大政翼賛会でさえも選挙供託金制度の撤廃を図っていた
第23回参議院選挙無効請求訴訟( http://kaze.fm/wordpress/?p=478 )の準備書面の作成のために、過去の国会審議を調べています。
第2回口頭弁論が11月21日午後3時30分から東京高裁511号法廷(5階)であります。傍聴をよろしくお願いします。
所在地(東京高等裁判所)
http://www.courts.go.jp/tokyo-h/about/syozai/tokyomain/
以下は、昭和33年の国会公聴会における柚正夫公述人の見解です。冒頭に抜粋を載せておきますが、普通選挙の導入と引き替えに立候補権と選挙権が制限されたきた歴史がまとめられています。大政翼賛会でさえも選挙供託金制度の撤廃を図っていた。
「供託金制度は、一九二五年、大正十四年わが国に初めていわゆる一通選挙法が施行されまして、イギリスの制度にならって新設せられましたもので、当事衆議院議員について二千円ときめられました。立法趣旨は、普選に伴う候補者の乱立を防止しようとするにあったのであります。そうして実際のねらいは、無産政党の進出を抑えることにあり、当初内務事務当局案が一千円であったのを、既成政党側は二千円に引き上げられたと伝えられております。」
「供託金制度の上述の性格が理解されましたためか、一九三八年、昭和十三年でありますか、第一次近衛内閣のときに、水野錬太郎総裁は議会制度審議会で一千円に減額する答申を行なっております。次いで、二年後の一九四一年、大政翼賛会は選挙制度改革に関する基本資料を作成いたしました際、賛否両論はあったものの、供託金制度の撤廃をはかっております。旧憲法下でさえ、選挙民の代表者選択権はこのように尊重せられるのか当然であるといたしますと、最初述べましたような意味を持った現憲法下の選挙過程にありましては一そう当然であり、それ以外の態度はあり得ないのであります。従って、各種選挙における供託金の引き上げは、民主国家の選挙法規として原理的にふさわしくない処置といわなければなりません。」
「普通選挙制以前の制限選挙制のもとでは、選挙運動はきわめて自由で、戸別訪問も大っぴらに許されていました。一九三五年の普通選挙制とともに、選挙運動の規制が細部にわたってわずらわしくなり、罰則もきびしくなりました。」
「戦後になりまして、当初選挙運動の規制はかなあらゆるやかになりました。第三者選挙運動も、政党や推薦団体の政治活動がかなり大幅に認められたのであります。」
「一九五〇年、昭和二十五年の公職選挙法は、選挙運動の規制を強化し、その後の改正で、候補者の所属政党や推薦団体による政治活動を制限する傾向を示して今日に至っております。」
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30 - 衆 - 公職選挙法改正に関する… - 1号
昭和33年10月30日
○杣公述人 柚正夫であります。選挙法のあり方につきまして、平素私が考えておりましたことと、今回の公職選挙法改正案の主要な項目と関連づけて、意見を申し上げようと存ずるのであります。あとから申しますように、選挙法というのは政治道徳と密接な関係を持った法律でありますので、その点私の意見が、あるいは皆様にとりまして釈迦に説法といったような道徳話めくかもしれないのでありますが、皆様か選挙法、従ってそれに伴う政治道徳において釈迦に位置して下さるならば、選挙制度を研究している研究者といたしまして、まことにうれしいことでありますので、こうした釈迦に説法もどうか御容赦願いたいのであります。
ます、選挙法というのは、国政の働きの上でどのような位置を持っておるかということに関連してなのであります。代議制の統治過程は、選挙過程、国会過程、それから行政、司法等の法制の実現過程という順次に相次ぐ一つの段階からでき上っているのであります。そうして最初の選挙過程と、最後の行政過程で一般国民に接しているのであります。いわばそういう窓口を持っているのであります。この接し方は、選挙過程は国民の意思を徴するのであり、あとの行政等の過程は国民に奉仕し、あるいは国民を統制するといった接し方であります。選挙過程におけるこの国民の統治への意思を聞くという接し方は、言うまでもなく、国民に主権がある場合、国民の主権性の最も主要な発現形態であるのであります。さて、国会は統治に関する最高の権能を持っておりますから、こうした国民の主権的意思の発動によって選ばれた国会議員は、国民の主権的な権力の現実のにない手になるのであり、中でも衆議院は第一院として、より優越した権限を参議院に対して持っている関係上、衆議院議員は国民の主権的権力のより優越した行使者、実現者となるのであります。