小選挙区制の廃止へ向けて
5月 26th, 2008 Posted by MITSU_OHTA @ 17:19:14under 選挙制度 [14099] Comments
小選挙区制の致命的な問題点、「神話」は、すでに1993年の時点で故石川真澄氏などが明らかにしていたが、1994年、小選挙区比例代表並立制が導入されてしまった。
どの選挙制度にも一長一短がある、とよくお茶を濁される。しかし、少なくとも単記投票制の単純小選挙区制に関しては、選挙制度を名乗ることはできないのではないか。なにしろ、得票第一党が議会第一党になることすら保証しないのだから。
来るべき選挙制度改革の再論議に備えて、小選挙区制の問題点をまとめてみました。(印刷用ファイル)
共同声明「国会議員の定数削減に抗議する」賛同募集中
[参考文献]
石川真澄『選挙制度』(岩波ブックレットNO.172、1990年)
石川真澄『小選挙区制と政治改革』(岩波ブックレットNO.319、1993年)
[関連投稿]
中選挙区比例代表併用制を提案する
http://kaze.fm/wordpress/?p=164
小選挙区比例代表併用制の問題点
http://kaze.fm/wordpress/?p=220
大選挙区制(中選挙区制)の問題点 〜連記投票制の落とし穴〜
http://kaze.fm/wordpress/?p=232
比例区定数が100に削減された場合の衆院選比例区シミュレーション
http://kaze.fm/wordpress/?p=229
【追記:6月27日】 「小選挙区制ではなぜ得票率と議席獲得率が一致しないか?」を新たに追加し、その他の項目を微修正しました。
【追記:7月14日】 「小選挙区制の過半数偽装効果と三乗法則」を追加しました。
【目次】
(1) 汚職・腐敗議員は小選挙区制でないと排除できないか?
(2) 小選挙区制でしか金権選挙はなくせないか?
(3) 小選挙区制は政権交代の可能性を高めるか?
(4) 小選挙区制ではなぜ得票率と議席獲得率が一致しないか?
(5) 小選挙区制は多数派を偽装する
(6) 小選挙区制の過半数偽装効果と三乗法則
(7) 小選挙区制の下では得票多数派が議会多数派になるとは限らない
(8) コンドルセのパラドックス
(9) オーストラリア下院の小選挙区制(優先順位付連記投票制)でもコンドルセのパラドックスは解消されない
(10) 選挙制度は政党制や政権交代を規定するためにあるのではない
(11) 小選挙区制が政権交代を促す保証はない
(12) 「小選挙区制→二大政党制→単独過半数政権」という神話の解体――G・サルトーリの実証研究
(13) 単独過半数政権の安定性神話――L・C・ドッドの実証研究
(14) 選挙区制と政党制に厳密な相関関係はない――「小選挙区制→二大政党制→単独過半数政権」の日本における反証例
中選挙区制では問題候補を落選させることができず、小選挙区制ならそれが可能だと主張されたが、そうともいえない。選挙区が小さいほど、地盤選挙、後援会選挙が機能するので、問題候補の当選をむしろ保証しかねない。
また小選挙区制では政策幅が切り縮められ(2005年の“郵政民営化国民投票選挙”など)、同時に有権者は候補者の当選可能性を考慮しなければならない。こうして有権者の選択肢は限定されるので、問題候補に対立する(当選可能な)候補が政策的に良識的な候補とも限らない。
比例代表制(政党の得票率と議席獲得率がほぼ一致)でも、拘束式名簿(政党が用意する当選順位つきの候補者名簿)に問題候補が上位に登録されることは難しいし、非拘束式名簿(当選順位なしで、得票数順で当選)なら、政策と候補者の多様な選択肢を確保しつつ、有権者は問題候補を排除できる。
中選挙区制では同じ政党の候補どうしが争うため、有権者に対するサービス合戦を招き、そのために多額の選挙資金を必要とし、不適切な資金の獲得に手を染めやすい、という主張もあった。これも、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変える際に使われた理屈の1つ。
金権選挙には様々な形態がある。有権者に不適切なサービスを提供するケースばかりではない。選挙資金の多寡が当選を大きく左右する限り、金権選挙はどの選挙制度でも根絶しがたい。むしろ有権者の選択幅を狭める小選挙区制でこそ、金権選挙が高度に機能する。
いい例が米国。民主・共和両党はいずれも軍需企業などから多額の政治献金を受けて選挙戦を勝ち抜き、二大政党以外の政党を排除し、異常な軍事政策を固定化する壮大な金権選挙を合法的に続けている。
小選挙区制は金権選挙を排除できないが、政策と政党の多様性を排除する。
小選挙区比例代表並立制の導入に使われた理屈はまだある。1989年の参院選1人区で自民が惨敗したことから、小選挙区制が政権交代の可能性を高めるとされた。
しかしこれは俗論。1人区以外の2〜4人区、比例区でも自民は過半数割れを起こしていたので、そのような主張に根拠はない。
2007年の参院選も同様。1人区では自民が6勝23敗とやはり惨敗した。しかし同時に、比例区と3人区、5人区でも与党は野党に負けている。比例区では野党27に対して与党21議席。3人区と5人区では野党12に対して与党8議席。2人区はその特性から民主12、自民11、無所属1議席と、ほぼ自民と民主が独占的に痛み分け。
