沖縄のメディアの「報道魂」と朝日新聞「社説」との落差
12月 27th, 2007 Posted by higashimototakashi @ 19:58:59under 一般 No Comments
この問題は本日の各紙社説でもいっせいにとりあげられていますが、とりわけ問題発信地の沖縄のメディアの社説は、当然といえば当然のことながら、「集団自決」をめぐる教科書検定問題の本質と教科用図書検定調査審議会(検定審)の存在そのものの問題性を完膚なきまで指弾していて読み応えがありました。
■[教科書検定審報告(上)]史実をぼかす政治決着 「強制」認めず「関与」へ
(沖縄タイムス社説 2007年12月27日付)
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20071227.html#no_1
■教科書問題 「軍強制」は明らか/検定意見は撤回すべきだ
(琉球新報社説 2007年12月27日付)
http://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-11.html
どのように読み応えがあったか。たとえば沖縄タイムスの社説は地元の高校生に呼びかけるスタイルをとり、次のように書いています。
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高校日本史教科書の検定問題で教科用図書検定調査審議会は、教科書会社
六社から訂正申請のあった沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する記述に
ついて、渡海紀三朗文科相に審議結果を報告した。
そこで県内のすべての高校生に質問したい。
以下の三つの文章は(1)が原文である。その後、文部科学省や審議会の意思
が働いて(2)に書き改められ、多くの県民の強い抗議を受けて教科書会社が訂
正申請をした結果、(3)の記述に変わった。さて、この三つの文章は、どこがどの
ように変わったのか。なぜ、このような変更をしなければならなかったのか。その
ねらいは何か。
(1)「日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民
もあった」
(2)「日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた」
(3)「日本軍によって壕を追い出されたり、あるいは集団自決に追い込まれた
住民もあった」
どうだろうか。
よくよく読み比べないと気付かないような変化なので、二度、三度とゆっくり読み
直してほしい。
(1)は「日本軍」という主語と「集団自決に追い込まれた」という述語の関係が
明確だ。だが、(2)は主語と述語が切れてしまい、両者の関係があいまいになっ
ている。
(3)は原文とうり二つである。原文がほぼ復活したといえるが、主語と述語の
つながりはやや弱くなった印象だ。
この一連の経過を通して見え隠れするのは「できれば日本軍という主語を消し
たい」「日本軍と集団自決の関係をあいまいにしたい」という背後の意思である。
検定審の結論は三点に要約される。
第一に、検定意見を撤回していない。第二に、「日本軍によって強制された」と
いうような軍の強制を示す表現は採用していない。第三に、日本軍によって「追
い込まれた」などの軍の関与を示す記述は認められた。
検定で消えた「強制」を「関与」という形で復活させ、この問題の決着を図った
わけだ。
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沖縄タイムスの社説は、「よくよく読み比べないと気付かないような変化」のポイントを的確に整理し、だれにでもわかるように問題点を指摘しています。「説得」的な文章とはこういうものをいうのでしょう。
対して、本土のメディアの社説はどうか。
東京新聞の社説は「一連の問題を引き起こした今年春の検定は罪が重い」とし、また、毎日新聞の社説は「軍と住民との間の根底にあった強制的関係、絶対的な上下関係をきちんととらえたものとはいい難い」と、検定審のありようの問題点を指摘していて、権力の監視者(ウォッチドッグ)としてのメディアの役割を一応のところ果たしています。
■集団自決記述 「強制」排除になお疑問が残る
(毎日新聞社説 2007年12月27日付)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20071227k0000m070146000c.html
■集団自決記述 『強制』なしで伝わるか
(東京新聞社説 2007年12月27日付)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007122702075385.html
これまでもことあるごとに指摘してきましたが、問題なのは朝日新聞の社説です。
■集団自決検定―学んだものは大きかった
(朝日新聞社説 2007年12月27日付)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1
沖縄のメディアが「歴史的事実を追究する努力を尽くさず、体験者の証言を顧みることもなく「集団自決」の本質とも言える「軍の強制」を削除できるほど、歴史は軽いものなのか」(琉球新報)とまで指弾している検定審の「裁決」を、「訂正申請の審議で、『軍が強制した』というような直接的な表現を最後まで許さなかったことには疑問がある」という留保条件はつけてはいるものの「この見解は多くの人が納得できるものだろう」とご託宣を宣(のたまわ)っているのです。
上記のご託宣は、朝日新聞はいまやジャーナリズムの戦線から離脱している、あるいはひいき目に見ても離脱しかけている証左ともいえるように私は思うのです。
沖縄のメディアとの比較はさておき、毎日新聞や東京新聞と比較してみても、朝日新聞(記者)はいまや、ニュース価値を評価するメディア独特の嗅覚やバランス感覚を明らかに喪失している(しかけている)、と指摘しないわけにはいきません。
参考:
■「言葉のチカラ」失った朝日〜マスメディアよ、ジャーナリストたれ(3)など
http://www.news.janjan.jp/media/0612/0612196738/1.php
東本高志
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