つまり国会議員は、国民主権の具体的実現者であります。このような国会議員団は、もっぱら選挙過程を通して選出せられ、構成せられます。ここでもっぱらと特に申しましたのは、旧憲法で、貴族院の構成は選挙によらない別の方法によったことかあったからであります。こう考えますと、選挙過程が、それに次ぐ国会過程、行政等の過程に、まさるとも劣らない重要性を持つことがうなずけるのであります。従って、この選挙過程を規律する選挙制度の中心法規としての選挙法の重要性を、あらためて認めていただきたいと思うのであります。国家の統治過程について考えた以上のことは、地方公共団体についても、多少の修正はあるものの、基本的には同じように当てはめることかできると思います。
第二に、国会の以上のような意味に加えて、議院内閣制をとることによって、国会の議員勢力の意味が、旧憲法時代とは比較にならないほどの重さを加えてきたことを指摘しなければなりません。旧憲法の時代には、内閣は国会の、そうして衆議院の多数を持っているかどうかには関係せず成立し、総辞職をしたのであります。内閣の総辞職は、元老、重臣、一部閣僚、軍部等々の意向によって、やむなくせられることも多かったのは御承知の通りでございます。ところが現在の議院内閣制のもとでは、内閣は、国会の多数に支持せられている限り、議員の任期のある間、内閣を維持できるのであります。国会の多数派は、内閣の死命を制する絶大な権力を持っているわけです。そこで、もし極端な場合、国会の多数派が国民の圧倒的な意向を無視したり、ある片寄った党派的利益を重視したり、国民の重大な困難にしいて知らぬ顔をしたりしても内閣は議員の任期中は安閑としていることもできるわけです。つまり国会の多数勢力、そして内閣は、議員の任期中は自分に対して責任を負うだけで、他のいかなる機関にも責任を負わず、他のいかなる勢力からも統治の権限を制約せられることは、制度的にはないのであります。国会議員、それも特に衆議院議員の任期中は、その多数勢力の政権担当者としての良心だけが、いわばその多数勢力の統治の監督者、批判者であります。主権者である国民全体は、議員の任期中は、よき国政を全く議員の多数勢力の良心に期待するだけであるというのがわが統治制度の実際であります。そうして選挙は、このような統治権行使のいわば全権委任を行う機会であり、同時にまた、それまでの統治を批判する機会でもあります。有名なルソーの言葉に、イギリスの議会政治を見て、「人民は選挙のときだけ自由であるが、選挙が済めば奴隷になる」と申したのは、こういう関係の悪い面を皮肉に言ったのであります。この関係を言いかえますと、内閣を含めて、政府の政治責任を根本的に問う機会は、選挙をおいてほかに憲法では作られていないことであります。それゆえ選挙の意味が、旧憲法と全く違った思い政治目的を持つようになったのであります。
最近の選挙法に関する学者の意見の中に、「憲法は旧憲法から根本的に変った。ところがその重要付属法規である選挙法は、旧憲法下の体裁を基本的には維持継承せられてきている。これは問題である。」というのがありますが、この点私も同感であります。その理由は、上に述べました通り、選挙の意味か全く変ったからであります。従いまして、選挙において、国民の国政に関する意向ができるだけ正確に反映できなければなりません。もし選挙過程で、政党が国政に対する国民の批判や意向を公正にくみ取らなかったならば、国政は、人民のための政治となっていく反省の機会を失うことになるのであります。もしそうなら、ルソーの皮肉、すなわち「選挙のときは人民は自由である」より、もっと悪くなるのであります。こういう理由で、選挙法の制定、改正には、政党の党派性を去った、公正な良心的態度が要望せられるのであります。
選挙法は、従来わが国では、選挙過程の手続を定めたところの技術性の勝った法律として理解されてきました。訴訟法や商法の手形法のような技術性の強い法律であるというのであります。こういう理解は、旧憲法下では、ある程度理由がないではなかったのであります。こういう見解に対し、戦後、それも最近になって、選挙法の倫理法的性格――政治法的性格とも言えますか、それが学界で強調せられるようになりました。確かに選挙法は、その条文を見ますと、何円とか何メートルとか何枚とかの、こまごました手続的、技術的規定に満ちていて、一見技術性の勝った法律であるかに見えます。しかしそれにもかかわらず、選挙法は、基本的には、むしろある一定の政治目的に使える政治性の勝った政治法であります。