小選挙区制は、与野党支持率の差異を、偽装的な議席数の差に増幅するに過ぎない。与野党支持率の逆転によって与野党の議席数が逆転する際、議席数の開きを他の選挙制度より過剰に演出しているだけ。
小選挙区制が与野党支持率の逆転をもたらすわけではなく、またそのようなことが許されてよいはずもない。
多党制下にあっては、政権交代を可能にするどころか、阻害するのが小選挙区制。小選挙区制は、支持率・得票率で絶対的には多数といえない政党が政権に居座り続けることを許す。下記例を参照。
例えば、与党A候補の得票率が35%、野党B候補の得票率が33%、野党C候補の得票率が32%とする。定数1の小選挙区では、与党A候補が得票率35%で100%の議席を獲得することになる。このようにして小選挙区制では大量の死票が発生してしまう。
英国では1945年から1992年の間、第一党が得票率50%を超えたことはないが、保守・労働党のいずれかが議席獲得率50%に達しなかったことは、1974年2月の1回のみ。
例えば、サッチャー首相率いる保守党が83年、60%を超える議席を獲得した地すべり的勝利を収めたときでさえ、得票率は42.4%に過ぎなかった。
日本での多数派偽装は2005年の郵政選挙で際立った。小選挙区でみると、与党は過半数に満たない得票率49%で、76%もの議席を獲得した。
日本の第8次選挙制度審議会の答申は、小選挙区制の特性として、「政権の選択について国民の意思が明確な形で示される」点をあげた。しかしこれは捻じ曲げで、小選挙区制は、「政権の選択について国民の意思を巧妙な形で偽装する」のが実際。
小選挙区制については、得票率と議席数の関係に関して、「三乗法則」といわれる経験則が指摘されている。例外が実際にはある。
「小選挙区制で、全国的な二大政党が争うと、両党の議席は、両党の得票率の三乗に比例する」「このような三乗法則は、イギリスの統計学者によって、両党の各選挙区における得票率が、ある数学的性質を充たす場合は、成立することが証明された」(西平重喜『比例代表制』、 中公新書、1981年)。
二大政党AとBがあって、Aの全体得票率が50%未満であっても、Aが過半数の選挙区でトップ当選すれば、議席の過半数を獲得できる。
このように、小選挙区制の「多数派偽装」効果は、第一義的に、全体得票率が50%未満でも、各選挙区での得票率が相対的にトップの候補だけを当選させることに起因する「過半数偽装」効果といえる。これが小選挙区制の致命的効果であって、三乗法則は、「全国的な二大政党」が争った場合の、議席の過半数を超える部分に関する定量的な表現に過ぎない。
三乗法則の有無に関わらず、小選挙区制であっても、政党が議席の過半数を制するには、過半数の選挙区で得票率がトップになる必要がある。
善良な政党連合と悪辣な政党連合があり、前者の支持率・得票率が後者のそれよりも低いとする。この場合、悪辣政党連合が候補者を一本化せず、分裂選挙をすることで、統一候補を立てた善良政党連合が過半数を獲得できる場合がある。これを、「全国的な二大政党」の存在を前提とする三乗法則の効果に起因すると考えるのは、間違い。そうではなく、単に、上述の過半数偽装効果による。
小選挙区制が過半数偽装効果でもって善良政党連合に有利になることはあるが、分裂選挙は善良政党連合にも起こり得るので、小選挙区制が善良な選挙制度であるとはいえない。
小選挙区制は、一応、多数代表制というべき選挙制度に分類されるが、得票第一党を議会第一党にする保証はない。これも過去に英国での実例がある。1951年、得票率は労働党が48.78%、保守党が47.97%と、労働党が上回っていたが、議席獲得率は、保守党が51.4%、労働党が47.2%と逆転し、保守党が戦後初めて政権を奪回することとなった。
小選挙区制が「有権者から最も好まれた候補者を選出」する制度とは必ずしもいえない。例えば、A、B、Cの3候補が立候補した場合、(第一選好の)「得票順」がA > B > Cとなっても、「選好順」はC > B > Aとなる場合がある。
一見不思議だが、「第一選好票」の単純多数で当選を決定する単記投票制ゆえのパラドックス。中選挙区制でも同じようなパラドックスが発生する。
上記の極端な例で説明する。A、B、Cの得票率はほとんど変わらないとする。つまり、それぞれ約3分の1の票を得たとする。さらに、Aが一番好きだとする有権者の中では、BよりCが好きだという有権者が100%。Bが一番好きだとする有権者の中でも、AよりCが好きだという有権者が100%。Cが一番好きだとする有権者の中でも、AよりBが好きだという有権者が100%であったとする。
この場合、BよりCが好きだという有権者が約3分の2、AよりBが好きだという有権者も約3分の2いる。したがって、「選好順」はC > B > Aとなる。
コンドルセのパラドックスは解消されない
オーストラリア下院の選挙制度は完全小選挙区制だが、優先順位付連記投票制を取り入れている。有権者は候補者すべてに順位をつける。第一選好票で過半数を獲得した候補がいなければ、最下位候補を落選させ、その最下位候補に投票した有権者の第二選好票を上位候補に配分する。過半数を得る候補が現れるまで、同様の操作を繰り返す。
この制度では、第一選好票のみを考慮して最下位候補をまず機械的に落選させる。したがって、オーストラリア下院の小選挙区制でも、選好順位の民意は反映されない。
[参考]
オーストラリア下院の選挙制度は優れているか?
