とすべし」のなかに「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ。その操を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ」といういましめがありました。このいましめが「戦陣訓」のいましめと重なりあって日本軍将兵に捕虜となるより死を選ぶという行動をとらせたことはつとに有名なところです。
 もともとどこの国のどのような軍隊であれ、それが軍隊であるかぎり、兵は、どうにでも自由につかうことのできる道具=物にすぎません。とはいえ、兵の生命をどれほど尊重するかどうかは、軍隊の質やその背景にある社会の文化によってことなります。もっとも、倫理的宗教的な背景があって人命が尊重されるのか、それとも、「戦力」としての軍人の効率的養成と利用という観点からなのかは、そうそう厳密に分けられるものではありませんが。
 ともあれ、兵は死んでもかわりはいくらでもある、というのが軍の思想です。よく言われたように兵のいのちは軍馬のいのちよりもおとっていたのです。軍隊用語では兵たちが死んで戦力が低下するのを補うために新たに兵をおくりこむことを補充と言います。物品の補充となんらかわらない概念です。