このことは私が申し上げるまでもなく、皆さんか実感としてそう受け取っておられるのではないかと思うのであります。選挙法が基本的によるべき政治性、すなわち倫理性とは、選挙過程がいかなる倫理目的によって規制せられるべきかの問題なのであります。倫理とは、人間にとっての価値にかかわる事柄と一応理解しておいていただきますか、いわゆるモラル、道徳に高い低いがありますように、国政に関係したモラル、倫理品的にも高い低いかあるのでありまして、選挙法のよるべき倫理目的についても同様であります。民主政治としての代議制の選挙過程を律すべき選挙法のよるべき最高の倫理目的は、国民の国政に関する意見や意向を公正にくみ取り、それを指導的に実現していけるような代表の選出ということであります。もちろんこれは理想でありまして、容易に実現し得るものではありません。これに反して、選挙法かしばしばよらしめられる低い倫理H的とは、骨うまでもなく、一党の党派的利益の実現の手段とせられることであります。選挙法が、党派的利益の実現という低いモラルに従嘱した選挙の手続的技術の体系となっては、国民の政治的不幸は甚大なものであります。もちろん、このような日収悪の状態にはなかなか落ち込むことはない上信じられますが、しかし、人間、そして人出からなる政治団体としての政党は、ともすればこの方向に引かれがちであります。もちろん現実の社会の実際の関係によって、選挙判が制約せられることも当然あるのであります。それゆえ、選挙制度、選挙法の改正の方向は、その社会、政治の実際に即しながら、しかも国民生活のための公正な理想的選挙法を目ざすことでなければなりません。選挙法の立法当事者は、他のいかなる立法作業にもまさって、党派的利巳心を良心的反省によって排除していっていただかねばならないのであります。このため、選挙法に限って、その立法を党派をこえた特別の機関に委託するとか、あるいは選挙法の立法に当る委員会を与野党同数で構成するとかいった、党派性排除の保証のための制度的措置も考慮されてしかるべきであると思います。わか国の代議制がどうにか発展していくとすれば、将来当然そういうことが実現するであろうと存ずるのであります。
以上、長々と述べました倫理的論議は、結局のところ、選挙法審議には党利党略を排除しなければならぬゆえんの説明であったのであります。
次に、こうした観点から、今回の公職選挙法改正案の主要な三項目、知事及び市長の現職立候補の規制、立候補供託金の引き上げ、政党その他の政治団体の選挙における政治活動の規制に関する意見に移ります。
知事及び市町村長の任期満了に伴う選挙において、在職のまま立候補することを禁止する旨の改正は、多少影響する向きもありましょうか、これに関しては異論はありません。しかし、こういう独任制の公職について、あまりそういう問題に神経質になっても、それほど効果はないのではないかとも一面思うのであります。しかし大した異論はありません。
立候補供託金の引き上げという改正措置でありますか、これは選挙制度の理論と、わが国における選挙の実際から見まして、相当問題があるのであります。供託金制度は、一九二五年、大正十四年わが国に初めていわゆる一通選挙法が施行されまして、イギリスの制度にならって新設せられましたもので、当事衆議院議員について二千円ときめられました。立法趣旨は、普選に伴う候補者の乱立を防止しようとするにあったのであります。そうして実際のねらいは、無産政党の進出を抑えることにあり、当初内務事務当局案が一千円であったのを、既成政党側は二千円に引き上げられたと伝えられております。供託金制度は、すぐれた政治的才能の持ち主であっても、供託金を負担する資産的ゆとり、あるいは負担するほどの熱意を持たない候補者を締め出すことになります。それは、従って一面財産による被選挙権の制限となり、他面、その結果間接的に、選挙民の代表者の選択範囲を、選挙に先だって制限するということにもなるのであります。これは選挙権における、財産資格による制限を解除した普選の精神に逆行するものでありまして、選挙法の権威でありました故森口繁治氏などは普選法成立当時からそういう意見で、たとい候補者のある程度の乱立かあっても、候補者の代表者としての適、不適の判定は選挙民の投票が行うであろうとして、供託金制度撤廃の方向に進むべきであると主張したのであります。普選法制定のころに、衆議院議員で選挙法に関心を持っておられました藤沢利吉太郎という方がおられますが、この人も、供託金制度については森口さんと同じように批判的であったのであります。