http://unitingforpeace.seesaa.net/article/89557778.html
二大政党制を誘導し、単独過半数政権を実現するというのが、小選挙区制論者の表向きの主な動機になっている。しかしそもそも選挙は、国民の代表を選ぶのが第一義。憲法第43条には、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」とある。多数派のみが全国民を代表するとはいえない。
民意の正確な反映(得票率と議席獲得率の一致)を重視するのが、代表性に関する憲法解釈の傾向。詳しくは渡辺良二『近代憲法における主権と平等』(法律文化社、1988年)を参照。
米国下院も小選挙区制だが、1932年以来60年間にわたり、2期4年間を除き、民主党が第一党の地位を占めていた。
英国の北アイルランドでも、ユニオニスト党の一党優位の状態が1993年の時点で50年間も続いていた。
――G・サルトーリの実証研究
小選挙区制が二大政党制を誘導する傾向にあることは確かだが、民意を強制的に完全な二党に集約することは難しい。また二大政党制の下で単独過半数政権が生まれるとも限らない。
G・サルトーリは『現代政党学』(岡沢憲芙・川野秀之訳、早大出版部、1980年)で、「小選挙区制→二大政党制→単独過半数政権」という神話を英国の実例で解体している。
英国は1885年に小選挙区制に切り替わった。「先ず1885〜1910年期。この期の大政党は保守党と自由党であった。総選挙は8回あったが、そのうち6回は真の単独政権を生まなかった」「戦間期(1918〜35年)、労働党が第二党になった。しかし自由党はレリヴァントな第三党として生き残った。この期の特徴は不安定と連合政権であった。それ故、イギリスが二党制の古典的なルールに従って行動したのは第二次世界大戦以後だけということになる」。
ドッドの『連合政権考証』(岡沢憲芙訳、政治広報センター、1977年)によれば、単独過半数政権のみが安定政権をもたらすという説は、L・ローウェルの『ヨーロッパ大陸の政府と政党』(1896年)で広まり、デュヴェルジュらが無批判に受け入れてきた。
ドッドは、欧州と大洋州の17カ国について、第二次世界大戦前約20年間と戦後約30年間の内閣の寿命を調べた。
平均値では、「二大政党下の政府は平均五五ヵ月続いたが、多党制下の内閣の平均寿命は二六ヵ月であった」。しかし基準を変えると違ってくる。「五〇ヶ月以上かそれ以上も続いたすべての内閣のうち、約六〇%(四〇ヶ月以上続いた内閣の八〇%)は多党制議会から生まれた内閣であった」。
日本の場合はどうか。1890年の第1回衆議院総選挙から1898年の第6回総選挙までは、小選挙区制(1人区214、2人区43の総定数300)で行われた。2つの大きな政党が形成される傾向は認められたが、複数の小党が並存し、どの党も単独過半数を獲得したことがなかった。
1902年の第7回総選挙から17年の第13回総選挙までは、1人区(46)から13人区まである大選挙区制(総定数369)で行われた。この期間は、二大政党と30人以下の中小党2〜4という構成であった。
第14回(1920年)と第15回(1924年)の総選挙は、1919年に原敬内閣によって復活させられた小選挙区制(1人区295、2人区68、3人区11、総定数464)で行われた。第14回は、立憲政友会が278議席、憲政会が110議席(政友会の半数未満)、その他となり、第15回は憲政会152、政友本党111、立憲政友会102、その他となった。つまり典型的な二大政党は形成されていない。
1925年に中選挙区制となった。それ以来1942年の翼賛選挙まで6回行われた総選挙のうち、第16〜18回(1928、30、32年)は立憲政友会、立憲民政党のほぼ完全な二大政党の構成になった(その他の党の当選者は6人以下)。第19回(36年)、第20回(37年)は社会大衆党が37議席を獲得して、政友党・民政党とのいわば2・5党制になる。
このように、選挙制度史を眺めてみれば、小選挙区制が典型的な二大政党を形成し、単独過半数政権を誕生させるという法則性は、成立しない。
太田光征
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