供託金制度の上述の性格が理解されましたためか、一九三八年、昭和十三年でありますか、第一次近衛内閣のときに、水野錬太郎総裁は議会制度審議会で一千円に減額する答申を行なっております。次いで、二年後の一九四一年、大政翼賛会は選挙制度改革に関する基本資料を作成いたしました際、賛否両論はあったものの、供託金制度の撤廃をはかっております。旧憲法下でさえ、選挙民の代表者選択権はこのように尊重せられるのか当然であるといたしますと、最初述べましたような意味を持った現憲法下の選挙過程にありましては一そう当然であり、それ以外の態度はあり得ないのであります。従って、各種選挙における供託金の引き上げは、民主国家の選挙法規として原理的にふさわしくない処置といわなければなりません。もっとも、実際の行政上の管理には原理的に不適合な手段でも、制度の有効な運用のためには、できるだけ限定的に用いねばならない場合もあることはあるのであります。しかしながら、供託金制度には、こうした技術的必要は認められないようであります。提案になっております改正案で、町村長の立候補供託金か新設せられ、一万円とされておりますが、供託金か課せられなかった従来の町村長選挙に、今まで泡沫候補か乱立して困ったという事例は一件もないのであり、逆に五五年、昭和三十年四月の町村長選挙では、改選定数千六百六十三名のうち、実に六百十九名が無投票当選なのであります。
この場合、泡沫候補の乱立ということについて一言しておきますが、供託金制度の趣旨は候補者の乱立を防止するという、乱立に力点があるのでありまして、泡沫候補に力点があるのではありません。ある候補者が泡沫、すなわちあぶくのごとき存在であるかどうかは、結果として国民の判定からそう言える場合もあるだけのことで、当選しなかったから泡沫であるとか、あるいは選挙以前に、あれは泡沫であるとかえるはずのものではないのであります。
さて、衆議院の場合でも、政党が選挙区の定数以上の候補者を公認することはほとんど考えられません。その上、政党の数も現在では整理せられて、少数になっております。またかりに、いかがわしい侯補者が多く、無所属で立候補するとしまして、無所属候補の得票率、当選数は、五三年四月選挙で全無所属候補のうち四・四%、当選は十名、五五年二月選挙で三・三%、当選は六名、五八年五月選挙で五・九%、十二名であります。無所属候補のこのような成績は、有権者の選択が予想以上にきびしく無所属候補に働いたことを示しております。
こういうふうに見ていきますと、供託金制度は、理論上はもちろん、実際も存置の理由に乏しいと言えます。この供託金をさらに現行の倍額、さらにそれ以上に引きあげるのは、選挙制度の現在並びに将来の方向に逆行するものといわなければなりません。供託金の引き上げは、この制度の沿革に見られましたように、金持ちの政党が貧乏人の政党に、国民の代表者になる機会をより狭くしようとする党略のにおい持っております。戦前の既成政党の供託金制度などに現われた党略性は、他の事情とも合わさって、国民のより正しき代表者に脱皮していく生命力を既成政党から失わせまして、農民や労働者の要求は、軍部や官僚の一部勢力に代表せられるというゆがんだ現われ方をし、政党はそのファッショ勢力によって解体をしいられる結果をたどったのであります。こうした歴史は、政党の片寄った党略性に重大な教訓をたれるものではないかと思います。
さらに供託金引き上げによって、立候補に伴う金銭上の危険負担の増加は、そういう金銭的援助を引き受けるという理由で、議員という公職を利権化する憂いが濃いのであります。現在でさえ議員の皆様は、選挙における精神的、物的負担に苦しめられておると存じますが、供託金の引き上げが、議員の公職の利権化を促進することになっては、選挙における政治道徳は腐敗し、それは国政の腐敗につながっていくおそれがあるのであります。
以上の理由で、供託金の引き上げには賛成いたしがたく、少くとも現状維持のまま漸次逓減、撤廃の方向をとられることが正しい態度であると存ずるのであります。
最後に、政党その他の政治団体の選挙運動期間における政治活動の規制についての改正であります。その政治活動をする資格を取得する上で、一定数以上の所属候補者を有することが必要とされていましたが、この所属候補者の意義があいまいであったので、これを法律的に厳密に定義し、それに伴って政治活動のできる団体の数も制限していこう、無所属立候補の知事や市長の推薦の場合も、同様に推薦する政党、政治団体を特定、制限して政治活動を認めようというのが改正案の趣旨と見られます。
結論的に申しまして、選挙運動の規制は、買収とか度はずれた運動とかの悪質事犯以外にはできるだけ簡単に、自由にしていくのが理想的方向であると思います。選挙や政治にしろうとである一般国民にとって、あまり選挙運動の制限規定がわずらわしいと、統治上の重要行事である選挙過程に国民がきわめて消極的に、受け身な態度で参加するという事態が現われてくるのであります。これでは、国民の政治的関心を国会過程に注ぎ込む意味を持つ民主制下の選挙過程のあり方として、おもしろくないのであります。
わが国における選挙運動の規制の沿革を簡単に概括してみますと、普通選挙制以前の制限選挙制のもとでは、選挙運動はきわめて自由で、戸別訪問も大っぴらに許されていました。一九三五年の普通選挙制とともに、選挙運動の規制が細部にわたってわずらわしくなり、罰則もきびしくなりました。そうして選挙運動の規制のこのきびしさは、当時の各国のそれと比べて、わが国の選挙法の一特質とせられたのであります。これは、旧憲法下における官権主義的選挙制度がこうあらしめたのであります。このとき、今まで自由であった第三者による選挙運動にも制限が設けられ、演説または推薦状による選挙運動のみが認められたのであります。しかも選挙運動の規制は、戦時下に進むにつれて一そうきびしくせられました。このきびしさを選挙粛正運動という半官半民的運動が背後から支持する形をとり、既成政党人ばかりの立候補している選挙には白票を投ずるという、いわゆる白票運動というゆがんだ形の選挙運動までが現われ、この選挙運動の規制の強化という面からも、とうとう既成政党を押しつぶしてしまったのであります。しかしこうした選挙運動の規制の強化という大きな流れの中に、第三者の選挙運動はこれを緩和しようという、反対の小さい流れがあったことは注目すべきであります。すなわち、「出たい人より出したい人を」の傾向がこれであります。これには当時の政治状況から見ていろいろな意味がありますが、少くとも議会人は一般選挙民の政治的要求、希望と結びつかねばならないという一事については、そのときも現在も、同様に正当なことであるということができます。
戦後になりまして、当初選挙運動の規制はかなあらゆるやかになりました。第三者選挙運動も、政党や推薦団体の政治活動がかなり大幅に認められたのであります。現在の選挙運動は、御承知のように候補者個人主義が建前となっておりまして――これは多少問題があるのですけれども、ここでは論じないとしまして、同じ党派に属していても相戦わねばならないことになっていますから、候補者の所属する政党や推薦団体によって行われる選挙の応援活動は、第三者の政治活動と考えてよいのであります。ところが、一九五〇年、昭和二十五年の公職選挙法は、選挙運動の規制を強化し、その後の改正で、候補者の所属政党や推薦団体による政治活動を制限する傾向を示して今日に至っております。私は、公職選挙法に現われた選挙運動規制強化のこうした傾向も、やや時代逆行の意味があるように思うのであります。現在広く文明諸国家の社会に見られますように、集団的活動が個人の活動を圧して活発であります。このことは統治過程にも現われていまして、わが国でもこのごろ、政党の政策をある程度支配する圧力団体の活動の可否が、学界でも言論界でも、また政界でも問題になっております。圧力団体の活動の最も典型的な現われは、国会過程に直接圧力をかけるロビング、廊下トンビであります。こうした現況を思いますとき、選挙過程において政党初め社会の各種団体が、しかるべき限度で選挙に際して政治活動を行うことは、政党活動、大きくいって統治過程と社会生活の密接な関連をもたらすものであり、その弊害に至っては、廊下トンビその他の方法による国会審議、各種政策への圧力に比べて、はるかに少ないのではないかと思うのであります。さらに、一方部落会とか町内会とか、政治団体でない地域団体が、地方選挙や国会選挙において、かなり地方で有力な候補者推薦母体として働いている現状を考え合せますとき、政党や各種政治団体の選挙活動をことさらに規制の対象にするのは、社会生活の変化の状況に即した措置とは言いがたいのであります。選挙過程は、願わくは社会生活の進歩と変化に即して、その役割をよりよく実現していけるように規制せられるべきであると思うのであります。こうした理由から、選挙運動の制限強化を意味し、選挙における第三者たる集団の選挙運動を、その集団の数において、より制限、特定する本改正事項に反対いたすのであります。
他の改正点につきましては、事務的な事柄にわたりますので省略いたしたいと思います。
以上で私の意見は終ります。
太田光征
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